第15話 居場所
舞い上がった埃が西日に踊り、長く放置された家特有の、鼻をつく匂いがした。
「……まずは、陽葵。栞と一緒に体を洗ってきなよ。汚れも、その……あざの痛みも、少しは楽になるかもしれないし」
僕がそう言うと、陽葵は自分の薄汚れた服を見て、小さく頷いた。栞は何も言わず、陽葵の背中にそっと手を添えて、風呂場へと促した。
二人が奥へ消えると、僕は一人、腕を捲り上げた。持ってきたバケツに水を汲み、雑巾を浸す。窓を全て開け放ち、数年分の澱んだ空気を外へ追い出した。埃だらけの床を無我夢中で磨き、ソファに被せられていたシーツを剥ぎ取る。身体を動かしている間だけは、これからの不安や、あの母親への怒りを忘れられる気がした。
しばらくして、脱衣所の扉が開く音がした。
戻ってきた陽葵は、栞に借りた大きめのロングTシャツを借りて、湯気と一緒に現れた。ボサボサだった髪は綺麗に整えられ、頬にはわずかに赤みが差している。
「……悠真くん、お待たせ。すっごく、さっぱりした」
少し照れくさそうに笑うその顔は、紛れもなく僕たちの知っている「陽葵」の笑顔だった。その表情を見た瞬間、張り詰めていた僕の胸の奥が、ようやく少しだけ軽くなった。
「おかえり。……あ、そうだ。掃除の前に、まずは何か食べよう。お腹、空いただろ?」
その言葉を合図にしたように、陽葵のお腹が「ぐぅ」と小さく鳴った。陽葵は顔を真っ赤にしてお腹を押さえ、僕と栞は思わず顔を見合わせて吹き出した。
別荘に来る途中のコンビニで買い込んだお弁当を、まだ埃っぽいリビングのテーブルに広げる。
陽葵は、一口、一口を噛み締めるように食べた。あんなに拒んでいた食事が、今は彼女の命を繋いでいる。半分ほど食べたところで、陽葵の手が止まった。
「……おいしい。……本当に、おいしいよ」
ポタポタと、お弁当の上に大きな涙がこぼれ落ちた。
「私、……もう二度と、こんな風に誰かと笑ってご飯食べられるなんて、思ってなかった。二人のおかげだよ……本当に、ありがとう……っ」
泣きながら感謝を口にする彼女を、僕と栞は微笑みながら見守った。栞が陽葵の頭を優しく撫で、僕も彼女の肩にそっと手を置いた。
「いいから、全部食べちゃいなよ。……その代わり、食べ終わったら気合入れて掃除してもらうからな。ここが終わらないと、今日は寝られないぞ」
僕が冗談めかして言うと、陽葵は涙を拭い、
「もー、悠真くんはスパルタなんだから!」と笑いながら、残りのご飯を口に運んだ。
その後、僕たちは雑巾やバケツを手に取り、家中に散った。
「ほら悠真くん、そこまだ汚れてる! 男子は大雑把なんだから」
「はいはい、わかってますよ。陽葵こそ、そんな勢いよく拭いたら腰痛めるぞ」
「ふふ、二人とも、口を動かすより手を動かして。ここが終わらないと、本当に寝る場所がないわよ」
埃っぽかった家は、僕たちが持ち込んだ石鹸の匂いと、ささやかな、けれど真実の笑い声で、少しずつ「居場所」へと変わっていった。
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