第5話 鍵開けの極意は空間把握

王都から馬車で三日、険しい断崖の先に位置する「静寂の神殿」。そこには、建国以来、一度も開かれたことがないという『天星の扉』が鎮座していた。


重厚なオリハルコン製の扉は、触れるだけで指先が凍りつくような冷気を放っている。その前には、王国の高名な学者や、魔導具の鑑定士、そして――なぜか悔しげな顔をした勇者ゼクスの一行が立ち尽くしていた。


「くそっ、この扉、また『力』を吸い取ってやがる……!」


ゼクスが聖剣の柄を叩く。扉には一切の傷がつかず、逆に彼の魔力を貪り食って、青黒い紋章をより一層激しく発光させていた。


「無駄よゼクス。これは物理的な強度じゃなく、空間そのものを固定する古代の封印。正しい鍵がなければ、大陸中の魔導師が束になっても……」


魔導師の女が諦め混じりに呟いた、その時だった。


「あー、あったあった。ここだぁ」


緊張感の欠片もない、のんびりした声が響いた。 石造りの冷たい廊下を、軽い足音を立ててルカが歩いてくる。手には食べかけのリンゴを持ち、周囲の厳かな空気などどこ吹く風だ。


「ルカ!? また貴様か! 聖女アリアをたぶらかしただけでなく、この神聖な調査地まで汚すつもりか!」


ゼクスが吠える。だが、ルカはそれを無視して、巨大な扉の前に立った。 ルカはリンゴを飲み込むと、白い指先をそっと、扉の「鍵穴」に近づけた。


「……うわぁ。これ、鍵穴っていうか、迷路だね。しかも、生きてる」


ルカの感覚が、扉の深淵へと潜り込んでいく。 金属の冷たさ。封印に込められた魔力の「匂い」。それは、古い蔵書の埃っぽさと、雷雨の直前のピリピリした電気が混じったような香りだった。


「おい、ルカさん! 危ないわ、その扉は拒絶反応で指を焼き切る――」


魔導師の警告が届く前に、ルカの指先が扉に触れた。 バチッ、という激しい放電が走る。だが、ルカはその衝撃を「盗み」、指先の微細な振動へと変換した。


(……えっとね、ここが入り口。一、二、三……層になってる。中では歯車が、一秒間に一万回も回転して、常に形を変えてるんだね。これじゃあ、物理的な鍵を作っても間に合わないわけだぁ♡)


「……何をしている。さっさと離れろ。王宮の解錠師たちが三年かけても構造すら掴めなかったんだ。お前のような小僧が――」


ゼクスの言葉を遮るように、ルカがふぅ、と小さく息を吐いた。


「構造なんて、掴まなくていいんだよぉ。空気さんたちに、ちょっと手伝ってもらうだけ」


ルカの両手が、空中で不思議な動きを始めた。 それは、ピアノを弾くよりも繊細で、蜘蛛が糸を紡ぐよりも精密。 ルカは鍵穴の周囲にある「空気」の分子を、その驚異的な器用さで一点に凝縮し、形を整え始めた。


(はい、ここを固めて……。あ、この魔力の流れは邪魔だから、ちょっと右に避けててね? 隙間を作って、圧力をギュギュッ、と……)


「なっ……何だ、あれは!?」


鑑定士が叫んだ。 ルカの指先と鍵穴の間で、空気が屈折し、陽炎のような「透明な鍵」が形成されていく。 それは、存在しないはずの鍵。ルカの指先の振動と、空気の密度操作だけで作られた、一瞬の「概念」としての鍵。


「一秒、もらうね♡」


ルカが指先をひねった。 瞬間、扉の奥深くから、これまでの歴史の重みを嘲笑うような、軽やかな「カチリ」という音が響いた。


静寂の神殿に、本当の静寂が訪れる。 あれほど強固に世界を隔てていたオリハルコンの扉が、まるで重力から解放されたかのように、音もなく、優雅に左右へと開いていった。


「……え?」


ゼクスが間抜けな声を漏らす。 魔導師は杖を落とし、鑑定士は膝をついた。


「解錠、完了! 中はちょっと埃っぽいから、入るなら気をつけたほうがいいよぉ」


ルカは指先をパチンと鳴らし、空気の鍵を霧散させた。 一秒。 伝説の封印が解かれるまでに要した時間は、わずか一秒だった。


「ば……馬鹿な。あり得ない! 封印を解くには、複雑な魔導回路を解析し、特定の波長の魔力を流し込まなければ……! なぜ、ただ指を動かしただけで……!」


魔導師の女が、狂ったようにルカに掴みかかろうとする。 ルカはそれをヒラリとかわし、ニコニコと笑った。


「解析なんて面倒なこと、しなくていいんだよぉ。鍵穴の『震え』を聞いてあげれば、どこに行きたがってるか教えてくれるもん。僕はただ、その通りに空間を整えてあげただけだよ?」


「空間を、整えた……だと……?」


ゼクスは開いた扉の奥、古代の秘宝が眠る部屋を呆然と見つめていた。 自分が必死に「力」で抉じ開けようとしていたものは、ルカにとっては「少し立て付けの悪い引き出し」程度の認識でしかなかったのだ。


圧倒的な格差。 ルカが持つ「器用さ」という力は、もはや技術の範疇を超え、世界の法則そのものをハックする権能へと進化していた。


「あ、そうだ。ゼクスくん」


ルカが去り際に、振り返って言った。 その瞳には、恨みも怒りもなく、ただただ純粋な「善意」が宿っている。それが、ゼクスには一番耐え難かった。


「その鎧の左肩、ビスが三ミクロンだけ緩んでるよぉ。このままだと、次の戦闘で外れちゃうから。直しておこうか?」


「……っ、ふざけるな! 出て行け! 消えろッ!!」


ゼクスの絶叫を背に、ルカは「そっかぁ、お節介だったねぇ」と苦笑いしながら、暗い通路を軽やかな足取りで戻っていく。


(修行、してよかったなぁ。世界が、どんどん僕に優しくなっていく気がするよ)


ルカは自分の指先を見つめ、満足げに微笑んだ。 次の瞬間、ルカの姿は、神殿の影に溶け込むように、音もなく消えていた。


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