第6話 回避率100%の理由

王都の外縁、人気のない廃聖堂。 立ち枯れた庭には、夜露を含んだ冷たい空気が停滞し、湿った土の匂いが立ち上っていた。


ルカは、崩れかけた噴水の縁に腰掛け、月明かりの下で一本の細い銀糸を弄んでいた。 「……夜の散歩にしては、ちょっと物騒な人が多いかなぁ」


ルカが独り言のように呟いた瞬間、空気が震えた。 殺気。それは、熟練の暗殺者だけが放つ、針のように尖った視線の奔流だ。


「盗賊ルカ。貴様の『器用さ』、組織が危険視している。ここで消えてもらおう」


頭上、聖堂の屋根から冷徹な声が降ってきた。 同時に、闇の中から十数本の「黒鴉の矢」が放たれる。音もなく、空気を切り裂くその速度は、並の戦士であれば回避はおろか、視認することすら叶わない。


だが、ルカは座ったまま動かない。 逃げようとも、防ごうともせず、ただ、ゆっくりと右手の指を空中で踊らせた。


「えいっ」


指先が、何もない空間を小さく弾く。 その瞬間、ルカの周囲の「空気」が、まるで意思を持った壁のように波打った。


ヒュンッ、と不自然な音が響く。 ルカの心臓を貫くはずだった矢が、彼の数センチ手前で、まるで水の中に飛び込んだかのように急激に減速し、さらに不自然な角度でクイリと曲がった。


一本、また一本と、全ての矢がルカを避けるようにして背後の石柱に突き刺さっていく。


「なっ……なんだと!? 矢が……曲がった!?」


暗闇から驚愕の声が漏れる。 ルカはニコニコと笑いながら、指先で空中の「何か」をピアノのように叩き続けていた。


「曲げたんじゃないよぉ。矢の周りにある『空気の重さ』を、右側だけ重くして、左側だけ軽くしただけ。そうするとね、矢さんは勝手に曲がりたくなっちゃうんだよ。ほら、自転車のハンドルを片方だけ押すみたいな感じ♡」


「ふざけるな……! そんな精密な操作、人間業ではない!」


聖堂の影から、三人の刺客が姿を現した。 彼らは漆黒の双剣を構え、三方向から同時にルカへ肉薄する。 火花が散るような速度の連撃。だが、ルカは依然として立ち上がることすらしない。


「右、左、あ、そこはちょっと危ないかなぁ」


ルカは座ったまま、飛んでくる剣の「側面」に、そっと指先を添えた。 キン、と、涼やかな音が響く。 それは力で受け止めた音ではない。剣が持っていた「直進しようとするエネルギー」を、指先ひとつで真横へ逃がした音だ。


「くっ、手応えがない……! 霧を切っているようだ……!」


「あはは、当たり前だよぉ。みんな、力一杯振りすぎなんだもん。そのぶん、僕がちょっと『指先でつつく』だけで、軌道がズレちゃうんだよ。……ほら、そこ、二人でぶつかっちゃうよ?」


ルカが二人の刺客の剣の「慣性」を指先で絡め、一瞬だけ結びつけた。 ガチィィン! と火花が散り、味方同士の剣が噛み合って動かなくなる。


「ひ、ひぃ……化け物か、貴様……!」


刺客の一人が、恐怖に顔を歪めて後退した。 彼らにとって、戦いとは「力のぶつかり合い」だった。だが、ルカが行っているのは「計算の押し付け」だ。


ルカは立ち上がり、ゆっくりと歩み寄る。 足音一つしない。その一歩一歩が、地面の摩擦さえも最適化されている。


「暗殺者さん。君たちの技術はすごいけど、少しだけ『雑』なんだよね」


ルカは、震える刺客の首筋に、そっと指先を伸ばした。 刺客は必死に逃げようとしたが、自分の体が、磁石に吸い寄せられるようにルカの方へと傾くのを感じた。


(……えっとね、君の重心を、僕の指先に『預けさせて』もらうね)


ルカが指先をクルリと回すと、刺客はまるでコマのようにその場で回転し、そのまま力なく地面に崩れ落ちた。脳に送られる血流を一瞬だけ「渋滞」させたのだ。


「……ふぅ。やっぱり、みんなと遊ぶのは疲れちゃうなぁ」


ルカは懐からハンカチを取り出し、指先を丁寧に拭った。 誰一人、傷つけてはいない。だが、暗殺ギルドの精鋭たちは、戦意を完全に喪失し、震えながらルカを見上げていた。


「……あ、そうだ。君たちの親分さんに伝えておいてくれる?」


ルカは月を見上げて、悪戯っぽく微笑んだ。


「僕を消したいなら、せめて『因果関係』くらいは器用に結べるようになってからにしてね、って。……じゃあ、おやすみなさい♡」


ルカが指をパチンと鳴らすと、周囲の空気が爆ぜ、一瞬にして彼の姿を隠した。 霧が晴れた時、そこには月明かりに照らされた廃聖堂と、地面に突き刺さった数本の矢だけが残されていた。


ルカの回避率が100%な理由。 それは、彼が「避けている」のではなく、世界の方が彼を「避けるように書き換えられている」からに他ならない。


(さて、次は誰に会えるかなぁ。……あ、でもその前に、ちょっとお腹空いちゃったな。夜食、作っちゃおーっと!)


夜の帳の中、ルカの鼻歌だけが、軽やかに、どこまでも器用に響き渡っていた。


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