第9話 正しさは、傷つくと牙をむく

翌日、学校は“静かすぎた”。


誰も大声で何かを言わない。

誰も露骨に責めない。

それなのに、空気だけが刺々しい。


――正しさが、傷ついている。


万次郎が校門をくぐると、

昨日まであった「見守り」の視線が、微妙に変わっていた。


・安心 → 警戒

・期待 → 様子見

・感謝 → 不信


混ざって、濁っている。


「……きっつ」

レンが小さく言う。

「昨日、切ったの効いてるな」


「だろうな」

万次郎は欠伸で誤魔化す。

「正しさって、否定されるの一番嫌うから」


教室に入ると、

昨日壊れた生徒の席は、まだ空いたままだった。


誰も触れない。

誰も話題にしない。


でも、“あれ”は共有されている。


ホームルーム後、

クラスの空気は二つに割れていた。


・「やり過ぎだったよね」

・「でも、ルール守らなかったのは事実でしょ?」


声は小さい。

だが、確実に線が引かれていく。


その中心に、

生徒会男子はいない。


――姿を消していた。


「逃げた?」

誰かが言う。


「反省してるんじゃない?」

別の誰かが言う。


どっちも違う。


あいつは、

考えている。


昼休み。


廊下で、風紀委員が万次郎を呼び止めた。


「卍くん」

「何」


口調は丁寧。

だが、距離が一歩分、遠い。


「昨日の件で、少し困ってて」

「生徒会が、混乱してる」


混乱。


「指示が統一されてないんだ」

「君が非協力的だと、現場が回らない」


非協力的。


「……俺、何か命令受けてたっけ」

万次郎は淡々と言う。


風紀委員は一瞬、言葉に詰まる。


「命令じゃない」

「でも、影響力があるでしょ」


影響力。


それは、

“責任”にすり替えられる言葉だ。


「だからさ」

風紀委員は続ける。

「協力してほしいんだ」

「君が反対するから、問題が起きた、って声も出てる」


――来た。


レンが、横で低く言う。


「は?」

「それは違うだろ」


風紀委員は慌てて手を振る。


「いや、そういう意味じゃ――」

「でも、そう聞こえるぞ」

レンは引かない。


周囲が、じわっと集まる。


誰かが言う。


「卍くんが否定しなければ、ああならなかったんじゃない?」


別の誰か。


「生徒会、頑張ってたのに」


――反動だ。


正しさは、

否定されると、

“自分が悪くない理由”を探し始める。


そして、

一番都合のいい標的を選ぶ。


万次郎。


・特別

・目立つ

・協力していた

・途中で線を引いた


――裏切り者。


「……なるほど」

万次郎は、小さく笑った。


「正しさってさ」

彼は言う。

「自分を守るためなら、平気で他人を切るんだな」


空気が、張り詰める。


風紀委員は、困った顔をしたまま言った。


「卍くん、そういう言い方は――」

「正しくない?」


被せた。


「安心しろ」

万次郎は肩をすくめる。

「俺は、もう“正しい側”じゃないらしいから」


その言葉が、

誰かの胸に刺さる。


放課後。


校門の外で、

生徒会男子が待っていた。


一人だ。


顔色は悪い。

目は、妙に澄んでいる。


「……昨日は」

彼が言う。

「ショックだった」


「だろうな」


「でも」

彼は、ゆっくりと言葉を選ぶ。

「考えたんだ」


来る。


「君が否定したことで」

「混乱が起きた」

「傷ついた人も、増えた」


増えた?


「だから」

彼は、真っ直ぐ万次郎を見る。

「やっぱり、正しさは必要だと思う」


確信だ。

揺らいだはずの信仰が、

より硬い形で戻ってきている。


「君が協力しないなら」

彼は続ける。

「君を、正しさの外に置く」


排除。


それは、

善意の顔をした宣告。


レンが一歩前に出る。


「それ、脅し?」

「違う」

生徒会男子は首を振る。

「区別だ」


区別。


「正しい側と」

「正しくない側の」


万次郎は、静かに息を吐いた。


――ここまで来たか。


胸の奥で、

何かが“臨界”に近づいている感覚がある。


これはもう、

人の問題じゃない。


信仰が、

人の手を離れ始めている。


「……分かった」

万次郎は言った。

「好きにしろ」


その瞬間、

生徒会男子の目が、わずかに輝いた。


――正しさは、敵を必要とする。


万次郎は、

その“敵役”に選ばれた。


その夜。


学校の空気は、

目に見えないほどの速度で、

一方向へ傾き始めていた。


正しさを守る者と、

正しさを疑う者。


境界線は、

もう、引かれた。


次に来るのは――

線を越えた正しさそのもの。


万次郎は、それを確信していた。


「……来るな」


今度こそ、

止めなければならない。


人が壊れる前に。

学校が、信仰災害になる前に。

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