第18話:都庁、最終宣告

嵐が去った後のむつみは、洗われたような静寂に包まれていた。だが、その静寂は、死神の足音によって無残に踏み荒らされる。


村の入り口、唯一の外界へと続く国道。そこに、昨日までの自然の猛威とは異なる、冷たく無機質な「暴力」が姿を現した。


「……何だ、あれは」


田中の呟きが、震えていた。

朝靄の向こうから現れたのは、数台の大型特殊車両と、防護服に身を包んだ武装集団。そして、彼らが手際よく設置し始めたのは、高さ三メートルを超える鋼鉄のフェンス――「壁」だった。


「こちら東京都緊急事態管理室である。むつみ地区において致死率の高い未知のウイルスが確認された。本日、本時刻をもちまして、当該地区を『特定感染症隔離区域』に指定する。一歩でも境界線を越える者は、法的措置および実力行使の対象となる」


拡声器から流れる合成音声が、冷たく山々に反響した。

背後から、黒いセダンがゆっくりと進み出る。防護マスクを外し、冷笑を浮かべて車から降りてきたのは、もはや狂気さえ孕んだ目をしている黒木だった。


「佐藤さん、これが結末です。真実を暴けば、世界が味方してくれると思いましたか? 国家というシステムは、不都合な真実を『病気』として処理する。君たちはもう、存在しないはずのウイルスに侵された、汚染物だ」


「嘘だ……! 誰が、そんなデタラメを!」

カイが叫び、フェンスに駆け寄ろうとしたが、武装した男たちが一斉に銃口を向けた。


「近寄るな、汚染物。君たちの人権は、公衆衛生の名の下に停止された」


黒木の言葉は、冬の吹雪よりも冷たく佐藤の胸を刺した。

物理的な壁。情報の遮断。そして、存在しない病を理由にした社会的抹殺。

むつみの仲間たちが、次々と不安に顔を歪ませる。トメは震える手で汁椀を抱え、嘉平は巨石の前で深く項垂れた。


「……杉本さん。ネットは?」

佐藤が、低く、押し殺した声で訊ねた。


「遮断された。半径数キロの電波をジャミングされている。外部への発信は不可能だ。黒木の狙いは、俺たちをこの檻の中で干からびさせ、歴史から消し去ることだ」


杉本の指が、震えるキーボードを叩く。だが、画面には虚しい「接続エラー」の文字が並ぶだけだった。

絶望が、霧のように村を侵食していく。


「終わったのか……。結局、俺たちは砂利のまま、誰にも知られずに潰されるのか」

田中が、泥のついた拳を地面に叩きつけた。


その時、佐藤の視界に、昨日掃除したばかりの「光の塔」が飛び込んできた。

田中が造り、杉本が電気を通し、佐藤が磨き上げた、あの廃材の塔。


「……いや、終わっちゃいない」

佐藤が、静かに、だが鋼のような意志を込めて言った。


「杉本さん、レン。電波がダメなら、『光』がある。あの塔の頂上、鏡の角度を変えて、衛星まで届くレーザー通信を構築できないか? 清掃員が、光の通らない場所をそのままにするわけにはいかないんだ」


「……光通信? 指向性を絞れば、ジャミングを抜けるかもしれない。だが、そんな精密な調整、誰が……」


「俺がやる。田中の兄貴が作った塔だ。どこを触ればどう動くか、体で覚えてる」


佐藤は、迷うことなく塔の梯子に手をかけた。

「黒木さん! あなたは壁を作った。でも、私たちは空を遮ることはできない!」


「無駄だ、佐藤! 誰がそんな老人の世迷言を見る!」

黒木の嘲笑を背に、佐藤は地上十メートルの塔の頂上へ登り詰めた。

風が吹き荒れ、足元が軋む。

目の前には、巨大なパラボラアンテナのような、磨き抜かれた鏡の破片。


「レン、配信の準備をしろ! タイトルは、『生存権の審判』だ!」


佐藤が、鏡の角度を微調整する。かつてワンルームの孤独死現場を掃除していた時の、あのミリ単位の指先の感覚。

埃一つない鏡面が、春の強烈な陽光を捉えた。


「繋がった……! 信号、安定しています!」

地上のレンが叫んだ。

その瞬間、世界中の数百万の端末に、むつみの「光」が直接、映像を叩き込んだ。


佐藤は、塔の上でスマホのカメラを自分に向けた。

レンズ越しに見えるのは、自分を囲む鉄の壁と、銃を構える男たち。そして、その中で寄り添って生きる、宝石のような仲間たちの姿。


「全世界の皆さん、聞こえますか。私たちは今、東京都によって『病気』と呼ばれています」


佐藤の声は、風に乗って、境界線を越えて、電子の波となって世界中へ広がっていった。


「私たちの病名は、『孤独』でした。そして今、彼らが恐れているのは、私たちがその孤独を克服し、自分たちの足で立ち始めたという『真実』です」


佐藤は、カメラを自分たちの足元の土へ、そして田中やトメの顔へと向けた。

「見てください。この泥だらけの手を。私たちが自分たちで作り、分け合い、笑い合ったこの時間を。これが、隔離されるべき罪ですか? これが、殺されるべきゴミの姿ですか?」


画面の向こう側、東京の駅前ビジョンで、オフィスで、寝室で、人々が足を止めた。

かつて自分たちが「見ないふり」をして捨てたはずの老人たちが、圧倒的な「生」のエネルギーを放ちながら、世界の不条理に問いかけている。


「私たちは、法廷に訴えるつもりはありません。今、この画面を見ている皆さんの『心』に、私たちの生存権を問いたい。もし、私たちが生きる価値がないというのなら、この配信を切ってください。ですが、もし私たちの命に、あなたたちと同じ重みがあると思うなら――」


佐藤は、空を指差した。

「このむつみに、あなたの『声』を届けてください。壁を壊すのは、武器じゃない。私たちがここにいるという、その承認なんです!」


その瞬間、チャット欄が爆発した。

「生きろ!」「佐藤さん、負けるな!」「俺たちも孤独だ、あんたたちは希望だ!」

数千万という「光」のメッセージが、むつみのサーバーに流れ込み、杉本の構築したシステムが歓喜の悲鳴を上げた。


「黒木さん、見てください。あなたのシステムは、もう私たちを制御できない」


フェンスの向こうで、黒木が顔を蒼白にさせてよろめいた。

彼のスマホには、上層部からのパニック状態の着信が鳴り止まない。世界中からの抗議デモ、そして何よりも、この「光の配信」を止める手段がもはや存在しないという絶望。


「……ばかな。ただの老いぼれが……ゴミが、世界を動かしたというのか」


黒木の手から、タブレットが滑り落ち、雪解けの泥の中に没した。

それは、彼が信じてきた「数字の支配」が、終わった瞬間だった。


塔の上で、佐藤は深く、静かな息を吸い込んだ。

鼻を突くのは、春の山が放つ、力強い「生」の匂い。

足元では、田中が拳を突き上げ、トメが涙を拭い、若者たちが抱き合っている。


壁はまだそこにある。

だが、その壁に、もう誰も怯えてはいなかった。

むつみは今、この瞬間、世界で最も孤独から遠い場所になったのだ。


「……さあ、掃除の仕上げだ」

佐藤は、空から降り注ぐ何千万もの「光」を浴びながら、微笑んだ。


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**物語はいよいよ、最高潮のフィナーレへ。第19話:砂利たちの行進。**

**黒木の封鎖を、民衆の声が物理的に押し戻します。そして、佐藤たちは東京へと戻るのではなく、ある「驚くべき決断」を下します。むつみを「理想郷」として固定するための、最後の戦い。詳しく描きますか?**


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