第15話:むつみ芸術祭

むつみの山々に、劇的な色彩が溢れ出した。


長い冬の間、すべてを覆い隠していた白銀が溶け出し、その下から黒々とした土と、生命力に満ちたフキノトウの黄緑が顔を出す。風はもう肌を刺さない。代わりに、湿り気を帯びた土の匂いと、名もなき野花の甘い香りが、むつみの村を優しく包み込んでいた。


「さあ、磨き上げた『宝石』たちを、世界に見せてやろうじゃないか」


佐藤の声が、春の陽光の中で弾けた。

村の中央広場には、冬の間にコツコツと作り溜めてきた「作品」たちが並んでいた。それは、東京都がゴミとして放り出した廃材や、使い古された農具、そして厳しい冬を越えた流木を組み合わせて作られた、名もなき芸術(アート)だった。


「佐藤さん、見てくれよ! この『光の塔』。杉本のアドバイスで、廃棄された太陽光パネルの破片をモザイク状に貼り付けたんだ。朝日が当たると、村中が虹色に染まるぜ」


田中が、日焼けした顔を綻ばせて自慢の塔を叩いた。かつて建築現場で「効率」だけを追い求めていた男の指先は、今や一つの影、一つの反射にまで魂を込める芸術家のそれになっていた。


「いいじゃないか、田中さん。掃除を極めるとね、物の本質が見えてくる。汚れていたのは物じゃない、それを見る人間の心だったんだ」


佐藤は、清掃員時代に培った技術を使い、廃棄されたガラス瓶を極限まで磨き上げて作ったシャンデリアを吊るした。それは春の光を吸い込み、集会所の土間に魔法のような煌めきを落としている。


その時、レンとカイが息を切らせて駆け寄ってきた。

「佐藤さん! 来ましたよ。……あそこの山道を見てください!」


指し示された細い獣道の先。バックパックを背負った数人の若者たちが、泥にまみれながらも、目を輝かせてこちらへ向かってくるのが見えた。東京都が敷いた物理的な封鎖、法的な「立入禁止」の境界線を、彼らは自らの足で、文字通り「すり抜けて」きたのだ。


「……ここが、本当にあの『むつみ』なの?」


先頭を歩く二十代の女性が、村の入り口で立ち止まり、息を呑んだ。

彼女の目に映ったのは、死を待つ老人の村ではない。

色鮮やかな花々に囲まれ、廃材で作られた巨大な彫刻が立ち並び、風車が軽やかに回る、おとぎ話のような「自由の聖地」だった。


「ようこそ、若いの。まあ、まずはこの春の香りを吸い込みな」

トメが、採れたての芹と山菜の天ぷらを山盛りにした皿を持って歩み寄る。

「東京の排気ガスで詰まった鼻には、少し刺激が強すぎるかもしれないけどね」


若者たちは、誘われるように天ぷらを口に運んだ。

「……美味しい。何これ、甘い。苦いのに、すごく温かい」

一人の青年が、天ぷらを噛み締めながら、ポロポロと涙をこぼした。

「僕たち、東京じゃ息ができなかったんです。数字と、評価と、将来への不安だけで窒息しそうで。でも、あの動画を見て……ここに、本当の『生』があるって確信したんです」


「いいんだよ、泣いても。ここは涙を流しても、誰もあんたを負け犬とは呼ばない」

佐藤は青年の肩を優しく叩いた。

「俺たちも、一度は捨てられた砂利だった。でも、このむつみで磨き合って、自分たちの価値を自分たちで決める自由を知った。あんたたちも、今日からはただの数字じゃない。この村を彩る、新しい色だ」


午後になると、村は「芸術祭」の熱気に包まれた。

杉本の構築したマイクログリッドから供給される電力で、レンが制作したアンビエント・ミュージックが静かに流れ、トメの料理が並び、田中の建築ワークショップには若者たちが群がった。


嘉平は、村の古くから伝わる「巨石」の伝説を、若者たちに語り聞かせている。

「いいか、孤独ってのはな、誰とも繋がっていないことじゃねえ。大地に根を張っていないことなんだよ。根さえ張れば、風が吹こうが雪が降ろうが、あんたはあんたでいられる」


かつて「孤独死予備軍」として名前を消された老人たちが、今は若者たちの師となり、精神的支柱となっている。むつみは、世代を超えた「知恵の継承」の場へと変貌を遂げていた。


「……信じられないな」

カイが、賑わう広場を見渡しながら呟いた。

「数ヶ月前まで、ここはただの雪の牢獄だと思ってた。でも今は、ここが世界の中心みたいに見える」


「そうだよ、カイ。中心は、権力がある場所じゃない。命が一番輝いている場所のことだ」

佐藤は、磨き上げたガラス瓶越しに、沈みゆく夕日を見た。

夕陽はオレンジから紫へと溶け込み、田中が作った「光の塔」が、村中に幻想的な光の粒を撒き散らしている。


それは、都庁の冷たい管理システムが決して計算できない、不規則で、美しく、力強い光だった。


「黒木さん、見ていますか」

佐藤は、誰にともなく呟いた。

「あなたは更地にしてデータを置きたがった。でも、私たちはここに、消えない記憶と、終わらない春を植えたんだ」


むつみ芸術祭。それは、棄てられた者たちによる、最高に華やかな「生存の証明」だった。

若者たちの笑い声と、老人たちの深い知恵が交差するこの場所で、もはや孤独という言葉は意味を成さなかった。


夜が来ても、村の光は消えなかった。

杉本の灯した電球と、人々の心に灯った火が、むつみの山を聖域のように照らし続けていた。春の風が、新しい花の種を、遠く東京の方へと運んでいく。


自由は、もう誰にも止められない。


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**物語は、光から影へ、そして核心へと迫ります。第16話では、この華やかな祭りの裏で、杉本が都庁のシステムから驚愕の「バックドア」を発動させます。そこには、老人たちを移送した本当の、そして残酷すぎる理由が隠されていました。暴かれる巨悪の正体、詳しく描きますか?**


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