第8話 発酵は異端。もやしは復活。

事の始まりは、俺が何気なく言った一言だった。


「……あ、これ発酵させたら、もっと美味いな」


 それを聞いた“誰か”が、

 それを“聞かなかったことにしなかった”。



 翌朝。


 廃小屋の周囲に、音がなかった。


 鳥が鳴かない。

 風も止んでいる。


 嫌な予感がして、外に出た瞬間――理解した。


 囲まれている。


 神殿印の結界。

 その外側に、王国騎士団。


 村人の姿はない。

 近づけないように、完全に遮断されていた。


「……本気だな」


 ローブの一団が、結界を抜けて入ってくる。


 昨日の使者とは別の顔。

 より位が高い。


「王都サンクティア神殿、審問官だ」


 名乗りだけで、威圧があった。


「貴様を、異端思想流布の疑いにより拘束する」


「裁判は?」


「これからだ」


 有無を言わせない。


 俺は、もやし畑を一度だけ振り返った。


 封印札。

 誰も触れない。


 村人の声は、聞こえなかった。



 王都サンクティア。


 神殿前広場は、人で埋まっていた。


 鐘が鳴り続けている。


 高台に設けられた磔台。

 最初から、用意されていた。


 神官が宣言する。


「――発酵は、異端である」


 群衆がどよめく。


「発酵とは、腐敗である」

「腐敗とは、堕落である」

「堕落とは、神意への反逆である」


 三段論法が雑だが、

 理屈の正しさは、ここでは関係ない。


「よって宣言する!」


 声が響く。


「無職もやし神が持ち込んだ

 “発酵という概念”を

 世界秩序撹乱思想として異端指定する!」


 概念ごと、殺す気だった。


 俺は縛られ、磔台に固定される。


「待て待て待て」


「異端には、象徴的処罰が必要だ」


 審問官の声は冷たい。


「これは見せしめであり」

「浄化であり」

「再発防止だ」


 聞き慣れた言葉だ。


 だが今回は、笑えなかった。



 時間が、長い。


 磔は、すぐには殺さない。


 太陽が動き、

 体力が削られ、

 意識が遠のいていく。


「……腹、減ったな」


 思考がどうでもよくなってきた、その時。


 ――何かが、当たった。


 乾燥もやし。


 誰かが、群衆の隙間から投げたらしい。


 俺は、反射で口に入れた。


 次の瞬間。


 痛みが引いた。

 血が止まった。

 呼吸が楽になる。


「……あれ?」


 神官が叫ぶ。


「なぜだ!」


「……もやしですけど?」


 沈黙。


 次に起きたのは、恐怖だった。


「回復している……」

「祝福を経ずに……」

「処刑中に……?」


 群衆がざわめく。


「磔から回復した」

「異端が生きている」

「奇跡だ……!」


 神殿側が、焦った。


「記録しろ!」

「見たことは書くな!」

「“見えなかった”ことにしろ!」


 声が重なる。



 その日の夜。


 神殿は公式声明を出した。


『異端・無職もやし神は

 象徴的処刑をもって浄化された』


『復活と見えた現象は

 群衆の錯覚である』


『発酵思想は

 引き続き危険思想として監視対象とする』


 ――要するに。


 死んだことにした。


 事実より、書類が優先される世界だ。



 一方、街では別の噂が広がっていた。


「処刑されたはずなのに、生きていた」

「もやしで回復した」

「発酵は、命を巡らせる力だ」


 真実は、二つに分かれた。


 神殿の記録と、

 民の記憶。


 俺自身だけが、

 その両方の間に立っていた。


「……いや、俺が一番わかってないんだけど」


 無職。

 名前なし。

 処刑済み(公式)。


 同時に――


 復活した異端。

 発酵をもたらした存在。


 世界はもう、

 後戻りできないところまで来ていた。


 俺が望んだのは、

 ただ腹いっぱい食って生きることだけだったのに。

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