第4話 再会、そして圧倒的格差
王都にほど近い交易都市「リミット」。活気ある市場の熱気と、焼きたてのパンやスパイスが混じり合った匂いが漂う中、ルカは機嫌よくスキップを踏んでいた。
「ふふーん。やっぱり街はいいなぁ。クレープ、クレープ♡」
修行で研ぎ澄まされたルカの感覚は、周囲の情報を嫌というほど拾い上げる。石畳のわずかなひび割れ、屋根の上で昼寝する猫の呼吸、そして――。
「……あ、この重苦しい魔力、知ってるかも」
ルカの耳が、遠くで響く金属音と、悲痛な叫びを捉えた。
路地裏を抜けた先の大広場。そこでは、かつての仲間の一人、聖女アリアが地に伏していた。 彼女の純白の法衣は泥に汚れ、震える手で杖を構えている。その目の前には、巨大な体躯を誇るランクA魔獣「岩甲虎(ガンコウコ)」が、涎を垂らしながら迫っていた。
「あ、アリアちゃん?」
「……えっ? ルカ……さん……?」
アリアが驚愕に目を見開く。その隙を逃さず、魔獣が剛腕を振り上げた。岩石のような鱗に覆われた拳が、彼女を押し潰そうと振り下ろされる。
「逃げてぇっ!」
アリアの悲鳴が響く。だが、ルカは動じない。 ルカの目には、魔獣の動きがまるで「重たい粘土の塊」がゆっくり崩れていくように見えていた。
「だーめだよぉ。そんなに力任せに振ったら、関節が泣いちゃうよ?」
ルカは風のように、いや、風そのものを踏み台にして、一瞬で魔獣の懐に滑り込んだ。 あまりの速さに、アリアの目にはルカが「瞬間移動した」ようにしか見えなかったはずだ。
「ルカさん、危ないっ! その魔獣の外殻は、ゼクスさんの聖剣でも傷一つ付かなくて――!」
「大丈夫だよぉ。壊すんじゃなくて、『解(ほど)いて』あげるだけだから」
ルカは微笑みながら、そっと魔獣の巨大な腕に触れた。 指先から伝わる、魔獣の体温と、硬質な外殻の質感。ルカは、その鱗と鱗のわずかな合わせ目、神経が集中する「接合点」を、ピアノの鍵盤を叩くような軽やかさで撫でた。
(えっとね、ここをトントン、ってして。この腱をちょっとだけ右にスライドさせれば……)
ルカの指が閃く。 シュパッ、と小気味いい音が連続して響いた。
それは攻撃というより、熟練の職人が布を裁つような、芸術的な動作だった。 ルカが通り過ぎた後、魔獣の体から「カチリ」と、何かのロックが外れたような音がした。
「ガ、ガァ……?」
魔獣が困惑したような声を出す。 次の瞬間、岩のような巨体が、音もなく崩れ落ちた。 血が飛び散ることはない。ただ、腕は腕、胴体は胴体、そして部位ごとに完璧な「食材」として、綺麗に切り分けられた状態で、石畳の上に並んだのだ。
「はい、解体完了♡ 骨も綺麗に抜いといたよ。これ、お肉はステーキにすると美味しいんだよねぇ」
ルカは、指先に付いた一滴の汚れさえも「きようさ」で弾き飛ばしながら、アリアに手を差し伸べた。
「ひ、一瞬で……? あの、伝説の魔獣を……指先ひとつで……?」
アリアは、ルカの手を取るのも忘れて、足元に転がる「完璧に精肉された魔獣の山」を凝視していた。 かつてのルカは、キャンプで魚を捌くのが上手いだけの、非力な盗賊だったはずだ。それが今、勇者パーティが総掛かりでも苦戦した怪物を、まるで台所作業のように片付けてしまった。
「ルカさん……あなた、一体どんな修行を……」
「んー? 落ち葉を畳んだり、雨粒の隙間を潜ったり? じいじに家事を教わってただけだよぉ」
ルカはアリアを引き起こし、彼女の服に付いた泥を指先でチョイチョイと弄った。すると、魔法でも使ったかのように、汚れだけがボロボロと剥がれ落ち、法衣は新品のような輝きを取り戻す。
「あ、ありがと……。でも、どうして……。ゼクスさんは、あなたのことを『何の役にも立たない無能』だって……」
「あはは、ゼクスくんは『力』しか見ないからね。でもね、アリアちゃん。力いっぱい押しても開かない扉は、鍵穴をちょっと弄るだけで開くんだよ?」
ルカは、アリアの杖をひょいと手に取った。 以前の戦いでひび割れ、魔力の通りが悪くなっていた木製の杖。ルカはそれを優しく撫で、木の繊維を微調整していく。
「ほら、これ。ちょっとだけ直しておいたよぉ。魔力が通りやすくなってるはず!」
アリアが杖を受け取ると、そこから溢れ出す聖なる魔力は、以前の数倍もの密度に膨れ上がっていた。
「な、何これ……! 私の魔力が……勝手に増幅されてる……!? 違う、杖が私の意思を『読み取って』くれてるみたい……!」
「えへへ、ちょっとだけ気を利かせちゃった♡」
その時、遠くから「おい、アリア! どこだ!」という怒鳴り声が聞こえてきた。 勇者ゼクスだ。ボロボロになった鎧を引きずり、いら立った様子でこちらに走ってくる。
「ルカ……! 貴様、なぜここにいる! アリアから離れろ、この無能が!」
ゼクスはルカを突き飛ばそうとしたが、ルカは柳のようにその手をかわした。 ゼクスは地面に倒れている魔獣の成れ果てを見て、絶句した。
「……なんだ、これは。岩甲虎が……解体されている? アリア、お前がやったのか?」
「いいえ、ゼクスさん。これはルカさんが――」
「嘘をつけ! こんな器用貧乏にできるはずがない! きっと、偶然弱点を突いただけだ」
ゼクスは顔を真っ赤にして、腰の聖剣(ルカが密かに弄ったままの、抜けない剣)を必死にガチャガチャと引っ張っている。
ルカはそれを見て、クスクスと笑った。
「ゼクスくん。その剣、まだ抜けないんだねぇ。……ちょっと貸して?」
「触るな! お前なんかに――」
ルカの指が、一瞬だけ聖剣の柄に触れた。 カチッ。 ただそれだけで、ゼクスがどれだけ力を込めても動かなかった剣が、するりと鞘から滑り出した。
「ほーら、抜けたよぉ。メンテナンス、サボっちゃダメだよ?」
ルカはそう言って、唖然とするゼクスを置いて歩き出した。 圧倒的な格差。それは暴力的な力ではなく、「世界をどう扱うか」という次元の差だった。
「じゃあね、アリアちゃん! またどこかでねー♡」
ルカは手を振りながら、夕暮れの街へと消えていく。 残された勇者は、鞘から抜けたものの、以前よりずっと軽く、そして自分には扱えないほど「繊細」に作り変えられてしまった自分の剣を、ただ震えながら見つめることしかできなかった。
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