角砂糖ひとつは多すぎるから
おやさいたべてね
平等が羨ましくなる日はあるけれど
「飯、行こ」
「月末だし、お金ないよ」
「奢ってやるから」
奢ってやるから。
なんて素敵な言葉なんでしょ。この世界でいちばん美しく尊い言葉と言っても過言ではないね。もちろん僕は、ほいほいついて行きました。
友人は、新卒から働いている職場でもう七年目。七年。小学生が中学生になっている。それに対して僕はと言えば、同じ大学を卒業して、同じ歳に新卒として入社した会社で三年半働いてギブアップ。それ以降は、せいぜい一年と少しが最高記録。
辞めては就職を繰り返している。うだつが上がらないを体現していて、泣きたくなってくる。そんな僕と違って友人はもう役職もついて、ブランドものの財布やキーケースを持って、家賃十数万のマンションで暮らし、この世のかわいいを全て詰め込んだ猫を飼い、朝食にはジャムを塗ったトースト囓り、昼食はコンビニの弁当を値段を見ずに購入し、夕食はこんな惨めな友人を奢る甲斐性があった。
「僕たち、同い年だよね」
「そうだな」
「いつもいつも思うんだけれど、世の中ちっとも平等じゃないね。大谷選手と僕は同い年なんだけど。彼が一日で稼ぐ額を、僕は死ぬまで稼ぎきれないだろう。もっと言えば君の月給は、僕の月給の何ヶ月分だ? 不平等は、許せないね。十億あるなら、百万くらいは僕にくれないだろうか。それくらいしてくれても、ばちは当たらないよ。当たらないのにな……」
ぶつぶつと呟きながら、僕は履きつぶしたスニーカーに足を突っ込んだ。吹けば飛んでいきそうなボロアパートに住んでいる僕を、わざわざ友人は迎えに来てくれた。鈴木だか本田だか誰かの名字みたいな車で。
「車を持ってる男の人って素敵」
「お前も免許、取ればいいのに」
「取ったところで、車なんぞ買えないのだから意味はなかろう」
「なに、その喋り方」
友人はふっふと笑って、車を発進させた。車の中って、独特な匂いがするよね。
「いったいどれだけの女をこの助手席に乗せたんだぜ? プレイボーイ」
「どうだったかな。三人くらい?」
「なら、八人くらいか……」
顔も悪くはない友人は、さぞおモテになるのだろう。それなのに、こんな冴えない僕とご飯にまで行ってくれる。なんて出来た人間なのだ。
「女を乗せるより、お前を乗せてる方が楽しいよ」
「……物好きだな、ほんと」
つい、ふざけるのを忘れてしまった。
友人の高い鼻を、運転中でなければ潰そうとしていたところだ。
「お前といると、自然体でいられるんだ」
「自然体ね。自然体、いいんじゃない? 素晴らしい。僕みたいなどん底を彷徨うゴミ屑だったら、確かに。見栄を張る必要もなければ、良いヤツでいる必要もないさ。僕にも価値はあったんだね! エリートの、ガス抜き。これを、職にしようか。どうだろう? SNSには、自分の身体を売る人間がたくさんいるじゃないの。僕の貧相な身体じゃ、春は売れませんけど。でも、ある種の癒やしは売れるかもしれない」
なんて惨めな職だ。
自分で言っておいて、今すぐシートベルトを外して車から飛び出したくなった。
「やめとけよ。ネットって、どんな人が来るか分からない。危険だ」友人の正論に、僕は神妙な顔をして頷いた。そうだよね。
「変な人引いて、殺されてしまったら恐ろしいし。君というお得意様ひとりで、いいか」
「そうそう。そんなにお金ないなら、もっと飯、誘うけど?」
「同情はノーセンキュー」
奢ってもらえるのはありがたいし、嬉しいけど。頻繁にされると、申し訳なさが勝ってしまう。僕という人間は、非常に面倒臭い人間なのである。施しは受けたいが、変なところにぶら下がっているプライドが傷付かない程度がいい。
だから何も上手くいかない。どんな職場でも、いつもはヘラヘラ頷いてばかりのくせして。どこかでぷつんと切れて駄目になる。納得出来なくなると、たちまち全てを呑み込めなくなるのだ。そのせいで唯一、三年半続いた職場も辞めた。上司が、よーわからんことを言って新人を泣かせていたから、その新人を庇ったら。どんどん職場での立場が悪くなった。助けてあげたのに、新人は上司についた。なんて賢いんでしょ。地獄に落ちろと思った。
「何、食べる?」
友人が運転しながら聞いてくるので、「ステーキか、ハンバーグ」と答える。
「じゃ、ファミレスかな」
「ロイホがいい」
「いいよ」
「デザートにパフェもつけて、帰りがけに煙草を買って」
「もちろん」
「嬉しいです。本当に」
僕のかわいい我儘を、なんでも聞いてくれる友人に、「お礼にキスしてあげようか」と言えば、「キモいからいらない」なんて断られた。
なんでい。
「そういえばさ。同窓会とか、あったりしてる?」なんとなく外の空気が吸いたくなって、車の窓を開けながら聞く。
あんまりにも適当に生きているものだから、住所なんて変わり散らかしているし、実家とはもう何年も連絡を取っていない。
同窓会の誘いなんて、来た試しがなかった。だからきっちりしている友人だったら、何か知っているかとなんとなく聞いてみた。まあ実のところ、そこまで知りたいわけでもなかったりする。
「この前、あったよ」
「マジか。知らなかったな……。やっぱ、嫌われてたのかな、僕」
「お前と一週間付き合った、吉野さん。社長婦人だってさ」
「流石やね」
「ね」
ゲラゲラ笑った。
吉野さん。懐かしいな。大学時代、なんか一回、ちょっと良い感じになってセックスした人。彼女で童貞を捨てた僕は、てっきりこの人が人生の伴侶なんだと思い込んでいたが、一週間して、別の人と付き合っていると聞いた。えっ? じゃあ、僕はなんだったの? モラトリアムの、ほろ苦い思い出だ。
「――行きたかったな、同窓会」
外を見つめ、呟いた。そこそこ友人はいたけれど、もう隣で運転しているコイツとしか連絡は取っていない。
僕があまり自分から連絡を取らない人間というのもあるが、実際はそこまで仲良くなかったのだと思う。暇が合えばたまに遊んだりはしたけれど、これからも仲良くしたいという枠にまでは入れなかった。
「きっと皆、立派になっているんだろうなあ。僕と違ってさ」
「どうだろうな。嘘を吐いてた奴もいたんじゃないかな」
「いいじゃないか、嘘でも。立派でいたいという、気高さ。僕にはない」
嘘を吐いてまで、成功している人間になりたいとは思わない。寧ろ、そういう嘘を吐いた方が周りは安心して関われるだろうに。
やれ借金があるだとか、仕事が全然続かないだとか、小説家になって印税で大金持ちになりたいだとか、どうしようもないプロフィールをひけらかし、いい歳した大人らしからぬ言動で周囲を引かせてしまう。いつからこんな大人になっちまったんだ。そう嘆く日もあるが、もう元には戻らぬのだ。
一度壊れた玩具は、一生壊れたまま。直すより、新しいものを買った方がこのご時世、早いですから。
「俺は、お前のそういうところが気に入っているんだよ」
「ははあ、下を見て安心するタイプか」
「違うよ。そもそも、俺は自分がお前より上だと思ったことなんてないよ」
「嘘だあ」
「……この前、お前がフィルムワークスで面白かったって言ってた映画、観たよ。ほんとに、面白かった」
「おお。どれ?」
「テネットってやつ」
「いいね。テネットは、面白い」
「俺は、キャットが海に飛び込むシーンが好きだったな。憧れた自由な人間が自分だったなんてさ。グッときた」そう言った友人が、「ここでいいか」と駐車場に車を止める。
三〇分二〇〇円。
三〇分二〇〇円で、この車を置く場所を借りる。僕だったら勿体ないと思うことも、友人にとってはそんなことはないのだ。これが格差社会。僕の二〇〇円とコイツの二〇〇円は価値が違うのだ。
「映画なんて、自分から観ようなんて思わなくなったよ」
「そうなの? 大学時代は、よく一緒に観に行ったじゃない。つまらない映画だったら、ずっとファミレスで悪口言い合ったなあ」
「そういうことを、忘れてしまうんだ。大人になったら」
「僕は忘れてないけど……」
「それが、すごいんだ。俺なんて、休日は寝てばかりさ。彼女がいる時は、デートに誘わなくちゃいけない。じゃないと彼女たちはすぐに拗ねるんだ。厄介なのは、彼女たちは待っているのさ。何も言わないのはデートしたくないからじゃなくて、誘われたいから。しかも素敵な場所じゃなければ、顰蹙を買ってしまう。これは一種の試験みたいで、俺はいつも疲れる。なんだか試されるみたいで」
「ふうん。じゃあお前も、パチンコにでも誘えば。こんなところでもついてきてくれるかいってさ。何故試されるばかりで納得する。お前も試せばいいさ。試し試されでイーブンにしたら、そういう自分ばっかりという気持ちは消えると思うんだが」
「……そんなことをしたら、嫌われてしまうだろ?」
「嫌われたら、それはそれでご縁がなかったんだ。何故、そこまでして好かれようとするかね。僕は、とんでもなくつまらない映画を心の底から喜んで一緒に映画館で観てくれる素敵な人しか嫌だぜ」
嫌われたくはないが、だからって自分を偽って付き合うのもおかしな話だ。好きな人にこそありのままの自分を受け入れてほしいじゃないか。なんて、そんな甘っちょろい考えだからモテないのも理解している。
モテるのは友人のような、誰かのために自分を削ることの出来る人間だ。それは覆ってはならないと思っている。だってそんな健気な人間が、我儘を貫き通したい自分勝手な人間より劣っている世界なんて、あまりにも残酷だ。むしろ自分勝手な僕の方が絶望してしまうと思う。
「ああは言ったけど。君の生き方は、素晴らしいと思う。思い遣りがあるよ。僕はそういうの、疲れちゃったから。疲れても続けられている君には、リスペクトしかない。だから、そんなに自分を卑下するのはやめとけよ。ご機嫌を伺うことに嫌気がさす時もあるかもしれない。でもそれは、くだらないことなんかじゃないよ。誰かのために動けるというのは、この世界では何よりも大事なことだと思っている。少なくとも僕はね。だって皆が皆、自分勝手に、自由気ままに生きていたら。それは世界の終わりだよ。コンビニはきっと、二四時間営業できなくなっちまう。たまに人はサラリーマンを歯車だなんて言うけど。歯車がないと何も動かないじゃないか。歯車になりたくない! なんて夢を追いかける奴らはね、狂ってるよ。そんなのはほんの一握りでいいさ。たくさんはいらないし、そいつらの人間性が評価されることは、僕としてはいただけない。協調性は尊ばれるべきだ。そういうものを持って生きることがどれだけ大変かは、分かっているつもりだからね」車から降りた僕は、どこか浮かない顔をしている友人の肩を叩く。
「僕はゴミみたいな奴だけどさ。君という友人を誇りに思っているよ。だから疲れた時は、僕に夕食をご馳走してくれ。そうしたら、油をさしてあげよう。また歯車が回るように。君が、動けるように。もし、もしも、それでも動きたくなくなったら。その時は、機械から外してやろう。あんなお高いマンションは引き払って、僕のボロアパートに来ればいい。休日はパチンコか、映画館に行こう。だから、そんな顔はしなくていいのさ。君は頑張っている。僕なんかよりも、ずっと。自由な人間に憧れるのはいいけれど。自由な人間を、自分よりも上だなんて思わなくていい。人はいつだって、自由になれるんだから」
人気のない駐車場でご高説を垂れるうだつの上がらない男は滑稽だろうが、他でもない、このたった一人の友人を励ませるのならば。ピエロにだってなんだってなれた。
「よし。じゃあそういうことだから、ロイホへ急ごうぜ。三〇分二〇〇円は大きいぞ。僕はゆっくり、ステーキが食べたいんだ」
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