誰にも歌われない人生
僕は趣味で小説を本にして、イベントで売るという自傷行為をやっている。もう、かれこれ三年ほど。いくら出しても、いつだって一冊しか売れないから、それはもうただ印刷費と、イベントへ出るための準備費で赤字も赤字なので、自傷行為と言っても過言ではないからそう表現させてもらう。
継続は力なりと言っても、石の上にも三年という言葉があって、三年続けて一冊しか売れないのだからもうどうしようもない気がしてきている。
一冊は必ず売れているということは、たった一人のファンがいるんじゃないのかって。それはとても素敵なことじゃありませんかって、夢見がちな誰かは言うかもしれないが、残念なことにこの一冊はたった一人のファンではなく、アンチが購入している。しかもさらに残念なことに、身内である。
可愛い妹や弟だったらまだいいが、これがまた白髪のババア。僕の祖母であった。
「新刊、一冊」
「……ありがとうございます」
「しかしまぁ。こんな薄っぺらい本で千円って、強気すぎるんじゃないかね」
お前しか買わないのだから、いっそ一冊に印刷代すべての値段を付けたって構わないんだぞ。そういうことを思いながら、新刊を一冊渡す。ババア――もとい、グランマは新札の千円を僕に渡し、受け取った新刊をトートバッグに入れた。
「感想はまた、家でね」
「……」
──いらねえよクソババア。
僕は内心でそう吐き捨てた。そして今日のイベントも、売れたのはこの一冊だった。値段が高いのは、そうに違いない。だが同人誌というのはどうにも金がかかるし、自分の努力を端金で売りたくない。いつか、誰かが見つけてくれる。そう思って、書き続けているのだ。
僕のは、万人受けしない小説だから。まだ、好きな人が読んでくれていないのだ。そう言い聞かせて、ただ待つ。それを繰り返していた。
◆
「あんたの小説は、本当につまらないね。いいかい、何度言えば分かるかね。小説を買いたい人は、小説が好きなんであって、作者のあんたのことはこれっぽっちも、みそっかすも好きじゃないんだよ。だのにあんたの小説ときたら、あんたの世への愚痴をそれっぽく長々、長々と垂れ流してさ。なんだいこれは。それが人に読んでもらおうって態度かい。よくもまあ、何度も新しい愚痴を世に出せるね。恥を知れ、恥を」
ばあちゃんは、新刊を買った数日後、必ず僕の住んでいるアパートまでやって来て、熱心なアンチ活動をする。実家の味がする夕飯を作りながら。
「うるせえ、ババア。じゃあ買うな。ほんと、なんで毎回イベントに来るんだよ。ババアが来るところじゃないって言ってるだろ。さっさと死ね」
「口が悪いね。だいたい、直接渡してくれたら毎回、クソババアも入場料を払わなくてすむんだよ。渡せよ、クソガキ」
「口が悪いババアが血縁にいるんだから悪くなるんだろ。悪く言われると分かっているのに、なんで渡さにゃならん。年寄りだからって、僕は優しくなんてしてやらないぞ。死にかけに優しくするより、未来ある子供たちに優しくした方がよっぽど有意義だろ。なあ」
そう言って、狭い台所で手際よく料理をするばあちゃんを睨んだ。何が楽しくて、理解のない祖母に優しくしなければいけない。これで、生活費をくれていたりしたらまだ、ごまでもすってやったかもしれないが、金は一文たりともくれやしなかった。
お年玉をくれていたのは小学生までで、中学生になってからは「もう自分で稼げるだろう」とむちゃくちゃなことを言い出した。働かざる者食うべからずという考えがこのババアには根付いており、今作ってくれている夕飯でさえ、僕の財布から材料費は出ている。
「いつまで小説家ごっこをしているんだい。あんたには才能ないんだよ。さっさとそんなごっこ遊びは卒業して、ちゃんと資格の勉強をしな。あんたの母さんは、あんたの年齢で社労士の資格を取ったよ」
「ばあちゃんは働いたことあるの?」
「ばあちゃんは家事が仕事だったんだよ」
「母さんは、家事も仕事もしてたけど」
「それはオマエ、時代が違うんだから」
「じゃあ、時代が違うんだよ。今は資格も取らず小説家ごっこをする奴がいてもいい、そういう時代なんだ」
「ああ言えばこう言うのは、誰に似たんだか」
だぶん、ばあちゃんだと思う。母さんは、あまり喋らない人だった。冷たいわけではないけれど、家では静かにテキパキと動いていて、僕と会話する時も、僕の話を聞いてばかりだったような気がする。
もうずっと、帰っていないから思い出せる記憶もだいぶ古いけれど。
父親のことは、よく知らない。僕が小学校に入る前から離婚していて、顔もまともに思い出せない。いわゆる女手一つで育ててもらったわけだが、その恩に報いることもせず僕は毎月ギリギリの給料でやりくりをし、小説家ごっこをしている。
「親不孝だよ、ほんとに」
「母さんにはばあちゃんがいるからいいだろ」
「そうなのよ。ばあちゃんはじいちゃんの遺した財産で潤っているから、あんたの母さんも、もっと楽な仕事をしていいんだけどねえ。楽しいのか、今でも仕事ばかりだ。ただ私が心配なのかね、最近は週に三日は会社へ行かず家で仕事をしているよ」
「へえ」
いわゆるリモートワークというやつだ。母さんは、僕なんかよりもよっぽど上手に仕事をしているらしい。
「じいちゃんの財産、僕にも分けておくれよ」
「やだよ。なんでこんな、親不孝のガキに渡さなくちゃいけないんだい。母さんにも会いに来ないで」
僕が母親に会いに行かない理由は、ちゃんとあるんだけれど。それはばあちゃんも気付いているのだろう。こう言ってはいても、けして無理に会わせようとはしなかった。
「それで、話は戻るけどね。あんたの小説。いつも思うんだが、薄っぺらすぎやしないか? 登場人物が全員、あんたみたいな根暗じゃ読んでいる方の気が滅入るじゃないか。人生経験がなさすぎるんだね。もっと色々なことを経験してみたらどうだ」
「うるせえよ……」
「良い人とか、いないのかい。いや、いたら小説家ごっこなんてしてないか」
カカカッと笑って、ばあちゃんは鍋を掻き混ぜていた。
家族の中で、僕が小説を書いていると知っているのは、ばあちゃんだけだ。ばあちゃんだけは、たまに僕の家にふらっと現れ、勝手に掃除や料理をしていっていたから。その時にバレてしまったのが運の尽きだ。
こうして、どこかから情報を手に入れては僕の新刊を購入し、扱き下ろす。年寄りの数少ない楽しみだから、と許せるほど僕の本は売れていないので、普通に腹が立つ。おそらく身内でなければ年寄りだろうがなんらかの復讐は企てていたに違いない。
――まあ、それでも。読んでくれる人がいるというのは、次を書く意欲にも繋がっている。このババアを、いつか唸らせるようなものを書いてみたいなんて、思ったりしちゃう瞬間もあった。むしろ、それくらいは思わないとやっていられない。
「僕の小説、どうして売れないんだろう。暗い話だって、好きな人はいるだろ」
「そりゃ、暗い話でも面白ければ売れるだろうさ。あんたの書く話は、暗いだけでなんの面白みもないじゃないか。人生を嘆くのだって、嘆く人生があればまだ読めるかもしれないが。なんとなく生きている馬鹿が、人生語ってたらちゃんちゃらおかしいだろ」
「なんとなく生きていたら、人生を語っちゃいけないのか?」
「小説なんて、そんなもんだよ。つまらない人生を生きている人間の愚痴を垂れ流すだけの本を、誰が読みたいよ。ええ?」
何も、言い返せなかった。だってそんな本、僕でも読みたくなかったからだ。
そんな会話をした後の、次のイベントでもばあちゃんは僕の新刊を買った。
けれど、感想はなかった。
何故ならばあちゃんは、僕の新刊を買った次の週に、ぽっくり死んでしまったからだ。
数年ぶりに母さんから連絡がきて、ばあちゃんが死んだことを聞かされた。あんなに元気そうに見えたが、実はもうずっと医者にもかかっていたらしく、母さんの方は覚悟をしていたという。
──ああだから、リモートワークをしていたのかとやっと気が付いた。
◆
葬式は、ばあちゃんの望みで身内だけのささやかなものになった。
久しぶりに会った母さんは、流石にやつれていたが、僕に優しく言った。
「お母さんね、あなたに会いに行く日はとても嬉しそうだった。本当は遠出なんてさせたくなかったんだけれど、止められなかったのは、そのせい。きっと、させない方が長生きは出来たのかもしれない。でも、それがお母さんの幸せかって言われたら。そうじゃないでしょ?」
母さんは、どうしようもなく仕事が好きだった。おそらく、僕のことよりも。
そんな人だから、ばあちゃんの行動に制限をしなかったのだ。母さんのことを嫌いではないけれど、少しだけ憎かった。しかし皮肉なことに、そんな母さんの、自分の好きなことをしていないと息苦しくなって死んでしまう、最悪な部分は脈々と僕にも受け継がれている。
対してばあちゃんは、家で家族を支え続けてきた人だ。だから母さんの息苦しさを理解出来なかった筈だし、僕がまだ実家で暮らしていた学生時代、何度も二人は喧嘩をしていた。
子供をどうして優先しない。
ばあちゃんはいつもそう怒っていたのを、覚えてる。
「これ、お母さんからのあなた宛の手紙。少し前に書いていたの。読んであげて」
「ほう。財産分与の話かね」
「……そんなわけないでしょ」
「分かってるよ」
受け取った手紙を開くと、ああ。読みにくい字で、僕の新刊の悪口がびっしり書かれているではないか! ああ! 本当に最後まで、あなたって人は!
こういうのは、最後くらい褒めるべきだろうに。そして、最後に僕が祖母の本音を知り涙を流すというのが美しい物語の終わりの筈だ。人の書くものを散々貶しておいてこれというのは、いかがなものか。
しかも、最後の文章はなんだ。
『貴方の本は、母親に読まれたらさぞ恥ずかしかろうと思うので私が死ぬ前に、責任を持って全て紙ゴミの日に処分させて頂きました。安心してください』
絶句してしまった。
あのクソババアは死ぬ前でさえ、僕を貶すことに本気を出していた。なんてババアだ。思わず笑ってしまった。
母さんは、葬式の日に息子が笑い始めて、流石に驚いた顔をしている。
「ばあちゃんって、本当にやな奴だったよなあ」
「――お母さんは、あなたや私がずっと、羨ましかったのよ。好きなことをして生きてる私達を、最初は許せなかったんだと思う。けどね、最近は……違ったの。貴方の家に行く時、流石に最初は私だって止めたのよ。でもあの人、なんて言ったと思う? 今更、アンタにそんなこと言われる筋合いはないだろって。その通りで、何も言い返せなかった。それから、あなたの家から帰って来たお母さんは、たまに私に謝った。アンタがこんなになっちまったのは、私を見て育ったからだね、ごめんねって。私ね、私……そうだったから。そんなことないよって、言わなかった。お父さんとお母さんは仲が良かったし、お父さんはお母さんに頭が上がらなかったけど。でも、それはお父さんが、分かってたからなの。お母さんの人生は、いつもお父さんの下にあったことを。分かっていたから、お父さんはお母さんに強く出られなかったのよ。それが、私はどうしても、怖かったから」
「だから、僕よりも自分のために生きたかったんだよね」
珍しく饒舌な母親に、僕はなんとも言えない気分になった。参観日に来てくれていたのは、いつもばあちゃんだった。運動会のお弁当は、ばあちゃんの手作りだった。
誰も、母さんを責めなかった。それどころか女一人で子供を育てるのは大変だろうと、同情さえしていた。実際、大変だっただろうと思うし、感謝もしている。けれど、真実はけしてそれだけではなかった。
「でも、それでいいじゃないか。僕と母さんは、とても似てるよ。自分のことが大好きなところがさ。僕たちは、それでいいんだと思う。それに一番、可哀想だったのは。いつだって誰かのために生きていた、ばあちゃんさ」
ばあちゃん。
僕らはあなたに、どう映っていたのかな。可哀想な子供だったのか、自分が手に入れられなかった自由を持つ憧れの存在だったのか。死んじまったからもう聞けないけどさ。
「……なんか、やっぱり悲しいね」
「……ええ」
僕らは、肩を寄せ合って、ばあちゃんの死体の前で泣いた。ずっと、支え合って来た家族みたいに。
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