誰そ彼時。私は私の首を切る
こはく
人が死ぬ。それは至極当然の話だ。では死んだ人はどうなるのか? どこへ連れていかれるのか。天国か、それとも地獄か。もし私が死んだら周囲は一体どんな反応をするのか? そもそも死ぬってどんな感覚なのか?
そんな些細な好奇心で包丁を首に当てたことがある。ひんやりと、鉄特有のギラついた冷たさが死というベールに包まれ迫りくる。あと数ミリ刃を動かせば、或いはほんのちょっぴり――まだ意識のない胎児以上に脆弱な――力を小枝みたいにか細い指に加えれば、頸動脈から喉仏まで裂けて私は死ぬ。きっとその裂け目は三日月みたいに綺麗な湾曲だろう。民族的信仰に基づけば皮肉もいいところだ。
死。それは命ある所に例外なく存在する。私の隣にも常に。誰よりも近く。隣り合う無理数みたいに。矛盾してるようだがこれは確かだ。世界全体に平等に影があるのと同様に。微かながら首に残る、ギラついた痛みが教えてくれた。彼らはこの世の如何なる常識以上に信頼できる――残酷な――真実の鏡だ。
生きるのが嫌になった。ある日を境に。
いつも通り朝起きて、朝食を食べて、学校へ行き、授業を受け、友達(モドキ)と他愛のない会話をする。学校が終わって、またねと手を振る。またね――丁重に言い換えればまたお会いしましょう。何故皆当たり前のようにまた会えると断定しているのか。確かにいつも通り寝て起きて、学校に行けば皆いる。でも私の昔飼ってた猫のクロちゃん、文鳥のピーちゃん、ザリガニのザリちゃん、トカゲのトカちゃん、ヤモリのモリちゃんは皆死んだ。彼らのいつも通りはある日ふいに、どこか遠い場所へと行ってしまった。
涙はからきし出やしかった。ただ心にぽっかり穴が開いたような感覚だけが残った。春の陽気な風が、夏の旺盛な風が、秋の優美な風が、そして冬の冷たい風が穴に染みる。特に冬の風は冷たくって、痛かった。
いつも通り、またねと手を振る。明日も明後日も手を振る。でもいつかはそんな当たり前も私の知らないどこかへと連れ去られる。
黄昏時。大自然の作り出した仮面舞踏会。語源は誰そ彼。現代語で言えば「あれは誰ですか?」という意味。夕闇に紛れて人の顔が見えづらくなることが起源。
私は見た。緋色の仮面で顔を隠した死を。彼は私の目前に突如として現れた。
いつも通りまたねと手を振って、いつも通りに帰路につく。そしたら突然空から人が降ってきた。グシャッという音と共に、鮮やかな紅血とツンとした血生臭い香りが広がる。すぐに周囲の人たちが駆け寄り救急車やら何やらとこれ見よがしに喚いていた。
夕闇に隠れたあの人の顔はきっと拉げて原型など留めてなかっただろう。でもひょっとしたらまだ生きていたかもしれない。顔は三日月みたいにパックリ割れてたかもしれないけど、拉げてなんかいなかったかもしれない。あの日私の目前に現れた死はどんな顔していたのか。
皆が死んでも私が死んでも、もう二度と会うことも見ることもない死をふと思い出す。二度とだ。でも夕闇に顔を隠した死が、それに集る大勢の生たちが、いつも通りまたねと手を振る皆が、ある日ふと消えていなくなってしまった皆が私に明示してくれたことがある。
陽炎や塚より外に住むばかり
首に包丁を当ててみる。今度は何も感じなかった。数ミリ刃を動かした私も、動かさなかった私も、脆弱な指に力を加えた私も、加えなかった私も。きっと何も変わりはしない。
黄昏時、ふと現れた貴方がどんな顔をしていたかなんて、これまでもこれからも、わかる日なんて来はしないのだから。
誰そ彼時。私は私の首を切る こはく @kohaku17
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