第3話 最悪

「あ、世界史係の人。柴田先生が呼んでたからHRが終わった行くように。はいじゃあ挨拶」


 食後の眠気と、どんよりとした天気のせいで、午後の授業は睡魔が猛威を振るっていた。


 いくら金曜日の午後とは言えど、この天気とお昼ご飯のダブルパンチにより、午後の教室はとても静かなものだった。


 が、それも過去のお話。授業とHRが終わった今、教室はどんちゃん騒ぎ。


 部活動に嬉々として向かう生徒と、土日の予定について話し合う生徒で溢れかえっていた。


「桔梗、行こっか」

「うん、そうだね」


 そんな喧噪の最中、俺は桔梗と共に教室を後にする。俺と桔梗は世界史係であり、謎に呼び出しをしてきた柴田先生の元へと向かわなくてはならないのだ。


「なんの呼び出しだろうね。……も、もしかして怒られたりとか?」

「大丈夫だよ。どうせ何か運ぶのを手伝って欲しいとかそういう感じだと思うし」


 不安がる桔梗に問題ないと伝えながら、職員室へ向かう。


 呼び出された用件は俺の予想とほぼ同じ。来週の授業で使う資料を作ったから教室に運べとのお達しだ。


 それくらい自分でやってくれないかという気持ちも無い訳ではないが、普段の仕事量が少ないからこれくらいは働かないといけない。


 そう勝手に結論を出した俺は先生からプリントを受け取り、教室へと向かう。


「ま、真白ちゃん大丈夫?もうちょっと持つよ?」

「だ、大丈夫……ちょっと重いだけだから……」


 あの先生……どんだけ資料作ってんだよ!


 自分の胸の前にある大量の紙に毒を吐く。


 桔梗と半分にしてこれってまじ?俺の力が無さすぎるのは問題だけど、それにしても多すぎない?もはや教科書いらないレベルだろ。


 何とか教室に運び終えたものの、あまりの重労働に俺はしばしの休憩を強いられることになる。


 これに関しては俺が運動してなさすぎなのが問題のため、誰にも文句を言えない。


 せめて言い訳をするのであれば、筋トレをすると男だとバレる可能性が高まるから、俺が非力なもやしなのは致し方ない事なのです。


「よし、体力回復したっ!」

「もういいの?大丈夫?」

「うん、待たせちゃってごめんね桔梗?」

「ううん、大丈夫。真白ちゃんと話すのすごく楽しいから」 

 

 うおっ……なんだ?今日はなんか一段とデレが多くないか?話し方とかその他諸々のせいで根暗に見えるけど、顔は普通に良いからなこの子。


「そっか……それじゃ帰ろっか」

「うん」


 金曜日ということもあり、教室に残る生徒はほとんどいない。


 静かで薄暗い廊下に、しとしとと雨の降る音が響く。もしここにお布団があれば、心地よく夢の世界に旅立てたことだろう。


「雨止まないね」

「だねぇ……。申し訳ないけど途中までお邪魔させてもらっても良い?」

「もちろんだよっ!……真白ちゃんと相合傘……ふへっ」


 ……後半の言葉は聞こえなかったことにしよう。


「真白ちゃんと雨の中で二人きり。密着して一杯お喋りして……」

 

 俺と相合傘をするシチュエーションが刺さったのか、自分の世界に入り込んでしまった桔梗。


 彼女の足取りは自然と遅くなり、そして不安定になる。

 

「それで真白ちゃんともっと──きゃっ!?」


 さらに悪い事に、雨の影響か廊下が普段よりも滑りやすくなっていた。


 おぼつかない足取り、滑りやすい床。2つのデバフがかかっているせいか、桔梗は階段を踏み外し、大きくバランスを崩してしまう。


「桔梗っ!」


 先に階段の踊り場に到着していた俺は、頭から倒れてくる桔梗の身体を急いで抱き止める。


 が、体に加わる衝撃を上手く逃す術を持ち合わせているはずも無く、桔梗を抱き止めた俺はそのまま床に倒れこんでしまう。


「つっ!!」

 

 背中全体に鈍い痛みが走る。頭を床に打ち付けなかったのは不幸中の幸いと言えるだろう。


「いたた……はっ!だ、大丈夫真白ちゃん!?」


 俺の上に跨りながら顔を覗いてくる桔梗。彼女の顔は取り返しのつかないことをしてしまったと言わんばかりに、焦りや不安、恐怖の感情で彩られていた。


「だ、大丈夫だよ……ちょっと背中は痛いけど」

「ごめんなさい……ごめんなさい……私のせいで、私のせいで……」

「気にしないで良いよ桔梗。桔梗が無事で良かった」


 笑みを浮かべ、彼女に問題ないと伝えるも、桔梗の謝罪、反省、そして自己嫌悪が止まる気配は見えない。


「真白ちゃんを傷つけちゃった。私が足元に気を付けてればこんなことにはならなかったのに。そうだよね、私みたいな陰キャで根暗でオタクな女が真白ちゃんみたいな可愛い女の子と仲良くするなんてやっぱりおかしな話だったよね。だって私が居なければ真白ちゃんが痛い思いをすることは無かったんだもん。ごめんなさい真白ちゃん。これからは真白ちゃんに近づかないようにするから許してください」


 おおう。なんというネガティブ。出会って1か月ちょい、癖のある子だなぁとは思っていたが、まさかここまでとは。


 とりあえずどいて欲しいところだが、ここでそれを言うと桔梗は良くない方向に捉えるに違いない。


 ひとまずは彼女のメンタルケアが先か。このまま桔梗との関係が無くなるのは俺としても困る。俺の平穏な学校生活のために桔梗は必要なのだ。


「ごめんなさい真白ちゃん。本当にごめんなさ──んぐっ?」


 先程から自分を傷つけ、後ろ向きな発言ばかりする桔梗の口を手で塞ぐ。


 いきなりの事でびっくりしたのか、大きく見開かれた黒い瞳と俺の水色の瞳がぶつかる。


「桔梗。それ以上はやめて。私が桔梗と居るのは同情とかそういうのじゃない。私は一緒に居て楽しいから……桔梗と話したり、遊んだりするのが好きだから友達になったの。だからそれ以上自分を悪く言わないで。桔梗を……私の大切な友達をそれ以上悪く言わないで」


 1秒たりとも桔梗から視線を離さない。彼女の黒曜石の様に綺麗な瞳が揺れようとも、彼女が苦しそうな、泣きそうな顔をしても。俺は彼女の瞳を見つめ続けた。


 ……やばい。ちょっと気まずくなってきたかも。


 恥ずかしい事を言ってしまったと自覚した俺は、自ら作り上げたソワソワが止まらない空気を変えるべく、桔梗の口を塞いでいた手をゆっくりと離す。


 時間にして十数秒。しかし、それが何十倍何百倍も引き延ばされたような感覚を覚える。


 そしてそれと同時に、何百倍も濃縮された気まずさが俺の心をかき乱してくる。


 やばい!今すぐ逃げ出したいっ!でも馬乗りされてるから逃げれない!誰かぁ!助けてぇ!!

 

「真白……ちゃん……ごめ──」


 嗚咽と共に謝罪の言葉を吐きそうになった桔梗。俺は彼女の口を今度は人差し指で優しく抑える。


 ええい、ここまで来たら最後まで走り切ってやる!こんな恥ずかしいセリフを言う機会なんて滅多にない。ここは日和らずに倍プッシュだ!

 

「桔梗。ごめん、じゃないでしょ?」


 はずぅ!前世の俺だったら間違いなく3日は寝込んでたわ!


 ……でも安心して欲しい、今の俺はめちゃくちゃ可愛い美少女with銀髪。


 中身はおっさんとお兄さんの狭間で生きる悲しい生き物だとしても、見た目はアニメもびっくりなほどのかわちい女の子なのだ!


 俺は目じりを下げ、全ての罪を受け入れる聖母の様な柔らかい笑みを浮かべる。

 

「……あり、がと……真白ちゃん」

「うん、どういたしまして」

「うぅ……まじろぢゃあああああん!!!」

「ふげぇ!?」


 再び背中に衝撃が走る。桔梗が俺に覆いかぶさるように抱き着いてきたのだ。


 人の温もりと重さが身体全体に伝わる。重いなという感想が真っ先に思い浮かんだが、その感想は心地よいかもという感想へと変わっていく。


 まったく、困った友達ですこと。


「はいはい、よしよし」


 俺は泣きじゃくる大きな子供の頭を、気持ちが落ち着くまで撫で続ける。


「うぅ……ご、ごめんね真白ちゃん。迷惑、だったよね?」

「大丈夫だよ桔梗。それに友達なんだから迷惑の一つや二つくらいどうってことないよ」

「そっか……えへ、えへへへ。ありがと、真白ちゃん」


 目元は腫れているが、嬉しそうに笑う桔梗の笑顔。この感じならもうメンタルケアは要らなさそうだ。


 桔梗は俺にとって都合のいい存在なのだ。オタク趣味を持ち、目立たない。俺が男だとバレるリスクを最小限にしつつ、前世の様な楽しい時間を過ごせる存在。


 桔梗にはこのままオタク趣味を持ち、俺の事を大事な友達だと思っている根暗な女の子で居て貰わないといけない。そのためなら多少の痛みや犠牲は安いものだ。


「さて桔梗、そろそろ私から降りてくれる?私筋力ないから、体の限界が近いんだよね」

「あっ!ご、ごめんね真白ちゃん!?すぐ降りるから──」

「ひゃあ!?」

 

 桔梗が俺の身体から降りようとした次の瞬間、体に……正確に言うと下半身に電流が流れる。


 それと同時に俺の口からは自分でも出したことの無いような嬌声が漏れ出てしまう。咄嗟に口を抑えたものの、時すでにお寿司……じゃなくて遅し。


「この感触……何だろう……?」

「んっ!?ちょっ、桔梗やめっ──」


 起き上がろうとした際に、俺の下腹部に手を置こうとしたのだろう。


 しかし、俺のお腹からやや下に置かれた彼女の右手はぐにぐに、ぐにぐにと俺の俺をまさぐり始める。


 初めての感覚から俺の身体は逃れるようにビクビクと大きく揺れるが、俺の身体には未だ桔梗の体重が掛かっており、上手く逃げることが出来ない。


 最初は不思議そうに首を傾げていた桔梗だったが、まさぐったおかげで解像度が上がったのか、徐々に触れている物が何なのかを理解し始める。


 そしてついに──


「……へ?これって……え、あえ!?」 


 俺の鼠径部に置かれていた手が動きを止める。同時に桔梗の驚きの声が廊下に響き渡る。


「えっ……えっ……。ある……つ、ついてる!?えっ……えええええええ!?!?」 


 ……最悪だ。


 俺は右手を顔に当て、大きくため息を吐く。まさかこんな形でバレるとは……今までバレない様にしてきたのに……。


「へ、あ、えぇ……?」

「……桔梗、ちょっとどいてくれる?」

「あ、うん。ごめん……」


 未だ状況を理解しきれていない桔梗をどかし、俺はゆっくりと起き上がる。桔梗の視線は自分の右手と俺を交互に行き来している。

 

「……じゃあね桔梗!」

「え、あ、真白ちゃん!?」


 俺は床に置かれたカバンを奪うようにして手に取り、そのまま全力で階段を降り、校舎の外に駆け出した。


「ああ、もう!最悪だああああああ!!」


 俺の絶望を乗せた叫び声は、雨の音で掻き消されるのであった。

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