第7話 善意は境界線を越える
翌日、学校は妙に静かだった。
騒がしくない。
荒れてもいない。
むしろ――整っている。
整いすぎている。
校門の前に立つ風紀委員は二人から四人に増えていた。
腕章も、新しい。
《生活指導補助》
補助。
いい響きだ。
「おはようございます」
「ご協力、ありがとうございます」
通る生徒一人ひとりに、同じ言葉。
同じ声量。
同じ笑顔。
万次郎は、門をくぐった瞬間に分かった。
――昨日、成功したな。
成功体験を得た正しさほど、
扱いづらいものはない。
レンが横で言う。
「増えてるな」
「増えたな」
「昨日の“何も問題なかった”が効いてる」
「だろうな」
誰も止めなかった。
先生も。
生徒も。
そして――俺も。
校舎に入ると、張り紙がまた増えていた。
《放課後の行動について》
《安全確保のため、生徒会・風紀委員の指示に従うこと》
“指示”。
昨日までは“推奨”だった。
一段、踏み込んだ。
「……早ぇな」
レンが苦笑する。
「一日でここまで行くか」
「行く」
万次郎は即答する。
「正しさにブレーキは付いてない」
教室に入る。
視線が集まる。
昨日より、はっきりと。
――戻ってきた。
――やっぱり来た。
――今日も大丈夫だ。
期待と安心が、混ざっている。
それが一番、重い。
席につくと、前の席の生徒が振り返った。
「卍くん、昨日大丈夫だった?」
「何が」
「いなかったからさ……ちょっと、色々あって」
“色々”。
それ以上は言わない。
言えない。
チャイムが鳴る。
午前の授業は、何事もなく過ぎた。
表面上は。
だが、昼休み。
放送が入る。
『生徒会よりお知らせです。
本日より、放課後の行動確認を強化します。
対象の生徒には、こちらから声をかけますので、ご協力ください』
対象。
名指しはしない。
でも、みんな分かっている。
廊下がざわつく。
ざわつきはすぐに収まる。
「正しいことだから」
誰かがそう言った。
購買へ向かう途中、
昨日の生徒会男子が立っていた。
腕章。
名簿。
後ろに風紀委員二人。
――もう、一人じゃない。
「卍くん」
呼び止められる。
「ちょっといい?」
「何」
声は穏やか。
態度も丁寧。
「放課後、今日はどこか寄る予定ある?」
「ない」
「よかった」
彼は安心したように頷く。
「昨日の件、ちゃんと共有されててさ」
「“問題が起きなかった”って」
問題。
「だからね」
彼は続ける。
「今のやり方、合ってると思うんだ」
合ってる。
その確信。
「みんなも安心してる」
「先生たちも評価してくれてる」
評価。
「卍くんが協力してくれるから」
「説得力がある」
――まただ。
俺は、何も言わない。
言わないことが、
肯定になる段階に入っている。
「だからさ」
生徒会男子は、ほんの少しだけ声を低くした。
「他の人にも、同じように声かけていくね」
“同じように”。
「嫌がる人もいると思うけど」
「そこは、正しさで押す」
押す。
その言葉を、彼は悪い意味で使っていない。
「大丈夫」
彼は笑う。
「結果、守られるから」
何が、誰が。
レンが一歩前に出る。
「それさ」
静かな声。
「やり過ぎじゃね?」
空気が、一瞬止まる。
生徒会男子は、困った顔をした。
「やり過ぎ?」
「うん」
レンは言う。
「善意なのは分かるけど」
「善意だから、だよ」
彼は即答した。
「もし何かあったら、取り返しつかないでしょ?」
もし。
万が一。
その言葉は、最強だ。
「だから」
彼は視線を俺に戻す。
「卍くんも、分かってくれるよね?」
全員の視線が、俺に集まる。
――来た。
ここで俺が否定すれば、
俺が“正しくない側”になる。
肯定すれば、
彼は加速する。
俺は、少し考えてから言った。
「……好きにすれば」
生徒会男子の顔が、ぱっと明るくなる。
「ありがとう」
「分かってくれて」
空気が、安堵する。
――確定。
正しさは、
許可を得た。
レンは、何も言わなかった。
言えなかった。
その日の放課後。
校門前で、注意される生徒が増えた。
声は穏やか。
言葉は正論。
でも、逃げ場はない。
「みんなのためだから」
「君だけ特別扱いはできない」
誰も怒鳴らない。
誰も殴らない。
それでも、
何人かの顔が、確実に曇っていく。
万次郎は、それを全部感じ取っていた。
胸の奥に、
正しさが、重く、溜まっていく。
吸い込める。
まだ、吸い込める。
でも。
「……あー」
小さく、声が漏れる。
これは、
もう“災害”の手前だ。
善意が境界線を越えた時、
それは正義じゃなく、
支配になる。
レンが、横で言った。
「なあ」
「ん」
「次、壊れるぞ」
「……ああ」
確信だけが、
静かに共有された。
そして、
誰も止めないまま――
次の一歩が、踏み出されようとしていた。
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