第2話 雨時々台風
普段であれば太陽の光が教室を照らしていてもおかしくない時間帯だが、空は灰色の雲で覆われ、太陽が顔を覗かせる隙間が全くない。
電気のついた教室で、授業を右から左へと流しながら窓の景色を眺める。
雨が降りそうな気配はしているが、俺の予想に反して雨が降ることは無い。
まぁ俺は雨が好きじゃないから良いんだけどね。ちなみに理由は単純、傘で手が塞がるから。
授業を終え、しばしの休み時間が訪れる。
普段であれば、先ほどの授業、あるいはこれからの授業への不満や文句がそこかしこから流れてくるのだが、今日はネガティブな言葉があまり多くない。
それどころか教室の雰囲気はどこか明るい。それもそのはず、今日は待ちに待った金曜日。
空腹を少し我慢してから食べるご飯が美味しいように、今日1日を耐え抜き、迎え入れる土日の幸福感は凄まじいだろう。
「ま、俺は基本外出ないから関係ないんだけどね」
「真白ちゃん何か言った?」
授業中と同じように、窓の外を見ながらぽつりと呟くと、横から声が掛かる。
一人称を「私」ではなく、「俺」にしていたため、一瞬心臓が嫌な音を奏でる。
しかし、そのことについて桔梗に言及されなかったため、俺は平静を装いながら、にこりと笑みを浮かべる。
「ん?ああ、うん。この後雨降りそうだなぁって思って」
「確かに。今日天気悪いもんね。でも天気予報だと雨は降らないらしいよ?」
「良かった。私今日傘持ってきてないから」
「ふふ、もし雨が降った時は安心して?私、折り畳み傘持ってるから」
「その時はお願いしようかな」
「任せて!真白ちゃんのことは責任を持って家まで送るから!」
俺に頼られたのが嬉しいのか、食い入るように俺の言葉に返事をする桔梗に、思わず笑みが零れる。なんだろう、すごい犬みたいだなぁ。
桔梗の懸命さと可愛さに癒された俺は、その後の授業も難なくこなしていく。
頑張るわけではないが、居眠りをして先生に怒られるなんてへまはしないように、適度に手を動かしつつ、ぼんやりと時が過のを待った。
「わぁ、雨すごいね~」
「だね。この様子だと帰りは桔梗に頼ることになっちゃうかも」
「天気予報ってやっぱりあてにならないんだね……。ごめんね真白ちゃん、真白ちゃんの期待を裏切るような発言をしちゃって」
「大丈夫だよ。それに帰りは桔梗のお世話になると思うから、その時はよろしくね?」
桔梗と共に廊下の窓から外の景色を眺める。お昼休みを迎える少し前辺りから、外では雨が降っていた。
先ほどまではそこまでではなかったのだが、今はざぁざぁとすごい勢いで雨が降っていた。
「き、桔梗お姉ちゃんに任せなさい!」
「ふふ、なら傘にお邪魔する時は桔梗お姉ちゃんって呼んだ方が良いかな?」
「それは……ありかもしれない。え、真白ちゃんにお姉ちゃんって呼ばれるなんて幸せ過ぎない?うわ、というかさっきの言葉録音しとけばよかった。帰りは雨のせいで雑音が入っちゃうし、最後のチャンスだったかも──」
「き、桔梗……?」
何が原因でスイッチが入ったのかは分からないが、いきなりぶつぶつと独り言を詠唱し始める桔梗に俺は困惑する。
彼女がオタク特有の早口を披露するところは何度も見てきているが、ここまでの独り言は聞いたことが無い。
「あの、ききょ──」
「まっしろちゃーん!!」
「ふぎゃっ!?」
桔梗に声を掛け、彼女の正気を取り戻そうとした次の瞬間、俺の側面から衝撃が加わり、思わず転びそうになる。
「ああ、真白ちゃん……。真白ちゃんは今日も可愛いね。ほっぺすりすりしたいくらいだよ」
「しながら言わないでもらえる?……はぁ、相変わらず風花は元気だね」
「えへへ~それほどでも~」
「ちょっ、いい加減離れ──くっ、力が強いっ……!」
「むふふ、真白ちゃんの力じゃ私を振りほどけないのは証明済み。つまり、真白ちゃんは私が満足するまでぎゅってされるしかないのだ~!」
猫の様に体を擦り付けてくるこの少女は
赤茶色をしたセミロングの髪と、翡翠色の瞳が特徴的な少女であり、非常に活発で人懐っこい性格をしている。
まぁこれに関しては俺にタックルをかまして来た時点で、何となく察しが付くだろう。
女の子に抱き着かれるというのは悪い気はしない。しかしこれはこれ、それはそれ。
ここで抱き着かれてまんざらでもない態度を取ると、今後風花のスキンシップはより過剰な物になる。廊下ですれ違う度にそんなことをされては面倒極まりない。
俺は風花を傷つけない様に、それでいて出来る限りの力を込めて風花を引き剥がそうとする。が、しかし──。
「ぐぬぬぬ……」
「んふふ~、頑張ってる真白ちゃんもか・わ・い・い!」
運動部に所属している彼女と、体育以外で全く運動をしない帰宅部の俺とでは筋力の差は歴然。
俺を抱きしめる彼女を引き剥がそうと試みるも、その悉くが失敗に終わる。
さらに俺の抵抗している姿は、彼女を刺激してしまうらしく、抵抗すればするほど俺へのスキンシップがどんどん過剰になっていく。
まさか学校の廊下で蟻地獄にはまるとは……誰か……誰か助けてー!!
「は、離れてくださいっ!!」
「おっとっと……もう、ちょっとしたスキンシップだって。あんまり怒んないでよ桔梗ちゃ~ん」
先ほどまで自分の世界に入り込んでいた桔梗が、俺と風花の間に割って入る。
その際、桔梗が風花の肩を結構な力で押したのだが、流石は運動部といったところか、押された程度ではバランスが崩れることはない。
「ま、真白ちゃんが嫌がってる事をする方が悪いですっ!……それに私だってまだそんなこと出来てないのに」
「そんなに独占欲が強いと嫌われちゃうぞ~?」
「嫌われ……そ、そうですよね。真白ちゃんみたいに可愛い女の子が私みたいな子と仲良くするなんて普通ありえないですよね。これはきっと真白ちゃんが優しい性格をしているから、お情けで私と絡んでるだけであって、本当は綾瀬さんみたいに可愛くて明るい女の子と一緒に居たいと思ってるんですよね。あは、あははは。私ってキモい勘違いオタクですよね。結局私一人教室の隅でスマホをいじってたらいいんですよね」
「あーもう……!よしよーし、大丈夫だよー!桔梗は私の友達だからねー?いつも仲良くしてくれてすごく嬉しいからね~?だから戻って来てくれると嬉しいかな~?」
風花の……陽キャの何気ない一言に致命傷を負ってしまった桔梗。俺は呪詛を唱える彼女の頭を優しく撫でながら、子供をあやす様に優しく明るい言葉を投げかける。
「高校生になっても結局私は──ん……真白ちゃんが私を……えへ、えへへへへへ」
「いや~、機嫌が治ったようで何より何より」
「……一体誰のせいでこうなったと思ってるのさ」
「真白ちゃんかな?じゃ、真白ちゃん成分も補給できたし学食行ってくるから。まったね~」
「はぁ……うん、またね風花」
手をひらひらと振りながら、元気に廊下を駆けて行った少女を、撫でていない方の手を振りながら見送る。
台風みたいな女だな……おかげですごい疲れたわ。
「真白ちゃんの手、真白ちゃんの匂い、真白ちゃんのなでなで……ふふ、ふひひ……ふえへっへへへへへ」
恍惚な笑みを浮かべながら、特徴的な……包み隠さずに言うと気持ちの悪い笑い声をあげる桔梗。さて、この子をどうしたものかなぁ……。
「桔梗さーん?聞こえますかー?」
「ふへ……へ?あ、うん!どうしたの真白ちゃん?」
「ほら、教室に戻ってご飯食べよ?私もうお腹ぺこぺこだからさ」
「う、うん!そうだね、それじゃあ行こっか……あっ」
教室へ向かうために、桔梗の頭に乗せていた手をどける。すると桔梗は今にも「くぅん」と鳴きだしそうなほど悲しそうな表情を浮かべる。
ぐっ……やめてくれ、なんで頭を撫でられただけでそんな悲しそうな顔をしているんだ!
「もう……また今度撫でてあげるから。ほら行こ?」
「……うんっ!!」
苦笑を浮かべながら、桔梗の頭をぽんぽんと優しく叩く。桔梗は嬉しそうに笑った。隣を歩く桔梗の距離感がいつもより近く感じたのはきっと気のせいではないはず。
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