第14話 月夜のバルコニーと膝枕 ~今日だけは甘えてもいいですか~

 決戦前夜。

 俺たちは砦を脱出し、罠を張った『竜の顎』渓谷へと移動する準備をしていた。

 その前に、束の間の休息を取る。

​ 俺は一人、バルコニーで夜風に当たっていた。

 震えてなどいない。だが、思考は止まらなかった。

 明日の作戦の成功率は、シミュレーション上では48%。

 残り52%は、3万の敵に踏み潰されるバッドエンドだ。

 胃がキリキリと痛む数字だが、俺は軍師だ。不安な顔を見せるわけにはいかない。

​「……カズヤ様?」

​ 背後から声をかけられた。

 セシリア姫だ。ショールを羽織り、心配そうな顔で立っている。

​「眠れないのですか?」

「ええ、まあ。脳が覚醒してしまって。……明日の配置について、再考していました」

「嘘ですね」

​ 姫は静かに近づいてくると、俺の隣に腰を下ろした。

​「顔色が優れません。……無理をしているのではありませんか?」

「無理はしていません。最適解を探しているだけです」

「いいえ、それはただの強がりです」

​ 姫は頑として譲らない。

 そして何を思ったか、ポンポンと自分の太ももを叩いた。

​「……ここへ」

「はい?」

「誰も見ていません。少しの間、頭を休めてください」

​ 俺は眉をひそめた。

 この状況で、このジェスチャー。いわゆる『膝枕』というやつだ。

 姫と軍師。雇い主と被雇用者。

 昨日の今日で距離が縮まったとはいえ、これは距離感の設定を間違えていないか?

​「姫様、お気持ちはありがたいですが、立場上そのような――」

「今は誰も見ていません。それに、あなたが休まないと困るのは私です。……お願いします」

​ 姫は真剣な瞳で俺を見据えた。

 その目には、頑固な意志と、隠しきれない不安が混ざっている。

 ……そうか。怖いのは彼女も同じだ。何かしら他人の温もりに触れていたいのかもしれない。

 ここで無下に断るのは、人の道として――そして精神衛生の管理上、得策ではないか。

​ 俺は小さくため息をつき、「では、少しだけ」と降参して、恐る恐る姫の膝に頭を預けた。

​ (……なんだ、これ)

​ 予想外の感触に、思考が一瞬停止する。

 柔らかい。そして、ふわりと香る甘い匂い。

 戦場の血生臭さや火薬の匂いとは対極にある、平和の象徴のような感覚。

 

 正直、居心地が悪い。

 ときめきというより、罪悪感に近い。

 俺はただの大学生で、ハッタリで軍師を演じているだけの詐欺師みたいなもんだ。

 そんな男が、こんな純粋な王女様の聖域に触れていいわけがない。

​ 俺は身を硬くして、天井のシミを見つめた。

 どうすればいい? 何を話せばいい? 

 戦術論ならいくらでも語れるが、この状況に対する正解(マニュアル)を俺は持っていない。

​「……力が抜けませんね、カズヤ様」

「慣れていないもので」

「ふふ、可愛いところもあるのですね」

​ 姫の細い指が、俺の髪を梳く。

 母のような、慈愛に満ちた手つき。

 俺は「可愛い」という評価に反論しようとしたが、喉の奥がつかえて声が出なかった。

 ……悔しいが、強制的なリラックス効果はあるようだ。

 張り詰めていた神経が、本人の意思とは裏腹に、物理的に解けていく。

​「カズヤ様。……もし明日、勝つことができたら」

「勝てたら?」

「一つだけ、私のお願いを聞いてくださいますか?」

​ 姫の声が、少し震えていた。

 俺は薄目を開けて、逆さまになった姫の顔を見上げた。

 彼女はどこか恥ずかしそうに、けれど決意を秘めた瞳で俺を見下ろしている。

​ (……まいったな)

​ その瞳の意味するところを察せないほど、俺は鈍感ではない。

 だが、今の俺にそれを受け止める資格はないし、余裕もない。

 それでも――この願いが、彼女が明日を生き抜くための「希望(アンカー)」になるのなら。

​「……内容によりますが」

「無理難題ではありません。カズヤ様にしか、できないことです」

「そうですか。……分かりました。予約済みとして承ります」

​ 俺の素っ気ない、業務的な返答。

 それでも、姫は嬉しそうに「はい」と微笑んだ。

​ 俺は再び目を閉じた。

 恋愛感情なんて贅沢なものは、まだよく分からない。

 だが、この柔らかくて温かい場所を守るためなら、死ぬ気で脳みそを回してやる。

 

 これは契約だ。

 この温もりの対価として、俺は必ず彼女を勝利へ導く。

 そう自分に言い聞かせると、俺は泥のような仮眠へと落ちていった。

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