第19話:砂利たちの行進

むつみの山々に、見たこともない「光の川」が流れていた。


それは塔からの通信信号だけではない。黒木が築いた鋼鉄のフェンスの向こう側、隔離されたはずの山道に、無数の小さな光が瞬いていたのだ。それは、佐藤の配信に応え、夜を徹して車を走らせ、山を登ってきた名もなき市民たちの、スマートフォンの灯りだった。


「……親父、聞こえるか! 俺だ、健一だ!」


フェンスの向こう側で、佐藤の息子・健一が叫んでいた。かつて父を「コスト」として捨てた男が、今は泥にまみれ、封鎖線を守る警備員たちに押し返されながらも、必死に手を振っている。


「都庁はもう限界だ! 東京中の人間が、あんたたちの味方をしてる!」


佐藤は塔の上から、その光景を静かに見下ろした。

「田中さん、杉本さん。……潮目が変わった。でも、俺たちはあっち(東京)へ戻るんじゃない。あっちを、こっちに引き込むんだ」


杉本の作業場。今や熱気でサウナのようになった室内で、杉本は血走った目でモニターを睨んでいた。

「佐藤さん、準備はできている。レン、カイ、合図を出せ!」


「了解……! 『むつみ分散型OS』、全世界にパッチを配布します!」


カイがエンターキーを叩きつける。

その瞬間、東京の、そして日本中の街角で異変が起きた。

深夜のワンルームで絶望に震えていた若者、介護に疲れ果てた主婦、深夜残業で魂を削るサラリーマン。彼らが手にしていたスマートフォンの画面に、一滴の雫(シズク)が波紋を広げるロゴが表示された。


『あなたの孤独な時間を、むつみの「自由」のために貸してくれませんか?』


「……きた。繋がったぞ!」

レンが歓喜の声を上げる。

ネットワークを通じて、何百万、何千万という人々のスマホの余剰処理能力が、むつみのサーバーへと流れ込んできたのだ。それは「孤独な個」が繋がることで生まれた、人類史上最大の分散型スーパーコンピュータだった。


「黒木さん、これが私たちの『行進』です」

佐藤が、フェンスの前に立つ黒木に向けて、静かにスマホをかざした。


黒木の持つタブレットが、異常な警告音を発し始める。

「な、なんだ……!? 都庁のメインシステムが、外部からの膨大なトラフィックで……。いや、これは攻撃じゃない。システムが……むつみに『乗っ取られて』いるのか!?」


「攻撃じゃありません。統合ですよ」

杉本の声が、スピーカーを通じて黒木の周囲に響き渡る。

「都庁が管理していた俺たちの個人データ、生存指数、それらすべてを俺たちの手に取り戻した。今、東京中のスマホが、あんたたちの管理サーバーを無害化し、むつみの『共生システム』の一部に書き換えているんだ」


都庁の、あの「孤独死未然防止プログラム」の冷酷なコードが、一文字ずつ消去されていく。代わりに、トメの畑の収穫予定、田中の建築設計図、嘉平が語る土地の歴史が、公的なデータとして上書きされていく。


「やめろ……! それは国家の、行政の秩序だ! そんなことをすれば、社会が崩壊するぞ!」

黒木がフェンスにしがみつき、喉を枯らして叫ぶ。


「崩壊するのは、命を数字で測るその物差しだけだ」

田中が、フェンスの鍵を巨大なカッターで断ち切った。

火花が散り、鋼鉄の壁がゆっくりと、だが確実に崩れ落ちる。


「おい、死神。あんたも見てみろよ。この熱い風を。あんたがゴミと呼んだ砂利たちが、あんたの愛したシステムを飲み込んで、新しい大地を作っちまったんだ」


フェンスが崩れ落ちた境界線で、村人と、東京から駆けつけた人々が混じり合った。

そこにあるのは、管理された秩序ではない。

「生きててよかった」という、剥き出しの、汗と涙の匂いがする感情の渦だった。


佐藤は塔から降り、健一の前に立った。

「親父……ごめん。俺、あんたを捨てて……」


「いいんだ、健一。お前も、あのシステムに魂を削られていただけなんだから。……おむすび、食べるか? トメさんが作った、むつみの米だ」


佐藤が差し出したおむすびを、健一は震える手で受け取り、むさぼるように食べた。

「……うまい。なんだ、これ……こんなに味がするなんて……」


東京という巨大な機械の歯車として、味のしない食事を繰り返してきた男の頬を、涙が伝う。

その背後では、黒木が泥の中に膝をついていた。彼のスマホには、もはや指令は届かない。表示されているのは、むつみ村で今朝摘まれたばかりの「芹」の鮮やかな緑色の写真だけだった。


「……負けた。私は、一人の老人に負けたのか」


「いいえ、黒木さん」

佐藤は、泥に汚れた黒木の肩に、そっと手を置いた。

「あなたは、自分の心の中にいた『孤独』に負けたんです。数字でしか自分を確認できなかった、その寂しさにね」


春の夜風が、むつみの山々を吹き抜けていく。

ネットワークの光は、もはや都庁を攻める武器ではなく、遠く離れた人々を繋ぐ「体温」へと変わっていた。


砂利たちの行進は、東京を破壊することではなく、東京の孤独をむつみの熱で溶かすことだった。

深夜、杉本の作業場のモニターには、全国から届く「ありがとう」というシズク(通貨)の波紋が、いつまでも、いつまでも広がり続けていた。


「……さあ、夜明けは近いぞ」

佐藤の声に、村の全員が顔を上げた。

東の空が、紫から黄金色へと溶け出し、むつみの巨石が新しい時代の到来を告げるように輝き始めていた。


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**次はいよいよ、最終話:宝石たちの輝く朝。**

**東京都はプロジェクトの完全廃止を決定。佐藤たちは「帰還」ではなく、むつみを誰もが孤独から逃れられる「理想郷」として正式に開拓し続ける道を選びます。物語の結末、彼らが見る最後の景色。詳しく描きますか?**


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