第2話 雪に埋もれた誘惑

 雪崩によって閉ざされた氷の洞窟。

 その吹き溜まりから幼竜バレットが掘り出したのは、まごうことなき黄金のランプだった。


 古めかしい装飾が施された真鍮しんちゅう製のオイルランプ。

 だがその表面から立ち上る魔力の揺らぎは尋常ではない。ヴェロニカが顔をしかめて後ずさるほどだ。


「……嫌な予感がしますね」


 俺は眉をひそめた。

 こんな辺境の、しかも氷の下深くに埋もれていた古代遺物。ろくなものであるはずがない。

 だがバレットは気に入ったのか、ランプの表面に自分の身体を擦り付けて「キュゥキュゥ」と鳴いている。摩擦熱で温めようとしているらしい。


 その時だった。

 ランプの注ぎ口から猛烈な勢いで赤紫色の煙が噴き出した。


「下がれッ!有毒ガスかもしれない!」


 俺の警告と共にリーゼロッテが前に出て盾を構える。セツナが俺を抱えて後方へ飛び退く。

 だが煙は拡散せず空中でとぐろを巻き、やがてひとつの巨大な人型を形成した。

 筋肉隆々とした上半身。下半身は煙の尾。

 古の伝承に語られる、強大な魔力を持った精霊――「魔人ジン」の姿だ。


『……我が封印を解きし者よ』


 腹の底に響くような重低音が洞窟を震わせる。


『久方ぶりの外気だ。礼を言おう、小さき人間たちよ』

「……どういたしまして。あいにくですが意図して起こしたわけではありませんよ」


 俺はドレスの埃を払いながら油断なく距離を取る。

 相手からは凄まじいプレッシャーを感じる。実体を持たない高エネルギー体。パイルバンカーの物理攻撃が効くかどうか怪しい相手だ。


『謙遜するな。……我は全能なる魔人。我を目覚めさせた褒美に願いを叶えてやろう』


 魔人は尊大に腕を組んだ。


『富か?名声か?あるいは強大なる力か?願えば望むままに与えよう』


「結構です。間に合っています」


 俺は即答した。

 この手の超常的存在が持ちかける取引には必ず裏がある。「タダより高いものはない」というのは俺が生前骨身に染みて学んだ教訓だ。


『欲のない娘だ。……ならば理想の国はどうだ?』


 魔人が腕を振るうと空中に幻影が浮かび上がる。

 そこには一年中花が咲き乱れ、飢えも争いもない美しい王都の姿が映し出されていた。


『こんな吹雪の最果てなど捨ててしまえ。お前たちだけの、何一つ不自由のない楽園ユートピアをここに創り出してやろう。支配するもよし、安寧に暮らすもよし。望む形の国家を手に入れろ』


 ヒロインたちが息を呑む。

 確かに魅力的な提案だ。この極寒の地獄から、瞬きする間に楽園へ行けるというのだから。

 だが。


「……馬鹿馬鹿しい」


 俺は鼻で笑い飛ばした。


「苦労せずに手に入れた国に何の意味があるのですか?」

『何?』

「私は自分の足で歩き自分の手で勝ち取ったものしか信じません。誰かに与えられた箱庭で飼い殺されるなど死んでも御免です」


 俺の言葉にリーゼロッテがハッとして背筋を伸ばした。ヴェロニカがニヤリと口角を上げ、セツナが「……ん。楽園いらない」と頷く。

 さすがは俺の共犯者たちだ。飼い犬になる気など毛頭ないらしい。


「それにその理想郷を作るためのエネルギー《対価》はどこから持ってくるのです?……どうせ私たちの魂でしょう?」


 図星だったらしい。魔人の目が怪しく光った。


『……生意気な小娘だ。人間風情が我が慈悲を拒絶するとは』


 洞窟内の空気が一変する。

 穏やかだった魔人の威圧感が明確な敵意へと変わった。

 周囲の氷壁がメキメキと音を立ててせり出し、唯一の脱出ルートであった天井のクレバスを完全に塞いでしまった。


『帰すわけには行かぬ。……折角の最上級の魂だ。我が糧となるまで、ここで永遠に夢を見せてやろう』


「夢……ですか?」

『そうだ。国家が不要ならば個へと問おう』


 魔人の姿がブレて不定形の霧となる。

 その霧は俺――セレスティアの周囲を取り囲み、耳元で粘着質に囁き始めた。


『見えるぞ。……お前の魂のいびつさが。肉体と精神の不一致。不便だろう?苦しいだろう?』


 心臓がドクンと跳ねた。

 こいつ、俺の魂がこの少女の器とは別の「何か(男)」であることを見抜いているのか。


『戻してやろうか?……お前の、本来あるべき姿へ』


 魔人の霧が、俺の目の前で鏡のように像を結ぶ。

 そこに映し出されたのは、銀髪の美少女ではない。

 無精髭を生やし、疲れきった目で安タバコを咥えている泥臭い中年軍人の姿だった。


「ッ……!?」

「聖女様……?」


 リーゼロッテがいぶかしげに俺を見る。彼女たちにはその幻影が見えていないらしい。

 これは俺の心の中だけに投影された悪魔の誘惑だ。


『願え。聖女の肉体と引き換えに失われた四十八年の年月と、最強の肉体を返してやると』


 俺の喉が渇く。

 男の体。

 パイルバンカーの反動をものともせず、好きなだけ煙草を吸い女を抱き、泥の中で眠れる頑強な肉体。

 それは今の俺が喉から手が出るほど欲しているものだ。

 この「お飾り」の聖女という檻から抜け出せるチャンス。


「俺は……」


 無意識に、俺の唇が震えた。

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