第12話 家族という名の避難所

卍寺の夕方は、やたらと賑やかだ。


「おーい万次郎!風呂、先入るかー?」


廊下の向こうから、親父の声が飛んでくる。


「うるせぇハゲ!

その声量で聞こえねぇと思ってんのか!」


「誰がハゲだ!」


即レス。

いつも通りだ。


「あのな、万次郎。

俺はハゲてねぇ…ハゲかかってるだけだ」


…いつも通りだ。


居間に行くと、兄の一郎がソファに寝転がっていた。

スマホ片手に、やたら満足そうな顔。


「お、万次郎」

「……何だその顔」

「今日さ、告白された」


ため息が出る。


「何人目」

「三人」


「顔だけはいいもんな……顔だけは」


兄は胸を張る。


「仕方ないだろ。

俺という存在が罪なんだから」


「早く裁かれろ」


「ひどくない!?」


会話が成立してるようで、してない。


そこへ、キッチンから母が顔を出した。


「万次郎、おかえり。今日は学校どうだった?」


この一言だけで、

胸の奥の力が、少し抜ける。


「……普通」

「ふふ。普通が一番ね」


普通じゃないって、

多分、分かってる。


でも、聞かない。

母も、レンと同じだ。


その時、

背後から柔らかい重みが乗った。


「お兄ちゃーん♡」


妹の小雪だ。

腕を絡めて、ぴったり。


「……重い」

「愛だよ♡」


「なおさら重い」

「ひどい!」


小雪は頬を膨らませた。


「今日ね!

お兄ちゃんがすごいって話、学校で聞いたよ!」


「……誰から」

「みんな!」


最悪だ。


「何がすごいって?」

兄が興味津々で聞く。


「なんかね!

正しさを壊したんだって!」


「ヒーローじゃん」

兄は目を輝かせる。

「かっこよくない?」


「違う」

即否定。

「壊したくて壊したわけじゃねぇ」


小雪は首を傾げてから、

にこっと笑った。


「でも、お兄ちゃんは正しいよ♡」


「……お前は盲信するな」


「だって、お兄ちゃんだもん!」


全肯定。

一番厄介で、一番救い。


親父が腕を組んで言った。


「で、結局どうなったんだ」

「学校」


「終わった」

「終わったならいい」


それだけ。


理由も、経緯も、

聞かない。


「終わってないだろ」

兄が口を挟む。

「顔が“まだ背負ってる顔”だ」


万次郎は、少し驚いて兄を見る。


……意外と、見てるな。


「まあな」

「ほら見ろ」


兄は満足そうに頷く。


「でもさ」

彼は軽い調子で続けた。

「家に持ち込むなよ」


「……」

「外で何背負ってても」

「ここでは、ただの俺の弟だ」


小雪が大きく頷く。


「そうそう!

お兄ちゃんは私のお兄ちゃん!」


「所有権主張すんな」


母が味噌汁を置きながら、

ぽつりと言った。


「正しさってね」

「家族にまで持ち込むと、壊れるのよ」


万次郎は、箸を止める。


「……誰が」

「みんな」


母はそれ以上、何も言わない。


食卓に、少しだけ静かな時間が落ちた。


でも、重くはない。


親父が笑って言う。


「まあいいじゃねぇか」

「外で神様やってんなら」

「家では、人間やれ」


「……ハゲのくせに、たまにいいこと言うな」


「今すぐ訂正しろ!」


兄が笑い、

小雪が笑い、

母も笑う。


その笑いの中で、

万次郎の胸の奥に溜まっていたものが、

少しだけ、ほどけていく。


風呂上がり。


自室で、天井を見上げる。


今日も、

正しさを一つ飲み込んだ。


でも。


「……まあ」


ここがあるなら、

まだ大丈夫だ。


人柱にも、

帰る場所は必要だ。


万次郎は目を閉じる。


次に来るのは、

もっと分かりやすくて、

もっと馬鹿で、

それでいて、

もっと危険な信仰災害だろう。


でも、それは明日の話。


今日は――

ちゃんと、人間でいよう。


そう思えた夜だった。

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