第4話:棄老(きろう)の理由
雪に閉ざされたむつみ地区。その「廃屋」という名の檻に、新たな「星落ち」たちが運び込まれてきた。 田中が修理したジェットヒーターが唸りを上げ、室内をオレンジ色の微光が満たしている。だが、集まった面々の表情は、その炎よりも冷え切っていた。
「……信じられん。私が、こんな、猿も住まないような場所に……」
部屋の隅で、仕立ての良さそうなチェスターコートを泥にまみれさせて座り込んでいるのは、元中央省庁の官僚だったという大河内(72歳)だ。震える指でスマホの画面を凝視している。その隣には、二十代後半に見える、虚ろな瞳をした青年・レンがいた。彼は東京都の「若年層孤独死予備軍」として、セルフネグレクトの果てにこの地へ送られてきたのだという。
「大河内さん、あんたが作ったシステムなんだろ、これ」 田中が、凍った大根を鉈で叩き割りながら吐き捨てた。 「棄老(きろう)……効率的な人口整理。あんたらが官邸の奥で茶を飲みながら練り上げたプランじゃないのか」
「……私は、国家の持続可能性を計算しただけだ!」 大河内が声を荒らげた。だが、その声はひび割れている。 「増え続ける社会保障費、孤独死による不動産価値の毀損……それを一括で解決するための『再配置計画』。まさか、自分がその計算式に代入される側になるとは……思わなかったんだ……」
「皮肉なもんだね。自分が書いたシナリオで死ぬなんてさ」 レンが、力なく笑った。彼はスマホを弄りながら、画面に映る『残り97日』という数字をみんなに見せた。 「見てよこれ。GPSで俺たちの位置を捕捉して、一秒ごとに『死』が近づいてくるのが見える。東京にいた時は、部屋で何日も風呂に入らず、カップ麺の殻に囲まれて、いつ死んでもいいって思ってた。……でもさ、こんな白い地獄でカウントダウンされると、なんか……ムカつくんだよ」
佐藤は、レンの言葉に胸を突かれた。 東京のワンルームマンションにいた頃、自分もそうだった。カーテンを閉め切り、埃の舞う部屋で、社会から無視されていることに安堵していた。セルフネグレクト――それは、緩やかな自殺だった。
「……セルフネグレクトなんて、してられねーよな」 佐藤が独り言のように呟いた。 「え?」 レンが顔を上げる。
「東京にいた時は、誰にも迷惑をかけずに消えるのが礼儀だと思ってた。でもな、レン君。ここに来て分かった。あいつらは、俺たちが勝手に死ぬのを『礼儀』じゃなく『コスト削減』だと思ってやがる。……俺たちが風呂に入らず、飯も食わずに腐っていくのを、あいつらは計算機を叩きながらニヤニヤ待ってるんだ」
佐藤は立ち上がり、田中の横に膝をついて、割られた大根を手に取った。 「大河内さん、あんたが作ったシステムなら、出口も知ってるはずだ」
「出口……? そんなものはない。100日後にバイタルが停止すれば、埋葬船が来る。それだけだ」
「なら、書き換えてやろうぜ、その計算式を」 田中がガハハと笑い、大根をヒーターの上の鍋に放り込んだ。 「大河内、あんたの頭脳。レン、お前の指先。佐藤の掃除の腕。それに俺の腕っぷしだ。30万の生活保護費を、死ぬための香典じゃなく、反撃の軍資金にしてやるんだ」
その時、レンのスマホが激しくバイブレーションした。 『警告:対象者間の過度な接触を検知。コミュニティ形成はプログラムの意図に反します。速やかに解散してください』
「ハッ、見てろよ」 レンの瞳に、初めて小さな火が灯った。 「『過度な接触』だってさ。……最高じゃん。あいつらが一番嫌がってるのは、俺たちが孤独じゃなくなることなんだ」
レンはスマホを高速で操作し始めた。 「大河内さん、行政システムのバックドア、覚えてますか? 端末の制限を解除して、ドローン配送の注文リストを書き換えます。キャンプ用品だけじゃ足りない。……種を、注文しましょう」
「種だと?」 大河内が目を見開く。
「そうだ。雪の下で春を待つ種だ。俺たちはここで、100日後の死を待つんじゃない。101日目の『春』を作るんだよ」 佐藤は、凍りついた窓ガラスを手のひらで拭った。 外は相変わらずの猛吹雪だ。だが、その白さの中に、昨日までは見えなかった「可能性」という名の輪郭が見えた気がした。
「セルフネグレクトなんて、贅沢な遊びだったんだな」 佐藤は笑った。 「腹が減った。田中さん、その大根、早く煮ろよ。……生きて、あいつらに特大の請求書を送りつけてやるんだから」
廃屋の中に、大根の煮える匂いが漂い始める。 それは、東京の清潔で無機質な絶望には決してなかった、泥臭くて力強い「生」の匂いだった。 四人の老兵と一人の若者。 棄てられた者たちの反撃が、むつみの深雪の下で、静かに、だが確実に胎動を始めていた。
「残り97日」。 その数字はもはや、彼らにとって死のカウントダウンではなく、革命への準備期間に変わっていた。
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