第2話 フラッシュアイ
村を囲む針葉樹林の森の中に、
ヨナは静かに身を潜めている。
ヨナの頭の内側に男の声が響く。
(気配を消す時は、口を閉じて鼻でゆっくり息をする。肩の力を抜けーー判るだろ?)
声の男は田村洋介。
洋介は日本の元自衛官だった。
現在ヨナの意識の中には、この田村洋介が“別人格”として存在している。
二人は互いの記憶を共有できる状態にあり、ヨナはこの田村洋介の経験を頼りに、初めての斥候を務めていた。
ヨナは太めの針葉樹を見つけて素早く移動し、その幹に背を預ける。
洋介の記憶の中にある“それ”をなぞるように、慎重に呼吸を整えていく。
静かに、ゆっくりと……。
だんだん体の輪郭が曖昧になり、藪と自分の境目が消えていく感覚。
洋介から読み取った、ただの知識が経験に変わる。
そして溶ける様に、ヨナの一部となった。
洋介の言う「判るだろ?」は、理解を求める問いではない。
――”記憶を共有するなら”と枕詞がつく判断できるかの確認だ。
(そうだ、それでいい。
……恐ろしいほど飲み込みが早いな)
それがヨナ自身の素直さゆえなのか、
二つの意識が共存している副作用なのか――
洋介は一瞬だけ考え、すぐに思考を切り替えた。
(次は村の全景を確認する。ざっと人の配置だけ見ろ。装備やクセは後でいい。……判るよな?)
ヨナは、ほんのわずかに頷いた。
呼吸を整え、村の全景をサッと見渡し元の位置へと素早く戻る。
(よし、それで――)
洋介の言葉が、途切れる。
(……なんだ、これは?)
ヨナの脳裏に浮かんだ光景に、洋介自身が戸惑いを覚えた。
薮の中から見えたのは、焼け焦げた村の家屋、兵士の立ち位置…。
それだけではない。
焦げ跡の損傷の具合、装備の擦れ、ポケットの位置と膨らみ。
地面に落ちる影の向きと長さまでが、高精細な写真のように刻み込まれている。
ヨナの知らない言葉を洋介が呟く。
(これは……フラッシュアイってやつか?)
「フラッシュアイって?」
(瞬間記憶能力の一種だ。……いつも、こんなふうに見えてるのか?)
「そう言われても分からない。シスターやアーリャには、記憶力がいいって言われたことは何度もあるけど……いつも通り、です」
ヨナは自分の口からでた、”アーリャ”の名前に、胸の傷がズキリと痛み、言葉を続ける事が出来なかった。
それを察した洋介は、脱線した話を無理矢理元に戻す。
(敬語はいらない。いつも通りで構わない。まあ、よくやった。これならかなり有利に事が運べるようになる。)
洋介はヨナの記憶を精査する。
村の家屋は、例外なく破壊されており、
無傷の建物は一つもない。
兵士たちは村人の遺体を埋めているようだ。
おそらく証拠隠滅してるのだろう。
そこに弔いの意志は感じられない。
兵士の装備は、バイオスーツにパネル式のプロテクター。
バイオスーツに直接貼り付けたような構造をしており、洋介には初見の構造だ。
(パネルの間に隙間はある。使える……か?)
兵士は更にその上から、防弾チョッキに似たジャケットを着用している。
ジャケットの正面には、左右に三つずつマグポーチが見えるが、
隊長格の男の一つを除き、すべて空に見える。
銃を持っているのは、その隊長格の男だけだ。
ヨナの記憶によれば、リボルバータイプのライフル銃だ。
(弾倉は未装着か……あの膨らみがそれなのか?)
他の兵士は、腰のホルスターにサバイバルナイフ状の刃物を携行している。
視認できる武装は、それが全てだった。
(2、3度見ただけでこれだけの情報量か。凄まじいな。)
本来、これだけの情報を集めるには、遠距離からスコープを使い、時間をかけて収集するのが常道だ。
ほんの一瞬の目視で、それを可能にするヨナの能力に、洋介は若干の畏怖さえ感じるのだった。
やがて作業を終えた兵士たちが、車座に座り、食糧などを分け始める。
(よし、どうやら奴らはここでビバークするようだ。一旦戻って、俺たちに何ができるのか作戦会議だな)
洋介の言葉で、ヨナはいつの間にか夕暮れ時が迫っている事に気がついた。
森の夕暮れは思いの外早く、静かに侵食する夜の闇に、ヨナは言いしれぬ不穏を感じていた。
(……戻ろうか)
「分かった。」
洋介の言葉にヨナは短い返事を返し、立ち上がろうとした。その時……。
夕暮れを察したのか、村の反対側でカラスの群れが一斉に羽ばたいた。
突然の羽ばたきに身を固めたヨナだったが、洋介はその視界の中に、重要な要素を読み取っていた。
(アイツは……厄介だ)
兵士たちはカラスの群れに一瞬だけ視線を投げて、すぐに食事に戻ったが、その中で1人だけ、食事の手を止めてカラスが飛び立った辺りの薮を、慎重に見極めようとする男の後ろ姿があったのだ。
(……おそらくヨナを撃った奴だな。
ドローンに、バイオスーツ、プロテクター。俺の知識がどこまで通用するのか分からない。しかし、1番の問題は……)
洋介はそこで思考を打ち切り、改めてヨナに撤収を促した。
ヨナが去った森は、夜の闇と静寂に静かに侵食されて行くのだった。
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