第3話:村の「先住者」たち

翌朝、佐藤は暴力的なまでの静寂で目が覚めた。  ジェットヒーターの轟音は止まっている。燃料を節約するため、田中がタイマーを切ったのだろう。室内には、吐き出す息が白く凍るほどの冷気が戻っていたが、昨日までの「死の予感」は消えていた。鼻腔を突くのは、古い木材が湿った匂いと、わずかに残るガソリンの臭気だ。


「おい、佐藤。……客だぞ」  板の間で毛布にくるまっていた田中が、低く鋭い声を出した。その視線は、隙間だらけの引き戸の向こうに向けられている。


 佐藤は強張った体を引きずり、窓の隙間から外を覗いた。  雪原の中に、三つの影があった。厚手の防寒着を何枚も重ね着し、背中に背負子(しょいこ)を担いだ男たちだ。手には、雪かき用のスコップというにはあまりに物々しい、鉄製の柄がついた道具を握っている。


「……あいつらか。『星落ち』ってのは」  外の男の一人が、吐き捨てるように言った。その声は凍りついた空気を震わせ、佐藤の耳に届く。 「ああ。また東京から降ってきた。この家も、もうすぐ腐った肉の臭いで使い物にならなくなるべ」


 田中が勢いよく引き戸を開けた。雪が室内に舞い込む。 「誰が腐った肉だ、この野郎! 勝手に人の家の前で葬式ごっこしてんじゃねえ!」  田中の怒号に、村人たちは驚いた顔を見せたが、すぐに軽蔑の色を浮かべた。中央に立つ、顔の皺が深い老人が一歩前に出る。


「威勢がいいのは結構だが、ここはあんたらの家じゃねえ。村の共有物だ。……あんたら『星落ち』は、空から降ってきて、数ヶ月で静かになる。その後片付けをさせられるこっちの身にもなってみろ」 「星落ち……?」  佐藤は田中の後ろから恐る恐る尋ねた。


「ああ、そうだ。あんたらのことだ」  男は空を指差した。 「冬の夜、流れ星みたいに光って、山の中にポツンと現れる。東京の役人が言ってたぞ。『これは人道的支援だ、生活保護費という名の金を村に落とすから、死ぬまで放置しておけ』とな。……だが、実際はどうだ。あんたらが一人で勝手に死ねば、この地区は事故物件だらけだ。特殊清掃の業者を呼ぶにしても、この雪じゃ入ってこれねえ。春になって雪が解けた頃、中がどうなってるか想像してみろ」


 佐藤は胃のあたりがキュッと締め付けられるような不快感を覚えた。  東京にいた頃、隣の部屋で孤独死が起きた時のことを思い出したからだ。夏場だった。ドアの隙間から漏れ出す、甘ったるく、鼻の奥にこびりついて離れないあの腐敗臭。防護服を着た業者たちが、ドロドロになった床を無表情に剥がしていく光景。


「東京の連中は、俺たちをゴミだと思ってる。だが、あんたら村人も同じか」  佐藤の声が震えた。悲しみよりも、底冷えするような怒りが勝った。


「同じじゃねえ。俺たちはここで生きてるんだ。あんたらに勝手に死なれると、この土地が死ぬんだよ」  男は背負子から、古びた大根を一本取り出し、雪の上に放り投げた。 「……食え。死ぬなら、せめて胃の中に物が入ってるうちにしろ。腐るのが早まるだけマシだ」


 村人たちが去った後、佐藤と田中は雪に突き刺さった大根を拾い上げた。土の匂いが強く、凍りついている。  その時、佐藤のスマホが震えた。画面には「東京都・生活維持管理室」からのメッセージが表示されていた。


『対象者のバイタルを確認。生存。……警告:死亡予定日を過ぎた場合の埋葬コストは、都の負担となります。100日以内の自己完結を推奨します』


「自己完結……だと……」  佐藤はスマホを握りしめた。画面をスクロールすると、隠された「特約事項」のページがあった。


「田中さん、見てくれ、これ……」  そこには、非道な計算式が羅列されていた。 『孤独死発見までの平均日数:8日。特殊清掃費用:平均60万円。不動産価値の下落損失:300万円。……本プログラムによる転送措置は、これらのコストを、自然環境による「迅速な風化」によって90%削減することを目的とする』


「つまりな、佐藤」  田中が、火の消えたヒーターを見つめながら低く笑った。 「あいつらは、俺たちがこの雪の中で凍死すれば、マイナス10度の天然の冷凍保存になると思ってるんだ。腐敗が止まり、雪解けと共に『物』として回収すれば、特殊清掃もいらない。事故物件のタグも、この山奥なら誰も気にしない。……全部、計算ずくだったんだよ」


 佐藤の脳裏に、都庁の地下で冷笑を浮かべていた黒木の顔が浮かんだ。  あいつらにとって、自分たちは人間ではない。Excelのシート上で、いかに赤字を減らすための「マイナス因子」でしかないのだ。


「……ふざけるな」  佐藤は、凍った大根を力一杯握りしめた。冷たさが掌を突き刺すが、構わなかった。 「死んでたまるか。埋葬料を浮かせて喜ぶ顔なんて、絶対に見せてやらない」


「そうだ、その意気だ。……おい、佐藤。さっきの村人の顔、見たか?」  田中がニヤリと笑った。 「あいつら、俺たちを『星落ち』って呼んで嫌ってるが、大根を置いていった。……東京の役人と違って、あいつらはまだ、俺たちのことを『肉の塊』じゃなく『食わなきゃ死ぬ生き物』だと思ってる証拠だ」


 佐藤は、窓の外に広がる広大な雪原を見つめた。  どこまでも白く、無慈悲な景色。だが、そのどこかに、自分たちと同じように「生きている」人間がいる。  東京都が押し付けた「100日」という期限。それは、役人たちがコスト計算を終えるまでのデッドラインだ。


「田中さん。俺、決めた。この大根、ただ食うんじゃない。……この雪の下に、もっと何があるか、あの村人に聞きに行こう」 「へっ、いい根性だ。建築屋の知恵と、清掃員の執念……あいつら、とんでもないゴミを捨てたってことを教えてやろうぜ」


 佐藤は、スマホの画面に映る「残り98日」の文字を力強くフリックして消した。  空から降ってきた「星」は、燃え尽きるために降ったのではない。  この冷え切った大地に、新たな火を灯すために落ちてきたのだ。


 吹雪の合間、雲の切れ目から、一筋の陽光が雪原を照らした。  それはダイヤモンドダストのように美しく、そして、冷酷なまでに輝いていた。


 ――第4話へ続く。


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