第3話 追われる存在


「――逃げるよ」


イーラの声は、

低く、

しかし迷いがなかった。


ラグが答えるより先に、

地面が軋む音が強くなる。


ガルド・ゼイオンが、

一歩前に出た。


それだけで、

空気が重くなる。


膝が、

自然と折れそうになる。


重力制御。


異能の中でも、

戦闘向きの能力だ。


「許可なく遺跡で異能を発動した」


ガルドの声は冷たい。


「その事実だけで、

 拘束理由として十分だ」


イーラは歯を噛みしめ、

ラグの腕を引いた。


「走って!」


次の瞬間、

視界が揺れる。


イーラの能力が、

逃走経路を瞬時に示した。


瓦礫の隙間。

崩れかけた通路。

影になる場所。


ラグは、

考えるより先に走っていた。


背後で、

地面が砕ける音がする。


ガルドが、

重力を叩きつけたのだ。


「……っ!」


衝撃で、

身体が宙に浮く。


だが、

落ちない。


ラグの視界に、

重力の流れが見えた。


イーラの刻印。


それが、

まだ胸にある。


「右!」


イーラの声に従い、

体をひねる。


次の瞬間、

瓦礫が背後を砕いた。


もし、

一瞬でも遅れていたら。


心臓が、

早鐘を打つ。


「どうして……

 見えるの……」


走りながら、

ラグは呟いた。


「ごめん。

 今は説明できない」


イーラは、

振り返らずに答える。


二人は、

灰の街へ飛び込んだ。


アッシュレイン。


無刻印者たちがひしめく、

文明の影。


人混みに紛れれば、

刻印者は目立つ。


それが、

唯一の逃げ道だった。


「……見失ったか」


ガルドは、

街の入口で足を止めた。


眉一つ、

動かさない。


「いや。

 逃げ場は限られている」


彼は、

通信具を取り出す。


「対象は無刻印者一名」


「刻印異常の可能性あり」


その言葉が、

空気に溶ける。


――終わった。


ラグは、

路地裏で膝をついた。


息が、

苦しい。


胸の刻印が、

脈打つ。


「ラグ……

 大丈夫?」


イーラが、

心配そうに覗き込む。


「……俺、

 何なんだ」


声が、

震えた。


無刻印者だった。


それだけで、

世界の底にいた。


なのに今は、

刻印を奪っている。


どちらにも、

属せない。


「あなたは、

 ラグだよ」


イーラは、

はっきりと言った。


「刻印があってもなくても」


その言葉が、

胸に刺さる。


だが、

現実は優しくない。


「――そこまでだ」


低い声が、

路地に響いた。


別の管理官だ。


刻印者が、

二人。


逃げ道は、

塞がれている。


ラグの胸が、

熱を持つ。


刻印が、

叫んでいる。


喰え。


奪え。


そうすれば、

生き残れる。


ラグは、

一歩前に出た。


「……下がって、

 イーラ」


「ラグ?」


管理官の一人が、

能力を発動させる。


風が、

刃のように唸る。


その瞬間。


ラグの中で、

何かが切り替わった。


視界が、

重なり合う。


風の流れ。

異能の核。


理解してしまう。


刻印を、

喰えば――


そのとき。


「やめなさい」


低く、

枯れた声。


路地の奥から、

一人の男が現れた。


ミルザ。


遺跡案内人。


「その力を使えば、

 二度と戻れん」


ラグは、

足を止める。


管理官たちも、

一瞬動きを止めた。


「……厄介な爺だ」


ミルザは、

ラグを見た。


「生きたいなら、

 今は逃げろ」


次の瞬間、

爆音が路地を包む。


煙。

瓦礫。

混乱。


ラグは、

イーラの手を掴み、

走り出した。


背後で、

文明の秩序が揺れる音がした。


灰の街で、

追われる存在となった少年は、

もう元には戻れない。


それでも――


足は、

止まらなかった。

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