第9話:若き「孤独」との邂逅
「……嘘だろ。なんで、俺が」
雪煙の向こう側、激しく咳き込みながら膝をついたのは、あまりに場違いな姿の青年だった。 薄手のMA-1に、履き古したスニーカー。首元にはヘッドホンがぶら下がっている。彼は、イグルーの前の雪原に放り出された。 佐藤は慌てて駆け寄り、青年の肩を抱き起こした。
「おい、しっかりしろ! 息を吸え!」
「……死んだ……はずだ。俺、アパートで、眠る薬を……」 青年の瞳は、濁ったガラス玉のように虚ろだった。名はカイ(24歳)。システムエラーか、あるいは東京都が「若年層のコスト」さえも切り捨て始めたのか。彼は本来、老人たちのためのこの流刑地に、一人の若き「死志願者」として墜ちてきたのだ。
イグルーの中に運び込まれたカイは、暖かな空気の中でも、ガタガタと歯の根が合わないほど震えていた。
「いいか、若いの。ここは絶望する暇もない場所だ。死にたきゃ勝手にしろと言いたいが、この雪の中で死なれると掃除が面倒でかなわん」 田中が、わざとぶっきらぼうに言いながら、カイの濡れた靴下を脱がせ、荒れた手でその凍えた足を揉み始めた。
「……やめてくださいよ。どうせ死ぬんだ。ほっといてくれよ! 東京にいたって、誰も俺のことなんて見てなかった。画面の中の数字が増えたり減ったりするだけで、俺が生きてる意味なんて、どこにも……っ!」 カイが泣き叫ぶ。その声は、かつて佐藤たちが抱えていた「孤独」そのものだった。
「意味なんて、自分で作るもんだよ。坊や」 トメが、小さな木の器に熱いスープをなみなみと注ぎ、カイの鼻先に突きつけた。 「ほら、飲みな。これはあんたが馬鹿にしてる『老人』たちが、雪の下から掘り出した命の汁だ」
カイは拒絶するように顔を背けたが、漂ってきた大根と乾肉の、野性味あふれる香りに、胃袋が不意に鳴った。生物としての本能が、意思を裏切ったのだ。 震える手で器を持ち、一口啜った瞬間、カイの目から大粒の涙がスープの中に落ちた。
「……あったかい。……なんで、こんなに」
「それはな、カイ君。俺たちが『生きる技術』を注ぎ込んだからだ」 佐藤が、カイの背中を優しくさすった。 「俺も、死に場所を探してここへ来た。でも、田中さんに家の作り方を教わり、トメさんに野菜の掘り方を教わり、杉本さんに電気の興し方を教わった。……東京では『ゴミ』だと言われたスキルが、ここでは『魔法』になるんだ」
カイは、鼻を啜りながらイグルーの内壁を見渡した。精密に積み上げられた雪のブロック、天井から下がるLEDの柔らかな光。 「魔法……。雪の家を作るのが?」
「そうだ。いいか、お前に伝承してやる。これは、検索しても出てこない『生きる残りの知恵』だ」 田中が立ち上がり、カイの前にスコップを放り投げた。 「そのヘッドホンを外せ。雪の音を聞け。雪が重く鳴り始めたら、崩れる合図だ。風の匂いが変わったら、火を消せ。……お前が東京で学んだことはここでは役に立たんかもしれんが、お前のその若い筋肉は、この村を春まで持たせるための『宝』だ」
「……俺が、宝?」
「ああ。少なくとも、俺にとってはそうだ」 杉本が、隅の方で基板を弄りながら言った。 「私はこの地区の通信網を完成させたいが、細かい配線作業には目が追いつかん。お前のその若くて器用な指先を、私に貸してくれ。……死ぬのは、この村のWi-Fiを繋いでからでも遅くないだろう?」
カイは、床に置かれたスコップを見つめた。 冷たくて、重い鉄の感触。それは、今まで彼が触れてきたスマホの液晶よりも、ずっと確かで、残酷なほど「現実」の重みを伝えていた。
「……やってみます。……死ぬ気になれば、雪かきくらい」
「へっ、上等だ」 田中が笑い、カイの頭を手荒く撫でた。
その夜、イグルーの中には五人の命の灯が並んだ。 老人たちはカイに、代わる代わる語りかけた。失敗した人生の話、かつての恋の話、そして、雪の下に眠る「希望」の掘り出し方。 世代を超えた共助――それは、効率と合理性を重んじる東京が最も嫌い、そして最も恐れる「人間の絆」だった。
カイが、寝袋の中で小さく呟いた。 「……東京にいた時より、今の方が、自分が誰だか分かる気がします」
「それが生きるってことだよ、カイ君」 佐藤は目を閉じ、静かな充足感の中で眠りに落ちた。
外では、むつみの荒ぶる吹雪が相変わらず咆哮を上げている。 しかし、その中心にある白銀のドームの中では、若き孤独と老いた孤独が睦み合い、絶望を焼き尽くす温かな火を灯し続けていた。
「残り10日」。 いよいよ、運命の100日目が近づいていた。
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