あの子の終末に、彼女は週末の予定を立てている
僕の知り合いに、Sさんという女性がいる。
彼女は職場の先輩で、明るく気さくで、とても仕事が出来る、尊敬すべき人である。職場の人間はすべからく苦手なので、もちろん僕にとっては彼女も苦手な存在なのだが、僕のミスを何度も尻拭いする羽目になっているため、頭は上がらない。「大丈夫だから」と微笑んでくれることが多いが、忙しい時なんかは「あんまり分かってないですよね」とやや冷たく言い放たれる。
そんなSさんは、僕が職場の全ての人間に敵意を抱いていることなどどうでもいいのか、休憩時間の喫煙所では気安く話しかけてくるのだ。一人黙って煙草を吸いながら、スマートフォンを使いネットの海で犬かきをしていたい僕からすれば迷惑以外のなにものでもないんだけれど、この世には煙草ミュニケーションという悪しき因習があった。
「わたし最近、推しが出来たんですよー」電子たばこを片手にSさんが、当然のように話しかけてくる。
「そっすか……。えっと、アイドルとかですか。最近は、韓国の……男の子たちが人気なんですよね」
僕は浅瀬に漂う話題をかき集めてSさんに投げる。Sさんはそんなつまらない返事にとくに気にした様子もなく、「違うんです。SNSで知り合った子なんですけど」とポケットから、どこかのバンドのグッズらしいケースを装着したスマホを取り出した。
「なんか色々、大変みたいなんですけど。でも、頑張ってるから。応援しなくちゃって気分になっちゃって。DMで、お互い励まし合ってるんですよ。ほとんど、毎日」
「へえ」
それっていわゆる、ロマンス詐欺とかいうやつじゃないかしらん。
僕はSさんの言動に一抹の不安を覚える。
「レターパックで現金遅れは詐欺ですよ」
「なにそれ? レターパックで現金なんて送りませんよ。ふつうにPayPayですって」
「え? あ、ああ……」
──そうなんだ。
結局、送金はしてしまっているらしい。やっぱり詐欺じゃないか。僕はSさんに現実を教え、彼女の救世主になろうと一瞬だけ考えたが、はたしてそんなことを彼女が望んでいるだろうか? とすぐに冷静になった。
だって、僕とSさんはただの同僚であって、親しいわけでもない。言ってしまえば、彼女が騙されてどれだけ金を毟り取られようと僕の人生になんら痛手はないのである。
そもそも、よく知りもしない、迷惑ばかりかけてくる男に自分のしていることを窘められるなど、プライドが傷付いてしまうんじゃないか。
「いくらくらい、送金してるんですか」
「ご飯代とか、ちょっとしたお小遣い程度ですね。彼女、お金がないらしくて。あ、でもそんな、何十万とかじゃないから」
塵も積もれば山となるんだれど、まあ舞い上がっている人間は理解出来ないのだろう。
僕だって、久しぶりのゲームセンターでクレーンゲームに熱中した後、いくら使ったかなんて覚えていない。
「どんな子……なんですか?」
「写真あるの」
ほら見て、と突きつけられたスマホに映る写真には、ぱさぱさの金髪で不格好なツインテールを作った、ワンピース姿の女の子がピースをしている。僕には女性のファッションなんてさっぱりなんだけれども、清楚っぽいワンピースには似つかわしくないメイクと髪型に、どう考えても不要であろうアームカバーを両腕につけた姿は、流石に異常に見えた。
「写真が見たいって言ったら、持っている中でいちばん可愛いと思う服で、頑張ってお洒落して撮ってくれたの。かわいいでしょう」
たおやかに微笑むSさんの見た目は、オフィスレディにぴったりの小綺麗な格好で、髪の質だって写真の子とは比べものにならないくらい、手入れが行き届いている。
そんな彼女を骨抜きにしているのが、この少女なのがどうにもちぐはぐで、世の中にはまだ分からんことが沢山あるなあ、と感動する。
聞けば、Sさんの好きな漫画のファンアートをその少女は描いているらしかった。
絵は相当上手いようで、フォロワーはそのジャンルで絵を描いている人たちの中では一位二位を争うと言う。Sさんと少女はSNSで仲良くなって、ダイレクトメールで毎日会話をする仲にまで発展したようだ。
こういう、重ならない場所にいる者同士が仲良くなれるのもネットならではなのかもしれない。僕は素直に、「いいですね、そういうの」と肯定の言葉を吐いた。同じような種類の人間同士でつるむよりも、よっぽど物語性があって面白い。
「会ったりはしないんですか」
「今やってる漫画の連載が終わったら会うの。彼女、私よりこの漫画にハマってるから。終わったら、死ぬしかないなんて言ってるくらい。だから終わっても楽しみがあればいいんじゃないかなって、会う約束。今年で二十歳なんだって。ふふ、私と八つも歳が違う」
「それって、会話になります?」
「なるなる。案外、二十歳って子供じゃないの。まあ、世間知らずだなとか思う時はあるけど、話を聞いてると私とは違う角度で世界を見ていて、面白いの。でもちょっと彼女、情緒が不安定みたいで。ご両親もあまり彼女の精神面の問題に関心がないみたいだし、心配。……いつかね、迎えに行きたいんです。私、女の子一人くらいなら、ぜんぜん養えるし」
危ういなあ、なんて思いつつ煙草の火をスタンド灰皿に擦りつける。
相当、その子に入れ込んでいるようだけれど。そういうタイプの人と付き合っていくには、Sさんは健全すぎると思う。まあ、こんな僕の分析もノイズでしかないだろうけれど。
「ただのネットの友達でしょうに。ずいぶんと、親身ですね」
「気持ち悪いかな。でも、本当に……なんだろう。この子に、幸せに生きてほしいの。笑っていてほしいというか。人生は、あの漫画以外にも楽しいことがたくさんあるよって、教えてあげたい。それが出来るのは、私かどうかは分からないけど。きっかけくらいにはなれたらな」
「はあ。……あ、ええと、頑張ってください。応援してます。若い子は、この国のこれからを背負っていくわけですし。大事にするにこしたことはないでしょう」
僕の返事に、Sさんは苦笑いをしながら、「ありがとう」と感謝をしてくれた。
Sさんと僕は、こういう関係だ。会話はキャッチボールではなく、ただ返ってこないボールを投げ合うだけ。だってお互いに、投げられたボールをキャッチしたいという意気込みが皆無なのだった。
会社での会話なんて、そんなもんでしょう。僕は、会社で親しい人間を作らない主義だ。僕のような、仕事の出来ない側の人間は、仕事と情を切り離さねばならない。それはこれまで生きてきた中で嫌というほど思い知っている。
「じゃ、お先に失礼します」
「はい。お疲れさまです」Sさんに軽くおじきをして、喫煙所から出た。
◆
そういう会話をSさんとした、数ヶ月後。
Sさんが二日ほど、会社を休んだ。あまり休まない人だから、他の人たちも珍しいと言っていた。僕はと言えば、たまにどうしようもなく全てに嫌気がさして堂々と仮病を使ったりするので、もはやさして心配さえされない。
そして二日ぶりに出勤したSさんは、いたって普段通りだったが、僕に屋上で昼食を食べないかと提案してきた。
初めて、会社の人から昼食に誘われた。少し面倒だったが、Sさんがわざわざ誘うということは、それなりに何か言いたいことがあるのだろうと、渋々頷いた。
「この前、話した子のこと覚えてる?」
Sさんが屋上の手すりに手をかけて、僕に言った。僕はその隣に立って、「はい」と頷いた。
「推し、でしたっけ」
「そう。その子にね、会ってきたんですよ」
「ああ、二日休んでたのって遊んで来たんだ」
「会ったのは、一日だけですけどね」残りの一日は何をしていたのか。僕は聞かなかったけれど、Sさんはすぐに教えてくれた。
「一日は、部屋でぼーっとしてた」
「まあ、若い子と遊んだら疲れるでしょうし」
「……遊んでなんか、ないですよ。やっと会えたと思ったら、物も言わない状態で、冷たくなっちゃってました。二週間くらい前にね、その。ええと、言っていた漫画が、最終回だったんですよ。それはもう良い最終回で、感動でちょっと、うるっときたんです。でも、私はそれよりもあの子にやっと会えるって思ってました。そうですね。正直、漫画よりも、あの子の方がもう好きだったのかも。ただあの子は、あの漫画に心酔していて、生きる糧だとよく言ってたから。なんというか、そういうのはバレちゃいけないなって、すごく良かったって、長文の感想をあの子に送ったら。あの子、たった一文、どうしようって返信してきた。てっきり、感動が言葉にならなくて、どうしようって興奮気味に言っているんだと思った。だから感想も言い合いたいし、早く会いに行きたいなって、かなり遠い場所だったけど、強引に会う段取りをしようとしたんです。でもそういう話をする前に、あの子からの返信がなくなっちゃって」
次に来たダイレクトメールは、その子の母親からだったと、Sさんは空を見上げた。
自殺だったらしい。
元から危うい子ではあったようで、僕はふと、見せてもらったアームカバーを両腕につけていた写真を思い出していた。
「私、あの子にとっての、次の漫画にはなれなかったみたい。本当は漫画、早く終われと思ってた。終わってくれたら、会いに行ける。律義に、そんなの守らなくても良かったのかな。無理にでも会いに行けば、助けてあげられたのかな」
Sさんは泣いていた。
僕はそれを、隣でぼんやり眺めていた。慰めてもらいたいのだろうか。この話をしていた僕に。きっと、そうなのだと思う。
「多分ですけど。あなたじゃ、無理だったと思いますよ。だってその漫画のこと、もうそんなに好きでもなかったんでしょ。その子が欲しかったのはたぶん、最終回に良かったと拍手する人じゃなくて、終わったことに一緒に絶望してくれる人ですよ。ああ、ええと。これは、たとえの話で。ただ、そういうことなんじゃないかなって思います。それはもう、悲しい出来事だったのは分かるんですけど。あなたが必要以上に、責任を感じることではないというか。自分がもっとこうしていたら助けられたかもしれないというのは、わりと思い上がりで。彼女にとって必要な人間に、あなたはなり得なかったと僕は思いますよ」
だって、最初からそうだった。その子は一度だって、Sさんに助けを求めたのだろうか。
「漫画は、漫画でしょう。人生の教科書だとか、そういうものにはなるかもしれないけれど。それが終わっても、自分の人生は続くのが、普通でしょ……? どうして、漫画が終わったくらいで死ねるの?」
本当に、その子が漫画が終わったから息を止めたかどうかは定かではないが、
「世界が終わったんじゃないですかね」
「……終わるわけないでしょ? どうかしてる。本当に、どうかしてる」
「そうですね。でも彼女は違ったんですよ」
「――ふ、あははっ! 気持ち悪い。二次元と三次元の違いも、分からないなんて」
そう言って、Sさんは笑った。泣きながら笑うので表情とメイクは崩れ、強い風で髪も乱れ、そこにはいつもの頼れる彼女の面影もない。ただ、最後に「じゃあもう勝手に死んどけよ!」と、叫んだ時のSさんのことは、かわいいと思った。
本音がむき出しの、愛情と憎悪が混ざった表情は、芸術だとすら感じた。
僕はその時、初めて彼女に好感というものを抱いたのである。
職場の人間には必要以上の感情を向けないことにしているが、この時ばかりはそうもいかなかった。良くないことだ。僕はその日、すぐに会社を辞めようと思い、退職の意思を上司に告げる決意を固めた。
そうだな。次は、スーツなんて着なくていい職にしよう。いっそ、髪でも染めてみようか。そんなことを考えつつ、泣きじゃくるSさんの隣で、あんなに窓を大きく作ってどうするんだと思うようなビルたちを眺め続けた。次はどこかの小さな事務所がいい。オフィス街って、まいにち満員電車で疲れる。
角砂糖ひとつは多すぎるから おやさいたべてね @oyasaitabetene
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