第16話:システム・バックドア

春の浮き足立った空気が、一瞬にして凍りついた。


杉本の作業場。かつては納屋だったその場所には、今やむつみ村の心臓部となるサーバーが鎮座している。廃材を組み合わせて作られた冷却装置が、低い唸りを上げながら青白い排気を吐き出していた。


「……来たな。ついに口を開けたぞ、あの巨大な化け物が」


杉本が、乾いた指先でエンターキーを叩いた。モニターに映し出されたのは、東京都の紋章が刻印された「極秘」のディレクトリ。かつて彼がメーカーのトップエンジニアとして都のシステム構築に深く関わっていた際、万が一の保険として仕込んでおいた「裏口(バックドア)」が、数年の沈黙を破って発動したのだ。


横で見守っていたカイの喉が、こくりと鳴った。

室内に漂うのは、オーバーヒートしそうな基板の焦げた匂いと、杉本が淹れた濃すぎるコーヒーの苦い香り。


「杉本さん、これは……何なんですか。文字化けじゃないですよね?」


画面を流れる無機質なリスト。そこには、むつみに送られた老人たちの名前と、それに対応する「適合率」という謎のパーセンテージが並んでいた。


「……信じられん。連中、最初から俺たちを『人間』として見ていなかったんだな」


杉本の声が、怒りで低く震える。

マウスをクリックするたびに、おぞましい真実が剥き出しになっていく。

『孤立高齢者有効活用計画:フェーズ4』。

その資料には、医療コストを削減するどころか、老人たちの体を「リソース」として再利用する計画が、血の通わない事務的な文体で記されていた。


「……臓器ドナーの強制適合リスト。それから、これは……未承認の新薬の、臨床データか?」


カイがモニターに顔を近づけ、その文字を追う。

「適合率98%……佐藤さんの名前がある。トメさんも、田中さんも。……待てよ、僕やレンの名前まで……。若年層の孤独死予備軍は、『長期的な経過観察を目的とした対照群』……?」


カイの指先が、ガタガタと震え始めた。

「僕たちは、死ぬのを待たれていただけじゃない。解体される順番を待たされていたってことか?」


「黒木め……効率化という名の殺人、か。あいつが言っていた言葉の意味が、ようやく分かったよ。死ぬのを待つコストさえも、連中には惜しかったんだ。死ぬ前に、最後の一滴まで絞り取るつもりだったんだ」


杉本は、モニターから目を逸らすように窓の外を見た。

そこには、自分たちの未来が実験動物のものであるとは露ほども知らず、春の陽光の下で笑い合う佐藤やトメ、そして祭りに集まった若者たちの姿があった。


「カイ、このデータを、お前の手で世界に放り出せ」


「……えっ?」


「俺がやれば、都庁のセキュリティが逆探知してくる。だが、お前の世代のやり方なら、拡散の火は消せない。奴らの『システム』を、中から焼き尽くしてやれ」


カイは、手元にあるメモリスティックを見つめた。

その中には、むつみ村の平和を根底から覆し、世界中にパニックと嫌悪を撒き散らす「毒」が入っている。


「でも、杉本さん。これを公開したら……むつみは、どうなるんですか?」


カイの声は、悲痛な響きを帯びていた。

「今、あんなにみんな笑ってる。佐藤さんも、トメさんも、ようやくここを『自分の居場所』だと思えるようになったのに。こんな事実を知ったら……みんな、また『自分はゴミなんだ』って、絶望しちゃうんじゃないですか?」


「……カイ」


「僕は怖いんです。真実を伝えることが、みんなの心を殺すことにならないか。せっかく宝石みたいに輝き始めたのに、また『解体予定の臓器』に戻されるなんて……!」


カイの瞳から、大粒の涙が溢れた。

春の風が、開いた窓から入り込み、埃っぽい室内に花の香りを運んでくる。

その香りが、あまりにも残酷で、美しい。


その時、作業場のドアが静かに開いた。

「……何をそんなに、難しい顔をしてるんだい」


入ってきたのは、佐藤だった。その手には、作業の合間の差し入れだろうか、握りたての小さなおむすびが並んだ皿があった。


「佐藤さん……」

カイが慌てて画面を隠そうとする。しかし、佐藤の穏やかな、だがすべてを見通すような眼差しが、モニターの青い光を真っ直ぐに捉えていた。


「見せてもらったよ、少しだけね」


「……ごめんなさい。黙っていようと思ったんです」


「いいんだよ、カイ。俺たちはね、清掃員だったから分かるんだ。汚いものを隠して、上から綺麗な布を被せたって、下にあるゴミは消えない。いつか腐って、もっとひどい臭いを放つだけだ」


佐藤は、カイの震える肩に、ゴツゴツとした、だが温かい手を置いた。

「俺たちは、臓器のパーツじゃない。でも、連中がそう思っているのなら、それを白日の下にさらさなきゃいけない。俺たちの命は、誰かに切り売りされるためのものじゃない。俺たち自身のものだってことを、証明するためにね」


「でも、ショックを受ける人が……」


「大丈夫だ。むつみの連中を甘く見るな。冬を越したんだぞ。どんな泥を投げつけられたって、俺たちの輝きは濁りゃしないよ」


佐藤は、おむすびの一つをカイの口に押し込んだ。

「食べな。米の味を、噛み締めなさい。俺たちは生きてる。その事実以上に、強いデータなんてこの世にはないんだから」


カイは、涙で塩っぱくなったおむすびを、必死に咀嚼した。

喉を通る、力強い生命の塊。

胃の腑が熱くなる。

その熱が、葛藤を、決意へと変えていく。


「……分かりました。やります」


カイがキーボードに向き直った。

杉本が、静かに頷く。

「タイトルはどうする?」


カイは、少しだけ考え、画面に文字を打ち込んだ。

『むつみより、すべての「部品」にされた人々へ。』


送信ボタンの上に、指が置かれる。

窓の外では、トメの笑い声が聞こえた。田中の叩くハンマーの音が、リズム良く春の山々に響いている。


「……いけっ」


クリック一つ。

電子の奔流が、むつみのマイクログリッドを駆け抜け、衛星を経由して、東京の、そして世界の巨大なサーバー群へと牙を剥いた。


それは、砂利と呼ばれた者たちによる、最も静かで、最も残酷な「反撃」の始まりだった。

むつみの山々に、また一つ、新しい、そして今度は「覚悟」という名の冷たい風が吹き抜けた。


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**第17話:巨石の加護と嵐**


**真実が暴露され、世界が騒然とする中、都庁はさらに追い詰められます。一方、むつみには天災が迫っていた。暴露への報復かのような「嵐」が、村を、そして命の源である「巨石」を揺さぶります。嘉平が語る「土地の真実」とは。詳しく描きますか?**


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