第6話 古い三輪車
『過去の記憶がお前に喜びを与えるときにのみ、過去について考えよ』
(ジェーン・オースティン)
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翌朝。なんて爽やかな朝だ。山から、川からのマイナスイオンを胸いっぱいに吸い込む。どこからか、ラジオ体操の音楽が流れてくる。懐かしいピアノの伴奏――少し歪んだ古いスピーカーの音だ。
縁側では、朝日を浴びながらビビがラジオ体操をしている。朝っぱらから元気がいいな。
腕を振り、背伸びをし、足を広げるたびに、縁側の板がぎしぎし鳴る。黒猫のロデムが、それを監督のように見つめていた。
「いーち、にー、さーん、しー!」
「……うるさいぞ。宿中に響き渡ってる」
「健康第一です。あと村の人に“朝から元気な観光客”だと思われたいんです」
「近くに民家なんかないだろ」
そんな会話をしていると、朝食を持った宿主が現れた。
「おはようさん。朝から元気の良かねぇ!」
「おはようございます!」
「昨日は、よう眠れたな?」
「はい! 爆睡でした!」
確かに、ビビはよく寝ていた。俺は、ちょっとした物音にも目が覚めて寝不足だ。運転の疲れもあり、今朝はゆっくり寝ていたかったのにこの騒ぎだ。
宿主が、縁側に朝食の膳を置いた。炊き立てのご飯、焼き鮭、卵焼き、漬物、湯気の立つ味噌汁。味噌も醤油も、ぜんぶ手づくりだと聞いた。めちゃくちゃ美味そうだ。
「いただきます!」
ビビは即座に箸を伸ばし、卵焼きを頬張った。
「うまっ。これ、お店出せますよ!」
宿主が嬉しそうに笑い、お茶を注ぐ。どれもやさしい味で、心が温まる。身体の強張りが、解けていく。
ふと、ビビが壁の方を指さした。
「ヨコゾー、見てください。チラシ貼ってありますよ」
「瑞上村婚活交流会。出会いは、ここから~って、過疎地域で行われてる婚活パーティーか」
ビビが急に声を潜める。
「ヨコゾー、参加してください」
味噌汁を吹きかけた。
「なんでだよ」
「このチラシの女性、誰だと思います?」
「わからん。かなりの美人だな」
「この人、十五年前の事件の唯一の生存者です。婚活パーティーを主催している、社会福祉協会で働いています」
「調べたのか?」
ビビはそれには答えず、得意げに味噌汁を啜っている。
「勘違いすんな、褒めてない。おまえ、ストーカーと紙一重だぞ」
「違いますよ。ほら、キャッチ&リリース、覚えてます? 大きく育った魚を、もう一度釣る。犯人が
「幸恵っていうのか」
「はい。一度、会って、事件当時のことを聞きたいんです。時間が経ったからこそ、話せることってあるじゃないですか」
「確かにそうかもしれないが、急に会いに行って聞いたって警戒するだけです」
そこまで言って、はっと気づいた。ビビが婚活パーティーのチラシを、俺に見せた意味。
「だから、俺に婚活パーティーで親しくなれってことか?」
「察しが良いですね。ヨコゾーやるじゃないですか」
「ダメだ」
俺は自他共に認めるコミュ障だ。婚活パーティーという限られた時間で、親しくなれるわけがない。
「大丈夫ですよヨコゾー。イケメンはベラベラ喋る必要はありません」
「俺、イケメンか?」
「うーん、一般的にはイケメンだと思います。背は高いし、私の従兄ですからイケメンに決まってます。彼女いない歴、年齢でもイケメンです」
「それを言うな」
「いい加減捨てろよ童貞を!」
言い捨てて、俺の鮭に手を伸ばしてきた。それを阻止して、ビビの提案を何とか断れないか思案していると、宿主がお茶を持って笑いながら戻ってきた。
「楽しそうにしとるね。なんの相談?」
「村のことを色々と知りたいんで、婚活パーティーに参加しようと思って」
なんの躊躇もなく、ビビが直球で答えた。
「村のこと知りたいねぇ、あんまり変なことに首ば突っ込まんごとな」
その言い方が妙に引っかかった。“首つっこむ”べきなにかがあるんだろうか。
「おじいさん、あの三輪車、乗れますか?」
錆びた三輪車が、朝日に照らされていた。ビビが問いかけると、宿主はお茶を注ぐ手を止めた。何かを思い出したように、少しほほえんで目を細める。
「だいぶ経っとるから、乗られんやろ。孫が乗っとってな」
「お孫さんも、ここに住んでるんですか?」
「息子が家出して、嫁と孫も出て行った」
敢えて、淡々と話す。深い悲しみが溢れてこないように。そう感じた。
「立ち入ったこと聞いてすみません。こらビビ、詮索すな」
「よかよか。もう十五年も前のことやけん」
立ち去る宿主の老いた丸い背中が、切ない。この山奥で、この老人は孤独な夜を何年も過ごしてきたのだ。
「じゃ、ヨコゾーは髭剃ってください。パーティー参加の準備です」
そんなことは気にせず、ビビはチラシをポケットにねじ込んだ。
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