600pv記念 生存戦略と、予期せぬノイズ
視点:カズヤ
翌日。砦の作戦室は、物理的にも精神的にも冷え込んでいた。
原因は明白。俺とセシリア姫の間に流れる、シベリアのような冷気だ。
昨晩のヒルデガルド襲来による「破廉恥イベント」のせいで、姫は朝から俺と目を合わせてくれない。
これは……まずい。非常にまずい。
恋愛沙汰がどうこうではない。この砦において、姫は兵士の士気を維持する唯一無二の「旗印(アイコン)」だ。その旗印がカビの生えたような顔をしていたら、兵の士気に関わる。
士気の低下は防衛力の低下に直結し、すなわち俺の死亡率が跳ね上がることを意味する。
(早急にメンタルケアをして、機能を回復させないと……俺が死ぬ)
そんな俺の焦りを知ってか知らずか、目の前の爆弾娘――ヒルデガルドは、朝からテンションがMAXだった。
「いい? この『増幅回路』に魔石を直列で繋げば、熱量は三倍になるわ」
「なるほど。でもそれだと、砲身が耐えられないんじゃないか?」
「そこは冷却用のポテト廃油を循環させるのよ! 揚げ物の原理ね!」
「天才かお前は。採用だ」
悔しいが、話が弾む。
現代知識を持つ俺と、それを実装できる天才。効率的な議論は快感ですらある。
だが、その様子を蚊帳の外で見ているセシリア姫の背中が、どんどん小さくなっていることにも気づいていた。
(……チッ、拗ねてるな)
姫が何度か口を開きかけ、そして諦めたように閉じる。
自分だけ話題に入れない疎外感。無力感。
それが彼女の自己肯定感を削り、ひいてはカリスマ性の低下を招く。
放置すれば、俺の「安泰な老後」プランが崩壊しかねない。
ガタッ。
耐えきれなくなったように、姫が席を立った。
「……私なんて、ただのお飾りですもの」
聞こえるか聞こえないかギリギリの声。
自虐。一番厄介なパターンだ。ここで退室されたら、修復に倍の時間がかかる。
「姫様、どこへ行くんですか?」
「……邪魔をしてはいけませんから。部屋に戻ります」
振り返らない背中。
俺はため息を飲み込み、椅子を蹴って立ち上がった。
同情している場合じゃない。これは「組織マネジメント」の一環だ。彼女に役割を与え、この場に繋ぎ止める必要がある。
「邪魔なわけないでしょう。……ちょっと手伝ってください」
「え?」
「ヒルデガルドの字が汚すぎて読めないんです。姫様の綺麗な字で、清書をお願いできませんか?」
俺はヒルデガルドが書き殴ったメモを差し出した。
実際、汚いのは事実だが、読めないほどではない。ただの口実だ。
だが、今の彼女には「あなたが必要だ」という明確な理由づけが要る。
俺は戸惑う姫の手を取り、強引にペンを握らせた。
(……冷たいな)
触れた指先が、氷のように冷え切っていた。
その冷たさが、ふと俺の計算高い思考にノイズを走らせた。
五千の敵に囲まれ、頼れるのは得体の知れない異世界人の俺だけ。
そんな状況で、得体の知れない女がさらに増えたのだ。不安になるなと言う方が無理か。
俺は自分の保身ばかり考えていたが、この少女はずっと、張り詰めた糸の上を歩いていたのかもしれない。
少しだけ、言葉に温度を乗せることにした。
「俺には技術があっても、それを『伝える』力が足りない。姫様が書いてくれれば、兵士たちも安心して作戦に従えます。……頼りにしてますよ、セシリアさん」
意識して、名前を呼ぶ。
信頼演出(パフォーマンス)のつもりだった。
だが、姫がバッと顔を上げた瞬間――。
「……はい! 任せてください、カズヤ様!」
パァッ、と。
本当に「花が咲く」という表現が似合う、一点の曇りもない笑顔を向けられた。
(――う)
その笑顔の直撃を受け、俺は一瞬、言葉に詰まった。
打算で動いたはずだった。上手くおだてて利用するつもりだった。
なのに、その全幅の信頼を寄せた瞳を見せられると、なんだか自分がひどく薄汚れた詐欺師になったような気分になる。
……調子が狂う。
これだから、純粋な人間は苦手なんだ。
俺は視線を逸らし、誤魔化すようにヒルデガルドの方を向いた。
胸の奥でチクリとした何かが、まだ疼いている気がした。
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