第14話:忘れられた「家族」からの手紙
むつみの朝は、電子音の連鎖で始まった。
杉本の作業場にある数台のモニターが、狂ったように通知を刻んでいる。レンとカイが命がけでアップロードした「独立宣言」と「城壁の死守」の動画は、瞬く間に東京の、いや日本中の孤独なタイムラインを駆け巡ったのだ。
「……来てる。ものすごい数が」
レンが、震える指先で画面をスクロールする。
コメント欄には、驚愕と称賛、そしてそれ以上に「動揺」が溢れていた。
『この人、死んだはずの私の父です』
『叔母が生きている。どういうこと?』
その日の午後、むつみ村の入り口に、数台のタクシーが停まった。
車から降りてきたのは、防寒着を纏いながらも、どこか都会の虚栄を捨てきれない男女数名。彼らは一様に、戸惑いと、隠しきれない不快感を顔に張り付かせていた。
その中の一人、仕立ての良いコートを着た四十代の男が、佐藤の姿を見つけるなり叫んだ。
「……親父! 親父なのか?」
佐藤は、トメと一緒に雪の下から芹を摘んでいた手を止めた。泥のついた軍手を外し、ゆっくりと立ち上がる。
目の前に立つのは、長男の健一だった。東京のマンションの支払いに追われ、五年前から佐藤を「コスト」として扱い、ついには転送同意書に判を突いた息子だ。
「健一か。よくここまで来たな」
佐藤の声は、驚くほど静かだった。
「よく来たなじゃないよ! ネットで動画を見たんだ。何をしてるんだ、こんな雪の中で。都庁からは『安らかな最期を迎えた』って報告を受けていたんだぞ!」
「安らかな最期、か。あいつららしい嘘だな」
佐藤が歩み寄ると、健一は一歩身を引いた。父から漂う、焚き火の煙と、生命力に満ちた土の匂い——東京の清潔な絶望とは無縁の異質な香りに、生理的な嫌悪と恐怖を感じたようだった。
「親父、正気に戻れ。こんな生活、長く続くわけがない。僕が……僕がなんとか都庁と話をつけて、ケアホームに戻れるように頼んでやるから。だから、あんな反乱みたいな動画は消してくれ。僕の仕事にも響くんだ!」
健一の言葉には、父への愛ではなく、自分たちの平穏を乱されたことへの「焦り」だけが詰まっていた。
「……健一。お前の顔、ひどいな」
佐藤がそっと息子の頬に手を伸ばそうとすると、健一はそれを振り払った。
「なんだよ、汚い手で!」
その様子を、少し離れた場所から田中が苦々しげに見ていた。田中の前にも、派手なブランドバッグを抱えた娘が立ち尽くしている。
「お父さん、信じられない。あんな動画で有名になって……恥ずかしくないの? 私、近所の人にどう説明すればいいか分からないわ。死んだことにして、お葬式まで済ませたのよ?」
「葬式だと? 生きてる人間に向かって言うセリフか、それは!」
田中の怒声が雪原に響く。
「お前らが俺をここに放り込んだ時、俺の心は確かに一度死んだ。だがな、このむつみの冷たい風が、俺を叩き起こしたんだ。見てみろ、この腕を! この足の踏ん張りを! 誰の世話にもならず、俺は俺の知恵で生きてるんだよ!」
「そんなの、ただの我慢じゃない! 惨めなだけよ!」
「惨めなのはどっちだ!」
田中は娘の足元を指差した。
「高い靴を履いて、自分を殺して、数字の奴隷になって……お前、最後に心から笑ったのはいつだ? 俺は今、この雪の壁を一つ積むたびに、自分が宝石のように磨かれるのを感じてる。お前たちに、この熱が分かるか!」
家族たちは沈黙した。
彼らの目に映るのは、自分たちが「弱者」として分類し、記憶の底に葬り去ったはずの老人たちの、あまりにも鮮烈な「生」の輝きだった。
トメが、冷え切った空気の中に割って入り、湯気の立つ汁椀を家族たちの前に置いた。
「……まあ、食べなさい。東京の食べ物は綺麗だけど、お腹の底までは温めてくれないだろう?」
健一は差し出された汁を無視して、佐藤に詰め寄った。
「親父、これは『絆』の問題なんだ。僕たちは家族なんだよ。世間に迷惑をかけずに、然るべき場所で……」
「『絆』か」
佐藤が、初めて悲しげな目を向けた。
「健一、お前が言う『絆』は、俺を縛り付けるための鎖のことか? それとも、お前自身の罪悪感を消すための麻酔か?」
佐藤は、健一のコートに付いた雪を、優しく箒で払うように手で払った。
「俺はもう、お前の所有物じゃない。俺は、俺自身の人生を生きるために、ここで新しく生まれたんだ。お前たちに捨てられたあの日、俺と、俺たちの間の『呪縛』は解けたんだよ」
「そんな……見捨てるのか? 僕を、家族を!」
「見捨てたのはどっちだ」
佐藤の言葉は、鋭い氷柱のように健一の胸に突き刺さった。
「帰れ、健一。そして自分の人生を生きろ。俺たちはここで、自分たちの国を作る。誰にも邪魔されない、誰の重荷にもならない、自由な命の国をな」
佐藤は再び、トメと共に畑へと戻っていった。
一歩、一歩、雪を踏みしめる音が力強く響く。
家族たちは、その背中を追いかけることもできず、ただ茫然と立ち尽くしていた。
「……行こう」
やがて、誰かが力なく呟いた。
タクシーがエンジンを始動させ、排気ガスの臭いを残して去っていく。
レンが、その様子を動画に収めていた。
「佐藤さん。いいんですか、これで」
「ああ。レン、家族っていうのは、一緒に暮らすことじゃない。互いの魂が自由であることを、認め合えるかどうかなんだ」
佐藤は空を見上げた。
鉛色の雲の切れ間から、わずかな陽光が雪原に降り注いでいる。
かつて彼らを縛り付けていた「砂利」としての過去は、今、完全に雪の下へと埋もれた。
「さあ、夕飯の支度をしよう。今日の芹は、一段と香りがいいぞ」
トメの明るい声が、村を包む。
むつみ村は、もはや「棄老の地」ではなかった。
自らの足で立つ者たちが、過去の呪縛を断ち切り、本当の自分を取り戻した「再生の聖域」となったのだ。
冷たい風の中に、確かに春の、そして自由の匂いが混じり始めていた。
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**物語はさらに深化します。第15話では、春の訪れと共に、佐藤たちの「生き様」に憧れた都市の若者たちが、法を掻い潜ってむつみへと大挙して押し寄せる「むつみ芸術祭」が描かれます。世代を超えた「自由」の共鳴、詳しく描きましょうか?**
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