3話 新人刑事と園庭児童失踪事件③



 浮遊感に苦しんだ次の瞬間。

 柔らかい地面に放り出され、同時に腹に質量を感じて「ぼえっ」とセンリは声を上げた。


「ああ、すまん」


 イサナは軽くそう言ってセンリの上からどいて、センリに手を差し出す。

 鈍く痛む腹を堪えつつ、センリは彼女の手を取って立ち上がった。


 頭上には夜空と、鬱蒼とした木々の枝が広がっていた。

 木々の向こう側には花畑が広がり、一面に銀色の小さな百合が咲いている。

 本物の百合ならば今頃甘い香りが漂っていそうなのに、鼻腔を突くのは濃い鉄錆の臭いだった。


「……ど、どこですか、ここは。変な臭いもしますし……」


「異界なのは確かだな。異界にはこういう、金属臭を含む風が吹く」


 イサナは大して動揺した様子もなく言い切った。

 彼女はふと花畑の方を示す。


「……見ろ、いたぞ。ミユちゃんだ」


「えっ?」


 イサナが示す先を見たセンリは目を丸くした。


 花畑の中、幼い少女──ミユが鼻歌混じりに花冠を編んでいる。

 だがミユを抱えているのは巨大な花の怪物だった。


 閉じた蕾がミユを見下ろしている。

 まるで、娘を慈しむ母親のように。


 木々の間から覗く異様な光景に、センリは背筋を冷たいものが這うのを感じた。


「……あれが、ミユちゃんの母親……?」


「まさか。彼女にそう思い込ませた、人食い花だよ」


「人食い……?!」


 ぎょっとするセンリとは対照的に、イサナは冷静な表情を崩さなかった。

 彼女はランタンを手に取り、センリに視線で促す。


「では任務開始と行こう。我々の任務は、あの女の子を無事に保護することだ。お前ならどうする?」


「ど、どうするって……とにかく、ミユちゃんを花から引き離すべきです」


「やってみろ。私が支援する」


「『やってみろ』ってそんな、手放しで……」


 センリは困り果てたが、イサナはランタンを持ったまま見守る姿勢になってしまった。

 自分だけでなんとかしなければいけないらしい。


 センリは一つ深呼吸をして、銃を後ろに隠したまま森を出て、できるだけゆっくりと花畑に踏み込んだ。

 花を踏む音を聞いてミユが振り向く。


 距離にして三メートル。

 人質を保護するには遠い。


「……花山ミユちゃんだね?」


「だぁれ?」


「僕たちは、お巡りさんだよ。ミユちゃんが一人でお出かけしちゃったから、先生がね、お迎えに行ってくれませんかって、僕たちにお願いしたんだ」


 センリがゆっくりとした口調を意識して告げると、ミユは特に警戒した様子もなくこちらを見ていた。

 彼女を抱える人食い花にも動きはない。


「……ミユちゃん。僕たちと一緒に帰ろう? パパが待ってるよ」


「でも、ママが……」


 ミユは困った顔をして人食い花に身を寄せた。

 花はそれに応じるようにツタを伸ばし、ミユを一層抱え込む。


「ママ? ママに何か言われたの?」


「ここでね、いっしょにパパまとうねって、ママがゆったの……」


 ミユからほろほろと落ちる記号は白く透き通っている。

 彼女は嘘を言っていない──少なくとも、彼女の認識では嘘だと思っていない。


 センリは心苦しく思いながらも告げた。


「そうなんだね。ミユちゃん、よくママのことがわかったね」


「……え?」


「だってミユちゃんは、ママとお喋りしたことがないはずだよ。どうしてママだと思ったの?」


 おろ、とミユの目が泳いだ。

 まだ途中の花冠を、小さな手がきつく握りしめる。


「……だって……パパが、いつもみてるのと、いっしょのおかおで……」


「声は? 本当にママの声だったのかな」


「……こ、え……」


 ミユが不安そうな表情を浮かべ、花から少し身を離して蕾を見上げた。


「……ママ、どうしてなんにもゆってくれないの……?」


 人食い花の蕾が震える。

 次の動きに備えてセンリは反射的に銃を構えた。


 アイアンサイトにホログラムが浮かび、照準が人食い花に合わせられた次の瞬間。


 ごぱっと音を立て、糸を引きながら人食い花の蕾が開いた。

 花の中心には鋭い牙の並ぶ口があり、ぎしぎしと軋んだ音を立てる。


 恐怖に泣き叫ぶミユの声と拳銃の自動音声が重なった。


「わああああ! ママァァァ!」


『────裁定完了。脅威度、高。殺傷破裂弾の使用、承認』


 センリの全身から冷や汗が噴き出した。

 隣に並び立ったイサナがランタンを持ち上げる。


「三十点。人質を動揺させる声かけはナンセンスだな」


「す、す、すすすすみません課長! 僕あのどうしたら……!」


「私が相手をする。お前は隙を見て人質を確保し、離脱しろ」


 イサナがそう言い終えるや否や、ランタンが強く光を放った。

 ミユに覆いかぶさろうとしていた人食い花が動きを止める。


「────鬼灯兵装ほおずきへいそう、限定解除。我が霊火れいびは魂をも焼き払う!」


 玲瓏れいろうとした声が告げた途端、ランタンから凄まじい炎が飛び出した。

 炎は白く光を放ちながら人食い花に絡みつき、一気に燃やす。

 人食い花は耳をつんざく絶叫を上げながら悶え苦しむ。


「行け」


「は、はい!」


 センリは銃をベルトに突っ込み、急いで駆け出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る