第3話 「盗む」の概念が変わる時
まどろみの森に、乾いた音が響き続けていた。
「――っ、まただ!」
ルカは地面に膝をついた。目の前には、ガラムが放った無数の「極小の鉄球」が、まるで意思を持っているかのように地面に突き刺さっている。
修行開始から一ヶ月。ルカの指先は、もはや皮が剥ける段階を通り越し、磁器のように滑らかで、それでいて鋼のような強靭さを秘めていた。
「ルカよ。お前は何を『盗もう』としている?」
縁側に腰掛けたガラムが、静かに問いかける。その手には、まだ数個の鉄球が転がっていた。
「え……? 盗むって、そりゃあ、じいじが投げたその鉄球を……」 「違う。それではただの『ひったくり』だ。盗賊の本質とは、相手が持っていることにすら気づかぬものを、その承諾も得ずに我が物とすることにある」
ガラムが、ふわりと立ち上がった。次の瞬間、老人の姿が揺らぎ、ルカの視界から消える。
「あ、危な――っ!」
反射的に、ルカは指先を突き出した。 そこには、時速数百キロで迫るガラムの正拳突きがあった。本来なら、ルカの華奢な指など木っ端微塵に砕けるはずの威力。
だが、ルカの感覚は、その拳が空気を切り裂く「音」よりも早く、拳に宿る「力」の正体を見抜いていた。
(……見えたぁ。これ、ただのパンチじゃないんだ。空気の層を押し潰して、その反発力で加速してるんだね?)
ルカの指が、ガラムの拳の表面に「触れるか触れないか」の距離で、優しく、羽毛が舞い降りるように添えられた。
「……っ!? 貴様、何を――」
ガラムの目が見開かれる。 ルカの指先が、ガラムの拳が持っていた「前進しようとする力(慣性)」を、絹糸をたぐるような繊細さで『摘み取った』のだ。
ドン、と空気が抜けるような音がした。 ガラムの拳は、ルカの指先の前でピタリと止まった。押し込まれたわけではない。そこにあるはずの「勢い」だけが、まるで魔法のように消滅していた。
「……えへへ。これ、『勢い』を盗んじゃった。じいじ、今、体がふわふわしないでしょ?」 「馬鹿な……。慣性を盗むだと? 物理法則そのものに指をかけたというのか」
ルカの掌の上には、目に見えない「熱」のような塊が、小さな渦を巻いて留まっていた。ルカがそれを適当な大岩に向かって、デコピンの要領で弾き飛ばす。
ズドォォォンッ!
何も当たっていないはずの大岩が、目に見えない衝撃に打ち抜かれ、粉々に粉砕された。
「わぁ……。すごい、これ便利だねぇ♡ 走ってる馬車の勢いを盗んだら、急ブレーキなしで止めてあげられるかも!」 「お前という奴は……。国家を転覆させるような技を、何を家事の延長のように語っておるのだ」
ガラムは呆れたように嘆息したが、その瞳には隠しきれない興奮が宿っていた。
「だが、まだだ。次は『流れ』を盗め。ルカ、わしの魔力を盗んでみせろ」
ガラムが印を結ぶ。老人の周囲の大気が、パチパチと青白い放電を始めた。伝説の暗殺者が放つ、本気の魔力圧。 森の木々がざわめき、鳥たちが一斉に飛び立つ。肌を刺すような、ひりつく魔力の臭い。
「いくぞ。これに触れれば、常人ならば血管が破裂する」 「う、うぅ……ちょっと痛いかも。でも、大丈夫……。だって、魔力って結局、すっごく細かい『糸』の集まりなんだもん」
ルカは一歩、踏み出した。 荒れ狂う魔力の奔流。それは、素人から見れば死の嵐だが、極限の器用さを手に入れたルカの目には、複雑に絡まり合った「知恵の輪」にしか見えなかった。
ルカは両手を広げ、激流の中に指を差し込んだ。 熱い。魔力の摩擦で指先が焦げそうな熱。 でも、ルカの感情は驚くほど穏やかだった。
(ここが「結び目」。ここを、こうやって解いて……。この『色の違う糸』を、そっと引き抜けば……)
ルカの指先が、空中でピアノを弾くように舞った。 一瞬、世界から音が消えた。
ガラムが放っていた青白い雷撃が、ルカの指先に吸い込まれるように収束していく。 バチンッ、という小さな火花の音。 次の瞬間、ガラムの周りを覆っていた魔力は完全に消失し、代わりにルカの指先には、一輪の光り輝く「魔力の花」が咲いていた。
「……じいじの魔力、ちょっと苦いね。でも、すごく綺麗に整列してたから、盗みやすかったよぉ♡」
「……っ、クハハッ! ハーッハッハッハ!!」
ガラムは天を仰いで笑い出した。その笑い声には、恐怖すら混じっていた。
「『盗む』という言葉すら生ぬるい。それはもはや『世界の再定義』だ。ルカよ、お前はもう教えることなど何もない。お前のその指は、もはや神の懐にさえ届く」
ルカは首を傾げた。「神様? そんな大げさだよぉ。僕はただ、みんなが『できない』って言うことを、丁寧に、器用にやってるだけだもん」
ルカは、光る魔力の花を大事そうに懐にしまった。 「さーて! 修行も一段落だし、一回街に行ってみよっかな。美味しいクレープとか食べたいし!」
「……行くが良い。そして世界に教えてやるのだ。真の『器用さ』が、いかに理不尽で、いかに無敵であるかをな」
ルカは「はーい!」と元気に返事をすると、身軽な動作で森の出口へと走り出した。
その足取りに、もはや音はない。 一歩踏み出すごとに、地面からの反発を「盗み」、それを推進力に「変換」している。 走っているというよりは、空間を滑っているような、異常な機動。
(待っててね、ゼクスくんたち。僕、もっと『器用』になっちゃったからさ。次は君たちの何を見てあげようかなぁ♡)
森を抜けるルカの背中には、もう「追放された無能な盗賊」の面影はどこにもなかった。 ただ、世界を指先一つで弄ぶ、もっとも愛らしくも恐ろしい「特異点」が、そこにいた。
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