第9話 悲惨な現実


 久しぶりに袖を通したブレザーは、窮屈だった。

 1月8日。俺は、変わり果てた世界で、変わらない通学路を歩いていた。

 すれ違うサラリーマンや学生たちの顔には、一様に疲労と不安の色が濃い。


 校門には普段見かけない警備員が2名立っており、物々しい雰囲気を醸し出している。さすが私立、対応が早い。


 昇降口で上履きに履き替えていると、近くで女子生徒の短い悲鳴が上がった。

 視線を向けると、3年生の先輩が1人、松葉杖をついて歩いていた。

 だが、注目すべきは足ではない。

 三角巾で吊られた右腕――その肘から先が、プッツリと無くなっていた。



「……うわ」


「おい見ろよ、あれ……」



 周囲がざわつく。

 受験のストレス発散か、あるいは一発逆転を狙ったのか。

 どちらにせよ、彼が払った代償はあまりに大きすぎたようだ。あの顔色は、生きているのが不思議なくらいだ。


 さらに、1年生の教室があるフロアからは、啜り泣くような声が漏れてきている。

 噂では、SNSで繋がった1年生のグループが「初心者歓迎ダンジョン」というデマを信じて突入し――7人が入って、戻ってきたのは1人だけだったらしい。

 その一人も、精神に異常をきたして入院中だとか。



「……地獄だな」



 俺は呟き、自分の教室への階段を登った。

 教室のドアを開ける。

 ざわつきが一瞬止まり、視線が俺に集まった。

 ……いや、俺というより、俺の「肩幅」に見入っている気がする。



「よう、蓮。……お前、ダンジョン潜って生きてるのは知ってたが、五体満足で無事に学校来るか。みんな心配だったんだよ」



 声をかけてきたのは、健太だ。

 俺の席の前の椅子に座り、呆れたようにこちらを見上げている。



「みんなには言ってないはずだが?」


「ダンジョンに行ったやつが生存してるかみんな気になってたから、お前が行ったこと言ったんだ。『あいつは生きてるっぽい』って」



 健太は笑っていたが、その目の下には濃いクマがあった。

 俺はため息をついたが、責める気にはなれなかった。クラスの空気がここまで重ければ、少しでも生存情報が欲しかったのだろう。


 健太が視線を、向かい側の教室の方へずらす。

 窓際の席。

 そこには、誰も座っていない。

 インスタで「凸るわw」と投稿していた、隣のクラスの男子生徒の席だ。

 まだ登校時間は早い。今から来る可能性だってあるはずだ。

 だが、向かいのクラス中が「そこ」を意識して、あえて触れないようにしているのが痛いほど伝わってくる。



「……あいつ、アカンかったらしいわ」



 健太が声を潜めて言った。


「警察が捜索したけど、スマホだけ落ちてたって」


「……そうか」



俺は短く答えた。

 驚きはない。準備不足でダンジョンに入ればどうなるか、俺は身を持って知っている。

 もしあの時、遭遇したのがゴブリン以上の化物だったら……俺もこの場にはいなかったかもしれない。

 ただ、日常の隣に「死」が口を開けている現実を、改めて突きつけられた気分だった。


 ***


 始業式は放送で行われた。

 校長の話は要領を得なかったが、結論だけは明確だった。


 一、当面の間、学校への登校は原則禁止とする。

 二、授業は全てオンラインに移行する。

 三、不要不急の外出、特にダンジョン周辺への接近を固く禁じる。


 予想通りの措置だ。

 ざわつく教室の中で、担任が「放課後、運動部は各顧問の元へ集合するように」と付け加えた。


 ***


 放課後。部室棟のミーティングルーム。

 サッカー部の面々は、重苦しい沈黙の中にいた。

 顧問の松本先生が、苦渋の表情で切り出す。



「……単刀直入に言う。高体連から通達があった。春の大会は中止だ」


 部員たちが息を呑む。だが、先生の言葉はそこで終わらなかった。

「それと、今後の部活動についてだが……ガイドラインが決まるまで、活動は全面休止とする。特に――『覚醒者』についてだ」


 先生の視線が、部員たちをなめるように見回す。

「ニュースで見ていると思うが、ダンジョンに接触し、ステータスに目覚めた人間――いわゆる『覚醒者』の身体能力は、常人のそれを遥かに凌駕する。そんな人間が、一般の生徒とコンタクトスポーツを行えばどうなるか」



「……怪我じゃ、済まないですね」



 キャプテンが絞り出すように言った。

 そうだ。今の俺が、全力で健太と競り合ってショルダーチャージをしたら?

 間違いなく、健太の肋骨は粉砕されるだろう。悪ければ内臓破裂だ。

 それはもうスポーツじゃない。殺し合いだ。



「現在、協会の方でも『ステータス検査』の導入が検討されている。もし覚醒していることが判明した場合、公式戦への出場は認められない可能性が高い」



 シン、と部屋が静まり返る。

 その沈黙を破るように、ある部員が手を挙げた。



「先生」


「なんだ、山田、谷川」


「俺、退部します」


「ぼくも」



 部室の空気が凍りついた。

 キャプテンが「はあ!?」と素っ頓狂な声を上げて立ち上がる。



「お前ら、何言うてんねん! まだ決まったわけちゃうやろ!」


「いや、無理だろ」


 山田は淡々と言葉を継いだ。

「周りに怪我させたくないし、大会に出られないなら練習する意味もない。受験勉強に専念したいんで、辞めさせてください」



 山田たちが覚醒者かどうかは分からない。単にこの状況に見切りをつけたリアリストなのかもしれない。

 だが、俺にとっては好都合な流れだ。

 俺は小さく息を吐き、手を挙げた。



「先生。ぼくもおそらく引っかかります。冬休みの間にちょっと鍛えすぎたので」


「……神崎、お前までまさか」



 山田たちは席を立ち、出口へと向かう。

「待て! 待て山田!」


 顧問が慌てて呼び止めた。

「退部は認めん。……とりあえず、『休部』だ。休部扱いでいい」


「先生?」


「まだルールも確定していないんだ。特例措置ができるかもしれない。……とにかく、籍だけは置いておけ。な?」



 必死な形相の顧問と、縋るような目のキャプテン。

 山田たちは顔を見合わせ、俺もポリポリと頭をかいた。



「……わかりました。じゃあ、無期限の休部ってことで」



 ここで揉めるのも時間の無駄だ。

 籍を置いておくだけなら、実害はない。



「悪いな、健太。春の大会、頑張れよ。……あればの話だけど」


「うん。さっき中止って言ってたんよ」



 健太の冷静なツッコミに、俺は苦笑いで返した。

 廊下の窓から見えるグラウンドは、誰もいなくて寒々しい。

 俺はもう、ただの高校生じゃない。

 日常サッカーから、非日常ダンジョンへ。

 軸足は完全に移った。



「さて……帰って情報収集ネットサーフィンの続きだな」



 俺はカバンを担ぎ直し、夕暮れの校舎を後にした。

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