第2話 首だけ探偵

『一年に一度、今まで行ったことがない場所に行きなさい』

                    (ダライ・ラマ)


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 横浜を出たのは、翌朝早く。


 成瀬グループの黒いワゴンは、俺の軽とは別次元の静けさだった。道路の継ぎ目を通るたび、革シートが上品に軋む。ビビは「パパから借りました〜」と言っていたが、本当だろうか?でも問いただしたところで、いつもの調子ではぐらかすだろう。隣を見ると、ビビがポテチを食べながらタブレットをいじっている。


「ねえ、ヨコゾー」

「……おまえさ、なんで毎回“ヨコゾー”なんだよ」

「だって正三ショウゾウって言いにくいじゃないですか」

「普通にショウでいいだろ」

「え、でも横溝正三、ヨコゾーのほうがゴロいいんですよ」

「ゴロで人の名前を決めんな」

「なに言ってるんですか。世の中、だいたいゴロですよ!」

「例えば?」

「お菓子の“ねるねるねるね”とか。乗りとゴロだけで作ってますよね?」

「知らんけど」


 ビビは笑いながら、ポテチを一枚つまんで俺の口元に差し出した。拒否すると、ぐいと、無理やりねじ込んでくる。砕けたカスが、膝に散らばった。


「機嫌を直してくださいよ、ヨコゾー」

「だから呼ぶな!」

「じゃあ“ゾー”だけにします?」


 分かった。もう無視だ。無視!ビビとの会話は、こんなふうに噛み合わない。


 彼女は肩をすくめ、悪びれもせずポテチをもう一枚食べた。俺の眠気を覚ますためなのか知らんけど、もう少し落ち着く話題をしてくれよ。


 成瀬グループのCEOはビビの父親。俺の母はその傘下のホテル事業を任されている。俺が子供の頃に父が病気で亡くなると、成瀬の叔父は父親代わりとなった。つまり、ビビと俺は強い絆で繋がった“同じ一族の人間”だ。


「正三君だけだよ。ビビと気が合うのは」


叔父さんは嬉しそうに言うが、違うぞ。気が合ってるんじゃない。それは、俺がとてつもなく優しいからだ。



 窓の外では、夏の陽射しがアスファルトを白く照らしていた。ビビが、コンビニ袋からミルクティーを取り出して俺の膝に置く。


「ねえ、ヨコゾー」

「……まだ呼ぶんか」

瑞上村みずかみむらのこと、知ってる?」

「おまえから聞くまで、名前すら知らなかったよ」

「水質が最も良好な河川として十九年連続日本一を誇る、川辺川の上流にある村です」

「へえ、観光地か」

「いいえ。山奥で、車一台がやっと通れる道を進むんです。ネット環境が整ってない地域もあるので、シンプルに不便だから過疎地です」


観光ツアーのガイドさんみたいに、満面の笑みで瑞上村のシビアな現実を語り出す。未解決殺人事件の現場に向かっているのに、何がそんなに楽しいのか。


「そりゃ、確かに人いなさそうだな」

「でも、水は最高にきれい。首だけ流れてくるには理想的な場所です」


俺はハンドルを握ったまま、思わず横目で彼女を睨む。首が流れるのに理想的な川なんか、この世にない。


「桃太郎みたいに言うな」

「良いつっこみ。ヨコゾーやるじゃないですか」

「舐めてるのか」


ビビはくすっと笑い、ポテチをもう一枚つまんだ。車の中に充満するスナック菓子の油っぽい匂いと、川を流れる首のイメージ。なんだか吐き気がしてきた。ちょっと休憩したい。


「次のSAに寄るぞ」


 夕方、山陽道に入るころには、流石のビビも疲れたのか窓に頭を預けて微睡んでいた。窓から差し込む夕日が、ビビの頬をオレンジ色に染める。黙ってると可愛いんだけどな。心の中で呟いた。


「ねえ、ヨコゾー」

「……起きてたのか」

「熊本に着いたら、どこ行きます?」

「まず宿。事件現場はそのあと」

「了解です、隊長」

「俺、隊長じゃねぇし」

「じゃあ“首だけ探偵”で」

「縁起でもねぇ呼び名やめろ」


前言撤回。やっぱり可愛くない。

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