第11話 発酵は異端、ただし食べた司祭は例外だった

 異変は、森から始まった。



「……においが、する」


 最初に気づいたのは、エルフだった。


 森の奥。

 長命で、自然と共に生き、基本的に人間の文化を「雑音」として扱う種族。


 その彼らが、足を止めた。


「これは……腐敗ではない」

「だが、熟成とも違う」

「甘い……?」


 鼻の利くエルフにとって、発酵臭は致命的だった。

 理解できない匂いは、警戒対象である。


 だが――


「腹が……減るな」


 そう呟いた瞬間、もう終わっていた。



 同時刻。


 山岳地帯では、ドワーフが同じことを言っていた。


「……この香り、酒に合う」


 彼らは気づくのが早すぎた。


 鍛冶と酒の民族。

 発酵文化と相性が悪いはずがない。


「なあ、これ……豆か?」


「豆だな」


「糸引いてるが」


「引いてるな」


「……うまい」


 納豆だった。


 この時点で、世界の均衡は完全に崩れている。



 さらに。


 獣人の集落。


「くっさ!!」


「でも……元気出る」


「なんか……毛艶良くなってない?」


 発酵食品は、獣人にとってバフの塊だった。


 もやし。

 納豆。

 ヨーグルト。

 チーズ。


 全てが「種族特効付き回復アイテム」扱いになった。



 結果。


 三日後。


 俺の住処の前には、とんでもない光景が広がっていた。


「……なにこれ」


 行列。


 いや、種族博覧会だ。


 エルフ。

 ドワーフ。

 獣人。

 聞いたことのない異人。

 角がある。

 耳が三つある。

 なぜか半透明。


 全員、真剣な顔で並んでいる。


「発酵もやし神様……」

「白き芽の主……」

「豆の導師……」


 名前が、また増えた。


「ちょっと待て」


 俺は両手を上げた。


「俺、作ってるの飯だから」

「信仰とかじゃないから」


「はい!」


 即答。


 話を聞く気がない。



「これ、納豆の作り方なんですけど」


 説明しようとした瞬間。


「写させてください!!」


 エルフが魔法で記録。

 ドワーフが石板に刻印。

 獣人が壁に爪で彫刻。


 文明が一斉に動いた。


「やめろ!!」


 止める間もなく、発酵技術は世界に拡散した。



 一方、その頃。


 王都サンクティア。


 神殿は、静かに燃えていた。


 炎ではない。

 内部告発で。


「……司祭長」


 若い神官が、震える声で言った。


「告発文が……」


「また異端か?」


「いえ……」


 紙を差し出す。


『告発

 第三区画地下倉庫にて

 禁止発酵食品の隠匿・私的摂取を確認』


「……なに?」



 地下倉庫。


 扉を開けた瞬間、全員が固まった。


 におい。


 間違いない。


「……納豆だ」


 棚一面。

 壺。

 桶。

 石箱。


 司祭たちの非常食だった。


「誰が……」


 その時、奥から声。


「や、やめろ……」


 現れたのは、中堅司祭。


 口元に、糸。


「……お前か」


「ち、違うんです!」


 即座に言い訳が始まる。


「最初は検証です!」

「異端かどうか調べるために!」

「でも……その……」


「うまかった、と?」


 沈黙。


 神殿が、音を立てて崩れた。



「発酵は異端だと言ったな」


 司祭長の声は低い。


「だが、お前たちは食っている」


「……」


「しかも、隠れて」


「……」


「しかも、健康になっている」


 完全に詰んでいた。



 その日のうちに、噂は王都中を駆け巡った。


「神殿、納豆食ってた」

「異端って言いながら自分たちは」

「糸引いてたらしいぞ」


 笑い話として。

 怒り話として。

 裏切り話として。


 信頼は、一気に失われた。



 再び、俺の元。


「……王都、荒れてるらしいな」


 行商人が言う。


「神殿が信用されてない」

「発酵食品、裏で流通してる」


「へぇ……」


 俺は、もやしを茹でていた。


「で、これ、どうします?」


 新しい種族が差し出す。


 発酵済み高級肉。

 謎の果実ヨーグルト。

 納豆入りチーズ。


「……食える?」


「はい!」


 じゃあ、いい。



 その夜。


 女神が降りてきた。


「……ちょっと予想以上だったね」


「だろうな」


「でもほら、文化ってそういうものだし!」


 逃げ腰。


「次は何持ってくる気だ」


「えっ……」


 女神は目を逸らす。


 背後に、袋。


 中身。


「……味噌?」


「……はい」


「なんで毎回食文化破壊兵器なんだよ!!」


 叫びは、夜空に響いた。



 こうして。


 異種族は発酵に目覚め。

 神殿は自爆し。

 王都サンクティアは混乱に包まれ。


 俺は今日も、無職だ。


 名前はない。

 称号は増える。


「発酵無職もやし神」


 やめろ。


 頼むから。


 俺は、飯を作っているだけだ。

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