12話 凸凹コンビと人食い野犬事件④

※本話には人体の損壊・遺体描写など残酷な表現が含まれます※



 カーナビの案内に従って進んでいたセンリは、前方に見える紫色の光に背筋を冷やした。


 レゾナンスエリア。

 境界都市の中でも不安定な空間では、間欠泉のように異界の毒霧──瘴気が噴き出す危険区域が、突如発生する。


 老人が示した方向、現在センリが目の前にしている場所も、一週間前に突如レゾナンスエリアと化し、多くの人々が家財を捨てて避難することを強いられた。


 瘴気が満ちた後、それに適応している異界植物が生息域を広げ、それに合わせて異界の野生生物も住処を移し──やがて紫色の光を放つキノコが群生するようになるのだ。


 昨日まで何事もなく暮らしていた場所が、突如異界同然の危険地帯と化す。

 なんとも恐ろしい話だった。


 センリは車から降り、防護マスクで頭部を覆った。

 問題なく呼吸できることを確かめていると、ヴェールハウトは鼻の上にしわを寄せてレゾナンスエリアを見つめる。


「何が待ち受けているかわからぬぞ、センリ殿。忘れずに武装を」


「わかりました」


 センリは車両のケースからジャッジを取り出し、ベルトに差した。

 だが野生動物相手に、どれだけ通用するだろうか。


 緊張しつつ、センリはヴェールハウトに続いてレゾナンスエリアに踏み込んだ。


 そこは、山林と菌糸に飲み込まれた住宅街だった。

 道幅は狭く、家同士の距離は離れている。

 坂や崖の上から突如現れる獣がいないか、警戒するあまり気が張り詰める一方だ。


 ヴェールハウトが低くうなった。


「……これは犬ではないな。オオカミのにおいである。こちらだ」


「オ、オオカミ……?!」


 センリは銃を抜き、グリップを握りしめた。


 辿り着いたのは、土砂崩れを起こした崖の近くだった。

 車が崖に突っ込んで大破し、水道管から溢れた水が小川を作っている。


 車は扉が開き、フロントガラスを大きな岩がぶち抜いた状態だった。


「……酷いですね」


「逃げる途中で事故を起こしたのであろうか……いや、待て」


 ヴェールハウトは開いたままになっていた助手席の扉をさらに大きく開いた。


 運転席と助手席には男女が座っていた……ようだった。

 助手席で岩に頭部を挟まれた女と、運転席で座席ごと岩に胸部を刺された男だ。

 だが二人とも、胸から下のほとんどと腕を失っていた。


 千切れた服。

 散らばった骨。

 車の外へと続く血痕。


 おそらくオオカミが二人の遺体を食いちぎり、車の外に引きずり出したのだ。


 センリは猛烈な吐き気を覚え、何度も唾を飲み込みながらゆっくり後退した。

 ヴェールハウトは溜息をつき、センリに付き添う。


「……痛ましい。だがこれで、付近に潜む獣の種類がわかった」


「え、今の……二人を見ただけで、ですか?」


 驚くセンリに対し、ヴェールハウトは厳しい声で答えた。


「傷口の歯型、腐敗後に捕食している点から察するに、トトカロ・キャリオであろう」


「トト……なんですって?」


「トトカロ・キャリオ。異界オオカミの一種で、群れで腐肉を食らう。賢く、群れの秩序を守り、気性は穏やかな部類だ」


 ヴェールハウトはそう説明しながらしゃがみ、車の周辺を熱心に嗅ぎ始めた。

 センリがよくわからないまま邪魔にならないよう見守っていると、やがてヴェールハウトはすっくと立ちあがる。


「記憶した、こちらだ。ついてきたまえ。警戒は怠らず」


「了解です」


 スーツを着ていてもクマはクマなんだな。

 センリは少し感心しながら、ヴェールハウトの先導に従って険しい山道に踏み込んだ。


 どれほど歩いただろうか。

 やがて木々の開けた場所に出たかと思うと、木々や岩の影から素早い影が飛び出してきた。


 反射的に銃を構えたセンリは息を呑む。


 黒に白の混じるまだらな毛並み。

 尖った耳と顔。


 牙を剥き出しにしてうなるオオカミの群れが、センリたちを取り囲んでいた。

 センリはとっさにジャッジを向けるが、背筋を冷や汗が伝う。


「ヴェールハウトさん、どうしますか……!」


「落ち着きたまえ、トトカロ・キャリオは好戦的ではない。殺意はなく、ただ縄張りを主張しているだけであろう」


「さ、殺意ない? ないですか? 本当に?」


 二人がそう話している間にも、グルグルと唸りながらオオカミはじりじりと包囲網を狭めつつあった。


「殺意なかったらこんな動きしなくないですか?!」


「ううむ……よほど譲れぬものがあると見受けられる。争いを望むのであれば、よかろう!」


 ヴェールハウトはそう言うや否やネクタイを緩めて牙を剥いた。


「我が名は熊鎧ヴェールハウト! 勇猛無敗の士であるぞ! どこからでも来るがいい!」


 ヴェールハウトが吠えたと同時にオオカミたちが飛びかかってくる。

 センリは慌ててオオカミに銃口を向け直した。


 だが。


『──裁定完了。脅威度、低。粘着性捕獲ネット弾の使用、承認』


「低?! お前ほんとこのっポンコツ銃!!」


 センリは手近なオオカミに向かって引き金を引いた。

 青い網がオオカミの口を捉え、毛と牙に絡みつく網にオオカミが必死で抵抗している。


 だがそんな仲間の横から別のオオカミが飛びかかってきた。


「ガルァッ!!」


「っくそ!」


 センリはとっさにジャッジの銃身をオオカミの口に噛ませた。

 オオカミの巨体に押し倒され、目の前で銃身を噛む牙の鋭さと重さに腕が震える。


 盾にされたジャッジの銃口下からは使い魔の目が涙を浮かべてセンリを睨んでいた。

 センリはそれどころではない。


「睨むぐらいなら助けろよこいつ……っ!」


「グオオオオ!!」


 重い咆哮とともに突然センリの体が軽くなった。

 圧し掛かっていたオオカミをヴェールハウトが片手で掴んで投げ飛ばす。

 その隙に飛び掛かってきたオオカミはヴェールハウトの拳が殴って退けた。


 センリは慌てて飛び起きた。

 気付けばヴェールハウトを中心に、オオカミは半円を描いている。

 スーツの袖をずたずたに噛み千切られながら、ヴェールハウトは息一つ乱さない。


「センリ殿、脅威度は低であったな」


「そ、そうですけど」


「うむ、やはりか。彼らは襲い掛かってはくるが致命傷は狙っていない。殺す気はないのである。しかし彼らが退く理由もまたない……」


 ぐぐっと姿勢を低くしたオオカミを見て、ヴェールハウトが鋭く咆哮する。

 それだけで離れた場所にいるオオカミは尻尾を下げて一歩後退していた。


 怯えた状態の個体は複数いるが、群れとして撤退までは選ばない。

 ヴェールハウト一人に対して群れで取り囲んでなお、本当は戦いたくないのだろう。


(……まさかそれが、脅威度が低い理由なのか?)


 ヴェールハウトは「譲れないもの」と言った。

 オオカミの群れはセンリたちを包囲するのをやめたが、ヴェールハウトの前に立ちふさがり続ける。


「……この先に行かせたくないんだ。でも、なんでそこまでして……」


 センリはオオカミたちの背に広がる森の先を見つめた。

 意識を集中させ、木々の間に目を凝らす。


 きり、と目の奥が張り詰める感覚。

 視界が金色の文字に縁取られていき、森の奥にぐいっと焦点が合わさる。


 木々の隙間から垣間見えたのは、泉の傍にあるあばら家だった。


 その片隅に白い毛並みのオオカミがうずくまり、懐の小さなものをせっせと舐めている。


 毛並みの間から、肌色の小さな手が覗く。


「ヴェールハウトさん! この奥でオオカミが人間の赤ちゃんを抱えてます!」


「なんと!」


 ヴェールハウトは驚きつつも右腕に食らいついてきたオオカミを受け止め、顎を押さえ込んだ。


 そのまま、何事かオオカミたちに向かってうなってみせる。


 マイクロチップ搭載の自動翻訳も機能しない、獣同士の交流だ。

 オオカミたちもうなるのをやめ、ヴェールハウトの声に耳を傾けているように見えた。


 やがてオオカミたちを率いていた一匹が空を仰いで高らかに遠吠えした。


 遠くから返事があると、オオカミの群れはすぐさま森の奥へ走っていく。


 センリはようやく一息ついてジャッジをホルダーに戻した。

 ヴェールハウトもほっと肩から力を抜く。


「理解を得られたようだ。重要な手掛かりの発見、感謝する」


「いえ、ヴェールハウトさんがオオカミの相手をしてくれたからこそですから」


 そんな話をしていると、ゆっくりと大柄な黒いオオカミがこちらに歩み寄ってきた。

 ヴェールハウトと戦っていた個体とは比べ物にならないほど大きい。


 ゆったりとした動きと穏やかで知性を感じる目に、ただのオオカミではないと感じた。

 オオカミはヴェールハウトに鼻先を近づけて静かに交流すると、すぐ引き返してしまう。


 数歩進んだ先でオオカミが振り返った。

 ヴェールハウトがセンリに言う。


「案内してくれるそうだ」


「え……」


 センリが戸惑っている間にも、ヴェールハウトはオオカミに続いて歩き出す。

 こんな森の中で置き去りにされたらセンリの命はない。

 センリは慌ててオオカミとヴェールハウトの後を追った。


 オオカミが案内したのは、先ほど見えたあばら家だった。

 泉の傍に建てられた山小屋だったのだろうか。

 今は粗末な屋根とわずかな床が残るだけで、何もかも朽ち果てている。


 そんな中で、真っ白なオオカミが赤ん坊を抱いて横たわっていた。


 白いオオカミは、黒いオオカミとは夫婦なのだろうか。

 穏やかに寄り添う様は特別な間柄を感じさせた。


 センリたちを見て白いオオカミがうなるが、番になだめられて大人しくなる。

 二匹のオオカミはしばらく何か相談するように見つめ合っていたが、やがて顔をこすり合わせ、懐にいる赤ん坊を見下ろした。


 白いオオカミは何度も赤ん坊の顔を舐めてやる。

 赤ん坊は見るからに弱っており、掠れた声で泣いていた。


「……育てていたんですね」


「うむ。車からこの子を連れ出し、群れで面倒を見ていたそうだ」


 ヴェールハウトが静かに指差す先には、引き千切れたベルトがそのままになったチャイルドシートが置かれていた。

 その近くには結婚指輪をした腕がミイラ化して転がっている。


 女性的な、細い腕だった。


(……生き残った赤ん坊の世話をしながら、その両親を食ったのか……)


 センリの臓腑がゆっくりと冷えていく。


 容赦なく死肉を貪る一方で、生き残った赤ん坊の世話を焼くオオカミ。

 強烈な二面性だった。


 生死の共存する光景に動けなくなっていると、やがて番に促される形で白いオオカミが立ち上がった。

 赤ん坊が弱々しく手を伸ばす。


 白いオオカミは名残惜しそうにその小さな手のひらに鼻先を押し当てる。

 だがやがて、二匹のオオカミはヴェールハウトを見つめた後、連れ立って走り出した。


 オオカミたちの姿はあっという間に見えなくなる。

 後には、生ゴミと野菜くずに囲まれた赤ん坊だけが残されていた。


「……ゴミ捨て場や畑を荒らしたのは、この子のためだったんですね。腐肉を食べないから」


「うむ。弱る一方の子供を救うため、彼らも必死だったのだ。人のまねごとをして、対価を置いていくほどに」


「対価って……じゃあ、つまり、あの左腕は、生ゴミの対価として?」


「彼らにとって価値あるものはつまり、腐肉であるからな。賢いものたちだ。きっともう、街に出ることはあるまい」


 ヴェールハウトはそう言って周囲の空気を嗅いだ。


「センリ殿、ここでは防護マスクは不要だ。空気が澄んでいる」


「え、どうして……レゾナンスエリアのど真ん中ですよね、ここ」


 恐る恐る防護マスクを外し、息を吸い込むが、息苦しさはなかった。

 水の澄んだにおいを、冷たい風が運ぶ。


 はっとして辺りを見回すと、街並みがずいぶん遠く小さく見えた。

 山道を進むうちに、頂上の近くまで来ていたのだ。


「瘴気がここまで届かなかったんだ……」


「ここでなら赤ん坊も息がしやすいと気付き、子育ての場に選んだのであるな。おかげでこの子は、命拾いした」


 ヴェールハウトはそう言って笑い、赤ん坊を優しく抱き上げた。

 彼の片手に抱かれ、赤ん坊はふやふやと泣く。


 異界同然と化した場所で事故に遭い、異界の野生生物に遭遇しながらも生き残った、小さな命。

 どれほどの奇跡を積み重ねた上で成り立つ生なのか、考えただけで眩暈がした。





 病院の保育器の中で、赤ん坊は眠っている。

 その前で、彼女の祖父母にあたる老夫婦は涙を堪えていた。


 ナンバーから車の所有者を特定したところ、捜索願が出されていた。

 おかげで、幸運な赤ん坊は祖父母である老夫婦と再会できたのだ。


 ヴェールハウトは老夫婦に歩み寄り、何か優しく声をかけている。


 彼らを離れたところから眺めていたセンリは、イサナがやってくるのに気付いて振り向いた。

 イサナは老夫婦たちに穏やかな眼差しを向けてからセンリを見やる。


「お疲れ様。今回もよくやったな」


「先生は、なんて」


「幸い、赤ん坊の命に別状はない。退院すれば、祖父母と過ごすことができるよ」


 イサナはそう言って、老夫婦──彼らが見つめる保育器の中で眠る赤ん坊に目をやった。


「まったく驚かされるな。戦場を渡り歩く腐肉食らいのトトカロ・キャリオが、異種族の赤ん坊のためだけに留まり、熊鎧族相手にも果敢に立ち向かうだなんて……。彼らは賢いから、勝てない戦いには挑まない」


 感慨深そうに言うイサナの声を聞いて、センリは気が付くと尋ねていた。


「……あの子の何が、彼らにそこまでさせたんでしょうか?」


 イサナがセンリに視線を戻す。

 彼女の怪訝そうな目元に気付いていたが、それでもセンリは尋ねた。


「あの子が助かって、五年前異界に落ちた人が助からないのは、何が違うんですか。どうして、あの子は助かって、他の人は……」


 自分で言いながら、馬鹿な問いだと自覚していた。

 イサナに聞いたって仕方ないのに。


 だがそれでも、考えてしまう。

 異界同然の場所で助かった赤ん坊と、異界に飲まれて死んだ人間を分けるのは何だろう。


 両親も、もしかしたらどこかで誰かに助けられているのでは、なんて。

 馬鹿なことを考えてしまう。


 イサナは薄く口を開き、また閉じた。

 彼女は視線を保育器で眠る赤ん坊に戻し、その拍子に彼女の簪が微かに音を立てる。

 その先では、泣いている老婦人をヴェールハウトが慰めているところだった。


「……あの子が助かった要因はいくつかある。事故が起きたのが瘴気の浅い場所だったこと、生きた肉に興味を持たないトトカロ・キャリオに見つかったこと、群れのボスの妻が子を亡くしたばかりだったこと、瘴気の影響を受けない場所があったこと……」


「……どれか一つでも異なっていたら、助からなかった?」


「ああ。彼らが哺乳類に近い生態だったことも幸いだったな。おかげで母乳を飲んで生き延びることができた」


 センリはなんとも言えず、口をつぐんだ。

 イサナはそれを見て優しく微笑む。


「……そんなものだよ、生死を分けるものなんて。私たち人間の手が運命に届くことはあまりにも稀だ」


「課長なら、運命ぐらい変えられそうですけどね」


「まさか。私の手が届くものなんて……」


 イサナは一瞬ひどく自嘲したが、すぐに悪戯っぽく微笑み、ぐしゃぐしゃとセンリの頭を撫でた。


「お前の頭ぐらいなものかな」


「ちょ、ちょっと! 課長!」


「ははは。今日もお疲れ様。早く休めよ」


 センリは乱れた前髪越しに、歩み去るイサナの背中を見送ることしかできなかった。


(……課長も、異界で失ったのかな)


 何が生死を分けるかわからず、全てが偶然の積み重ねだとしたら。

 五年前に葦原市で姿を消した両親がどこかで生きていると信じることも、許されるだろうか。


 病院の外からは、寂しげなオオカミの遠吠えが聞こえていた。



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”見える”新人刑事は境界都市で正義を貫く──警視庁異界対策課 駒居未鳥 @komai_midori

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