第20話 世界は、正しかった
始まりは、通知音だった。
一つ、二つじゃない。
連鎖。
連打。
画面が追いつかない。
《集まって》
《今しかない》
《真実を確かめろ》
《正義を示せ》
場所は、昨日と同じ。
屋上から見下ろした、あの交差点。
人が、集まっている。
スマホを掲げる手。
叫ぶ声。
怒りと期待と、正しさ。
――全部、来た。
万次郎は、歩いた。
止めるためでも、説得するためでもない。
引き受けるために。
交差点の中央。
信号は赤のまま、誰も守らない。
「来たぞ!」
「本人だ!」
「説明しろ!」
声が、波になる。
《殴られた人がいる》
《責任を取れ》
《救ったつもりで逃げるな》
正義が、口を揃える。
万次郎は、両手を上げた。
「はいはい」
気怠げな声。
「揃ってるね」
一瞬、戸惑い。
次の瞬間、怒号。
「ふざけるな!」
「真剣に向き合え!」
「真剣だよ」
万次郎は答える。
「だから、来た」
誰かが、前に出る。
誰かが、拳を握る。
――暴力の予兆。
その瞬間、
空気が、鳴った。
目に見えないはずのものが、
圧力として、全員の胸を押す。
「……なに」
「息、しづら……」
来ている。
完全に。
信仰災害。
SNSが作った、集合知の怪物。
・怒り
・正義感
・被害者意識
・「自分は間違っていない」という確信
それらが、
一つの塊になって、
街の中央に立っている。
万次郎は、息を吸った。
――これが最後。
一気に、来る。
頭痛。
吐き気。
胸の奥が、軋む。
「……っ」
膝が、わずかに揺れる。
「ほら見ろ!」
「やっぱり何かやってる!」
声が、さらに荒れる。
万次郎は、笑った。
「安心しろ」
「今、回収してるだけだ」
誰も理解しない。
理解する必要もない。
吸う。
怒り。
正義。
期待。
失望。
暴力の肯定。
全部、人間の感情。
だから、
全部、重い。
「……っ、は」
視界が、白くなる。
音が、遠のく。
それでも、
万次郎は立っていた。
「正しさってさ」
掠れた声。
「便利なんだよ」
誰かが、黙る。
「自分が正しいって思える」
「だから、他人を殴れる」
空気が、揺れる。
「でも」
万次郎は続ける。
「正しさは、人を守るためにある」
「守れなかった正しさは」
「ただの、凶器だ」
最後の一息。
万次郎は、
全部を吸い切った。
――音が、消えた。
怒号も、通知音も、
風の音さえ、遠い。
人が、立ち尽くしている。
「……あれ?」
「何しに来たんだっけ」
スマホを見る。
画面は、静かだ。
いいねも、コメントも、
もう、増えない。
誰かが、ぽつりと言う。
「……帰ろうか」
一人、また一人、
人が散っていく。
交差点には、
ただの夜が戻る。
信号が、青になる。
車が、走り出す。
――世界は、何事もなかったかのように動く。
万次郎は、
その場に、座り込んだ。
息が、うまくできない。
「……っは、は」
視界の端に、
レンが駆け寄ってくる。
「おい!」
「……生きてる」
それだけ言って、
万次郎は、笑った。
「……終わった?」
「一旦な」
「……最悪だな」
「いつも通りだ」
レンは、万次郎の肩を支えた。
「全部、持ってったんだろ」
「まあな」
「……戻れるか?」
「分かんね」
正直な答え。
でも。
万次郎は、立ち上がった。
ふらつきながらも、
自分の足で。
「帰ろう」
「家?」
「うん」
帰る場所は、ある。
世界は、
また何かを信じて、
また何かを壊すだろう。
正しさは、
形を変えて、
何度でも現れる。
でも。
「……今日くらいは」
万次郎は呟く。
「静かでいい」
レンは、何も言わずに頷いた。
二人は、歩き出す。
街は、いつも通りだ。
誰も、
何が起きたかなんて、
気にしない。
それでいい。
人柱は、
記録に残らない。
ただ、
世界が少し静かになった事実だけが、
確かに残る。
万次郎は、
夜の中に、溶けていった。
――秘密人間卍卍。
今日も、
誰にも知られず、
世界を引き受けている。
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