第5話 回想:教会と水車


教会の古い木の椅子に座り、ヨナは杭を削り続けている。

ヨナの足元には随分と木屑が積もり、若木の青臭い匂いが微かに漂う。


『私、この匂い好きよ』


一瞬ヨナの意識にノイズが走る。


規則正しい音が、どこかで鳴っている。

それは、杭を削る音なのか。

それとも――




タイガの針葉樹林が途切れる場所に、小さな小川が流れている。

朝の水面は薄く光を反射し、川沿いに建つ古い教会の脇で、水車が回り続けるいつもの光景。


教会の裏手。

割り場に積まれた丸太の前で、アーリャが腰に手を当てて胸を張っている。


「さあ、今日も私の方が高く積むんだからね!」


アーリャは十二歳の僕より背が少し高く、いつも元気で声もよく通る。


「ユーリ、ヨナの薪は倒れてもいいけど、私の薪は高く積んでね。できるかな?」


「分かった! がんばる!」


五歳のユーリは、そう言って両手に薪を抱えて、嬉しそうに走り回っている。

薪を積み上げるたびに、誇らしそうにアーリャの顔を見上げていた。


アーリャは、どんな仕事でも空気を明るくする天才だ。

きつい日課の薪割りも、雪に閉ざされた冬の朝でも、アーリャがいつも笑顔にしてくれる。


「私、この匂い好きよ」


薪割りのたびに同じ言葉を繰り返すアーリャ。

おかげで僕もこの匂いを嗅ぐと、少しだけ薪割りの辛さが軽くなる気がした。


そんなふうにいつも元気をくれる、アーリャのキラキラした瞳が、僕は大好きだった。


今日の薪は一つ目から、硬い節のところに当たってしまい、アーリャとの差も開いている。

僕も頑張らないと。


斧を持ち直し、足をしっかり踏ん張ると、腰を落として斧を頭の上から真っ直ぐに振り下ろした……その瞬間、


地面の奥から突き上げるような爆音が響く。


一瞬、何が起きたのか分からなくなる。

あまりのタイミングの良さに、自分のせいかと身体が硬直する。


「……何あれ?」


アーリャが村の方を指差している。


村の上空。

灰色の空に、編隊を組んだ自爆ドローンが飛んでいる。


それらは円を描くように旋回し、次の瞬間次々と村へ降下していく。


爆音と悲鳴が重なっていく。

自爆ドローンは35機あった。あれが全て村を襲ったら……。


「ユーリ! こっちよ!」


僕が無駄な思考に囚われていると、アーリャが叫び、ユーリを強く引き寄せている。


アーリャはユーリの小さな身体を抱き込むようにして、振り返り僕の袖を掴んだ。


「ヨナ! ヨナ、しっかりして!」


――そうだ! 逃げなきゃいけない。


でも、身体が動かなかった。

村から聞こえる爆音と悲鳴に、足が縫い付けられたみたいに動けない。


固まる僕を見たアーリャに、無理やり腕を引っ張られてようやく足が前に出る。


「急いで!」


アーリャの叱咤に、僕たち三人は教会へ向かって走り出す。


その途中、ふと視界の端に水車小屋が映った。

小川の流れに身を任せて、こんな時でも水車はいつも通り、変わらぬリズムで回っていた。


いつもならこの時間、シスター・オリガが魚を干し終えて、水車小屋で粉挽きを始めている頃だ。そんな益体もない考えが頭をよぎった。


教会の前まで来ると、シスター・オリガが扉を開けて険しい顔で待っていた。


「みんな、こっちよ!」


シスター・オリガは幼いユーリを抱き上げると、僕たちを教会の中へ導く。


教会へ入る一瞬、また僕は水車小屋を見てしまう。

こんな時に……混乱してる?


「ヨナ! 何してるの、早く扉を閉めて!」


僕は何かに引っかかりつつも、教会の扉を閉じてシスター・オリガに駆け寄った。


「さあ、ここに隠れるわよ」


シスター・オリガに促され、教会の地下貯蔵庫へ入る。


開け放たれた貯蔵庫の入り口は、なぜか不穏な気配を纏っていて、一瞬足が止まる。


「何してるの、早くこっちよ」


アーリャに手を引かれて貯蔵庫の中へ入るけど、その一歩はとても重くて、泥の中に踏み入れたような気がした。


貯蔵庫の冷たい床に、四人で身を寄せ合う。


「……何が起きてるの?」


アーリャが震えを押し殺すようにして、シスターオリガに問いかけると、


「多分、ハバロフスクの軍の襲撃ね」


と、シスター・オリガは即答した。


「見つかったら……全員、殺されるわ」


シスター・オリガの言葉が、重く突き刺さる。

シスター・オリガはユーリの目の高さに顔を近づけ、できる限り優しい声でこう言った。


「いい、ユーリ。今から怖い人たちが来るわ。

見つかったら、とても怖いことになる。

だから……静かにできる?」


ユーリは小さく震えながら、シスター・オリガの胸にしがみつき、こくこくと何度も頷いた。


「あなたたちも、いいわね?」


僕はただ頷いた。

声を出すと何か違う事まで口にしてしまいそうで、何も言えずにいた。


やがて……遠くで響いていた爆音と悲鳴が聞こえなくなった。


――静寂。


地下貯蔵庫の中に、四人の呼吸音だけが残る。

芋や魚の干物の匂い。蝋燭の匂い。


――冷たい空気。


アーリャに聞こえてしまうのでは?

と心配になるほど、心臓の鼓動をうるさく感じる。


扉の隙間から漏れる細い光が、ぼんやりと互いの顔を照らす。

互いの顔を見ただけで、余計に緊張が高まった気がした。


「……終わった、の?」


アーリャが、ほとんど息だけで呟く。


「まだよ。油断しないで」


シスターは低い声で返した。

しばらくすると……。


――声?


森の方から男の話し声が、近づいてくる。


男たちの声が教会の側までたどり着き、


そして――


乾いた破裂音と共に、木製の扉が蹴り飛ばされ、激しく内側に跳ねた。


「動くなっ!」


そうして僕らの「世界の壊れる音」が響いた。

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