第21話 みんなやってるから

朝の食卓で、

小雪がスマホを見ながら言った。


「ねえお兄ちゃん」

「ん」

「今日から“感謝チャレンジ”やるね!」


嫌な予感しかしない。


「……何それ」

「一日三回、感謝するやつ!」

「運気上がるんだって!」


「それ、誰情報」

「みんな!」


最悪の答え。


親父が味噌汁をすすりながら言う。


「感謝は大事だぞ」

「ハゲは黙ってて」

「お前、ほんと口悪いな」


兄の一郎が、満足そうに頷いた。


「いいね、感謝」

「俺も最近、感謝されがち」


「何に」

「存在に」


「顔はいいのにな……顔は」


母は、何も言わずに微笑んでいる。

この人は、もう“見えている”。


登校中。


ユイが、やたらと元気だった。


「先輩!」

「朝からうるせぇ」

「今日、早起きしました!」


「知らん」

「感謝チャレンジです!」


あ、

来たな。


「朝五時起き」

「白湯飲んで」

「感謝日記つけるんです!」


「それ、何日目」

「今日が一日目です!」


「……続かねぇな」

「続きます!」


断言が早い。


レンが合流して、ぼそっと言う。


「始まった?」

「始まった」

「地味に嫌なやつだな」


学校に着くと、

空気が少し違った。


誰かが言う。


「最近、調子いいんだよね」

「やっぱ感謝って大事」


別の誰か。


「え、やってないの?」

「それ、損してない?」


――出た。


損得。


昼休み。


机の上に、

謎のチェックリスト。


《本日の感謝》

□ 早起きできた

□ 健康

□ 友達

□ 空が青い


「……宗教」

万次郎が呟く。


「宗教じゃないよ」

クラスメイトが即否定。

「習慣!」


「一番宗教っぽい言い方だな」


「ネガティブだと」

別の子が言う。

「運気下がるらしいよ?」


下がる。


「じゃあ」

万次郎は首を傾げた。

「下がってる人は、感謝足りないってこと?」


一瞬、沈黙。


「……まあ」

誰かが言う。

「努力不足、かな」


――来た。


レンが、机に突っ伏した。


「静かに人を殴るな」


放課後。


校門前で、

写真を撮る集団。


「#感謝チャレンジ」

「#今日も幸せ」


笑顔。

ピース。

完璧な構図。


「……なあ」

レンが言う。

「これ、何がヤバいか分かる?」


「言語化して」

「“できない人”が」

「見えなくなる」


正解。


帰り道。


ユイが、少し元気がない。


「……先輩」

「ん」

「今日、日記書けなかったです」


「へぇ」

「忘れちゃって……」


「じゃあ、いいじゃん」

「……よくないです」


声が、少し沈む。


「書けなかった自分」

「ダメな気がして」


万次郎は、立ち止まった。


「ユイ」

「はい」

「感謝できない日もある」

「それ、人間だ」


「……でも」

「でもも、クソもない」


レンが、横で頷く。


「できない日がある前提じゃないと」

「続くもんも、続かねぇ」


ユイは、少し考えてから笑った。


「……じゃあ」

「今日は」

「感謝しない日にします」


「それでいい」


夜。


万次郎は、ベッドに寝転がって天井を見る。


今日は、吸っていない。


でも。


胸の奥に、

小さな違和感が残っている。


感謝。

習慣。

ポジティブ。


どれも、

悪くない。


悪くないからこそ、

刃になる。


「……はぁ」


スマホを見る。


《#感謝チャレンジ

三日目で脱落した人は

“変わる覚悟が足りない”》


万次郎は、

電源を切った。


「……これさ」

独り言。

「地味に、長引くやつだな」


小さな信仰は、

世界を壊さない。


でも、

人を少しずつ、

孤独にする。


万次郎は、

それを吸わない。


まだ、吸わない。


ただ、

覚えておく。


次に、

何かが来た時のために。


――秘密人間卍卍。


今日も、

世界は平和で、

ちょっとだけ息苦しい。

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