第17話:巨石の加護と嵐

春の柔らかな陽光は、一夜にして消え失せた。


代わりにむつみを支配したのは、天を裂くような稲光と、すべてを叩き潰そうとする豪雨の暴力だった。叩きつける雨粒が、せっかく芽吹いたばかりのフキノトウを泥に沈め、むつみの山々は怒れる獣のような唸り声を上げている。


「……山が、泣いてる」


集会所の軒下で、嘉平が濁流の流れる先を見つめて呟いた。その隣で、杉本がタブレットの画面を必死に追っている。センサーが感知する地盤の振動データは、すでに限界値を越え、真っ赤に警告を発していた。


「佐藤さん、不味いぞ。このままの雨量だと、裏山の斜面が持たない。土石流が起きれば、村の半分が飲み込まれる!」


杉本の声が風の咆哮にかき消されそうになる。

村の男たちは総出で土嚢を積んでいたが、自然の怒りの前にはあまりに無力だった。田中の咆哮も、重機の唸りも、叩きつける雨音にかき消されていく。


「諦めるな! ここは俺たちが宝石に磨き上げた場所だ、泥に帰してたまるか!」

田中が全身泥まみれになりながら叫ぶが、その足元の地面が、不気味に「ミシリ」と震えた。


その時、嘉平が静かに立ち上がった。その手には、儀式にでも使うような古びた鉄の杖が握られていた。


「……みんな、わしに付いてこい。むつみの『巨石』へ行くんだ」


「嘉平さん、あんな危ない場所に!? あそこは崖のすぐ上だぞ!」


「いいから来い! あそこには、この村が『むつみ(睦み)』と呼ばれるようになった理由が眠っとる」


降りしきる雨の中、佐藤たちは嘉平に導かれ、村の最奥にある巨大な石の広場へと這うようにして登った。視界を塞ぐ激しい雨。鼻を突くのは、抉られた土の生々しい匂いと、大気を引き裂くオゾンの香り。


ついに辿り着いたその場所には、霧の向こうに鎮座する、三つの巨大な岩があった。

「むつみの巨石」――。

普段は信仰の対象として静かに佇むその石たちが、雷光に照らされ、まるで意志を持つ巨人のように見えた。


「佐藤の旦那、杉本の旦那。よく見ておけ」

嘉平が杖で岩の根元を指した。そこには、数百年もの風雪に耐えたであろう、精巧な幾何学模様が刻まれていた。


「これは、ただの石じゃねえ。先祖代々、むつみの民が飢饉と水害から逃れるために築き上げた『水抜き(みずぬき)』の要石だ」


「水抜き……? 嘉平さん、まさかこれ、人工物なのか」

杉本が岩の表面に触れ、その質感に目を見開いた。


「そうだ。岩の下には、村の地下を縦横無尽に走る空洞(あな)が掘られとる。石と石が睦み合うように重なることで、山に溜まった水を逃がし、土砂を止める『堰(せき)』になる仕掛けだ。だが、長い年月で泥が詰まり、息ができんようになっとる」


「つまり、この巨石の『目詰まり』を解消すれば、山の圧力を逃がせるってことか!」

佐藤が叫んだ。かつて清掃員として、詰まった配管や汚れを数えきれないほど取り除いてきた男の勘が、激しく疼く。


「杉本さん、田中さん、聞こえるか! これは大規模な『掃除』だ! 俺たちが一番得意な、場を清める仕事なんだよ!」


「合点だ!」

田中が岩の隙間に大型のジャッキを突っ込んだ。

「杉本、岩の重心を計算しろ。どこを数センチ動かせば、水が抜ける!」


杉本はタブレットを雨から守りながら、ドローンを飛ばし、岩の接合部をミリ単位で解析していく。

「……左から二番目の岩、その基部にある堆積物だ! そこに高圧の振動を加えれば、バイパスが開通する。だが、タイミングを間違えれば岩が崩れて俺たちが潰されるぞ!」


「カイ、レン! 重機の油圧をこっちに回せ!」

若者たちが泥に塗れながら、ケーブルを引きずる。


最新の解析データと、嘉平が記憶する古の知恵。

そして、佐藤が磨き上げてきた「目詰まりを見抜く目」が、一つの点に集約されていく。


「今だ、田中さん! こじ開けろ!」


「おおおおおっ!」

田中の渾身の力が、ジャッキを介して巨石に伝わる。

同時に、杉本がセットした振動子(バイブレーター)が、岩の奥深くにある泥の固まりを揺さぶった。


ズゥゥゥゥ……。

大地の底から響くような地鳴りがした。

次の瞬間、巨石の隙間から、溜まりに溜まった黒い濁流が、滝のような勢いで噴き出した。


「抜けた……! 抜けたぞ!!」


噴き出した水は、嘉平の教え通りに作られた石の溝を通り、集落を避けるようにして谷の底へと吸い込まれていく。山全体の「重み」が、霧散していくのが肌で分かった。


雨はまだ降り続いていた。

だが、山が上げる悲鳴は止み、代わりに心地よい水の流れる音だけが響いていた。


佐藤は、泥だらけのまま巨石に背を預け、荒い息を吐いた。

冷たい雨が顔を洗う。

指先は冷え切り、体力の限界はとうに過ぎていたが、胸の奥には、かつて東京で感じたことのない「守り抜いた」という熱い充足感が、静かに、だが確かに灯っていた。


「……見たか、嘉平さん。先祖様も驚いてるぜ。まさか東京から来た『砂利』たちが、この石を動かすなんてよ」

田中が笑いながら、地面に大の字に寝転がった。


「……ああ。お前さんたちはもう、星落ち(転送者)じゃねえ」

嘉平が、震える手で佐藤の泥まみれの肩を叩いた。

「この土地を愛し、守り抜いた。今日からお前さんたちは、正真正銘の『むつみの民』だ」


嵐の夜。

世界中が、カイの暴露した「人体実験」のニュースに激震し、東京都への非難が嵐のように吹き荒れていることを、彼らはまだ知らない。


だが、この瞬間、彼らにとって一番重要だったのは、自分たちの手で「自分たちの居場所」を、自然の猛威から守りきったという、この重みのある手応えだった。


夜が明ける頃には、雨は小降りになっていた。

巨石の向こう、山の端が白み始め、むつみの村を浄化するような美しい朝靄が立ち込める。


「佐藤さん」

レンが、明けの明星を指差した。

「見てください。……あんなに綺麗だ」


佐藤は頷き、汚れた箒を杖代わりに立ち上がった。

「さあ、帰ろう。トメさんが、温かい汁を作って待ってくれているはずだ」


壊滅の危機を乗り越えたむつみの地で、宝石たちは、かつてないほど強く、そして深い輝きを放ち始めていた。


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**物語は、ついに最終決戦へと向かいます。第18話:都庁、最終宣告。**

**嵐が過ぎ去った後、追い詰められた東京都(黒木)は、ついにむつみ地区を「伝染病発生地」として完全に封鎖し、軍事的な圧力さえも示唆する強硬手段に出ます。物理的に孤立したむつみ。しかし、佐藤たちは法廷ではなく「全世界へのライブ配信」を武器に、最後の反撃を開始します。詳しく描きますか?**


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