第2話 学校という名の信仰施設
校門の手前で、ユイが立ち止まった。
「先輩、私こっちです。教室、別なんで」
そりゃそうだ。学年が違う。
「ん」
俺は気怠げに手を上げる。
「遅刻すんなよ」
「先輩もです!」
ユイはそう言って、少し小走りに校舎へ消えた。
最後までこっちを振り返って、何か言いたそうな顔をしていたけど。
言わせない。
言う前に別れる。
それが、一番ラクだ。
下駄箱で上履きに履き替えて、廊下に出る。
その瞬間、空気が少しだけ硬い。
視線が、刺さる。
まるで「見ちゃいけないもの」を見てるみたいな視線と、
「何か起きないかな」を待ってる視線が混ざってる。
……朝から元気だな、こいつら。
「おーい」
背中から軽い声。
振り返ると、レンが手を振っていた。
いつも通りの顔。いつも通りの歩き方。
こっちがどんな顔してても、変わらないテンションで近づいてくる。
「おはよ」
「おはよ」
それだけで、学校の空気が少しだけ戻る。
俺の中で、という意味で。
レンは俺の隣に並ぶと、周りの視線を一回だけ見回してから、あくびをした。
「また始まってんな」
「何が」
「お前を見てヒソヒソするやつ」
俺は鼻で笑う。
「学校って暇なんだな」
「暇だよ。暇だから正しさで遊ぶんだよ」
レンはさらっと言って、廊下の窓を軽く叩く。
「今日、変な朝だったろ」
「……まあな」
「月曜だし」
それ以上は言わない。
聞かない。
でも、分かってる感じだけ残してくる。
こいつは、そういうやつだ。
教室に入ると、会話が一瞬止まった。
止まって、すぐ再開する。
――最悪の気遣い。
俺は気にせず席に着く。レンも隣の席にどかっと座る。
「なあ、聞いた?」
前の席のやつが振り返って、レンに話しかける。
「朝、町内のやつ、動画回ってる」
レンは面倒そうに笑った。
「あー、回る回る。回すやつがいるからな」
「万次郎、お前さ……」
その言葉が来る前に、レンが被せる。
「はいはい、ホームルーム始まるぞ。座れ座れ」
助け舟が雑すぎる。
だが、俺はそれでいい。
チャイムが鳴って、担任が入ってくる。
連絡事項の最後。
「一時間目、理科は移動教室だ。忘れ物すんなよー」
ざわっと教室が立ち上がる。
俺も立ち上がって、レンと一緒に廊下へ出た。
――移動するだけで、視線が増える。
廊下の角を曲がったところで、女子の小声が聞こえた。
「……ねえ、万次郎ってさ」
「卍寺の……」
「やっぱ、守られてるっていうか……」
その言葉が、空気を撫でた。
俺は足を止めない。
止めないが、耳だけは拾う。
「守られてる」
「特別」
「きっと、なんかある」
そういうのは、燃えやすい。
レンが俺の横で、小さく言う。
「無視しとけ」
「してる」
「してる顔じゃない」
「じゃあ、してる顔ってどんなだよ」
「もうちょい、ムカついてる顔」
「めんどくせぇな」
「めんどくせぇのはお前の人生だろ」
……こいつ、今日切れ味いいな。
理科室に入ると、さらに露骨だった。
俺の席の周りだけ、微妙に空間がある。
誰も「避けてる」とは言わない。
ただ、結果としてそうなる。
レンはその空間に躊躇なく足を突っ込んで、俺の隣の椅子を引いた。
「ここでいい?」
「いいんじゃね」
「先生、どうせ席替えとかしないしな」
俺は椅子に座り、机に頬杖をつく。
レンが座っただけで、周囲の緊張が少しだけ溶けるのが分かる。
……だが、完全には消えない。
消えないものがある。
期待。
恐怖。
好奇心。
排除したい安心感。
それらが混ざって、薄い膜みたいに教室を覆っている。
――信仰の種。
まだ小さい。
だが、昨日の町内みたいに、臨界点はいつだって突然だ。
教師が入ってきて授業が始まる。
ガラス器具の音。薬品の匂い。
普通の授業。
なのに、空気の底が微かに歪む。
誰かが俺を見て、
「正しいもの」を見つけた顔をする。
“この人がいれば安心”
“この人がいれば大丈夫”
“この人が何とかしてくれる”
――やめろ。
胸の奥が、じわっと重くなる。
表情は変えない。
変えないまま、俺は窓の外を見る。
校庭の向こう、別棟へ向かう人影が一瞬だけ見えた。
サキ先輩。
……くそ。
こんな時に、心臓がちょっと跳ねるのが腹立つ。
俺が小さく息を吐いたのを、レンが横目で見た。
「来てる?」
「……ちょっとな」
それ以上言わない。
レンもそれ以上聞かない。
ただ、机の下で俺の椅子を軽く蹴った。
合図みたいに。
“いるぞ”
“一人じゃないぞ”
俺は欠伸で誤魔化して、黒板に視線を戻す。
教師が言う。
「じゃあ次、この問題、分かる人」
数人が手を上げる。
正しさが、競争みたいに教室を走る。
レンがぼそっと言った。
「学校ってさ」
「ん」
「正しさの押し売り、半額セール常設だよな」
俺は笑いそうになって、堪えた。
「……宗教施設じゃん」
「今さら気づいた?」
気づいてる。
ずっと前から。
気づいてるけど、
俺は今日も普通に授業を受ける。
人柱は、学校でも休めないらしい。
チャイムが鳴る。
椅子が引かれる音が一斉に鳴る。
そのざわめきの中で、俺は小さく呟いた。
「……やれやれ」
レンが、いつも通りの声で返す。
「昼、購買行く?」
「行く」
「じゃ、決まりな」
それだけで、少しだけ呼吸が楽になる。
この学校で、家族以外に俺の味方がいるとしたら。
多分、こいつだけだ。
そしてそれだけで、
俺は今日も“平然”を続けられる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます