第3話
「ほら、吐瀉物は掃除してやる。水でも飲め」
悪魔が指を鳴らすと、途端に俺の汚物は消え、手には水の入ったコップが添えられていた。
俺はその何処から湧き出た分からない水を、気にもせずに勢いよく飲み干す。
ヒリヒリと痛むほどに乾いた喉は、細胞が我先にと水の癒しを得る。
そして俺は深く酸素を取り込み、吐き出した。
水分と深呼吸。
そのふたつで、俺の思考は幾分と冴えを取り戻した。
「で、なんだっけ。【世界5分後魔術改変定説】だったか?言わんとしてることは分かるけど、実際に何がどうなってるんだ」
「そうだなぁ。まず、
「えっと……確か『もし世界が5分前に始まったら』って説だよな。確か哲学者バートランド・ラッセルが提唱したやつ……」
世界5分前仮説。
それは今ある世界が、その記録すべて保持した状態で、5分前に創造された可能性を示唆する説である。
土地、歴史、知識、個人の記憶その全てをだ。
その可能性は、当然ながら肯定することは出来ないし、否定することも出来ない。
何故なら、それを確認することが不可能だからだ。
だからこそ、この説は不可能を逆手にとって成立している。
「全く壮大な話だよ。人の知識欲は時に罪深い」
「でも、それって思考実験だろ?難しいことは分かんないけど、なんだっけ?知識の価値?みたいなのを測るためのウンタラカンタラ 」
「あー理屈は要らん。意味合いとして理解してるのなら充分だ。んで、本題はここから」
悪魔がひょいと指を掲げると、地球儀がどこらともなく現れた。
「【世界5分後魔術改変定説】。……簡単に言えば、件の説の逆だよ」
「逆?」
「5分先の出来事は人類には観測できない。故に、好き放題できる。
今、さらりととんでもないことを口走ったぞ。
どうやら、コイツは本物の悪魔らしい。
それが複数いる。
奴の言葉はそれを示唆していた。
「つまりだ。『観測』できる存在は『確定』させることが出来る。それを実際に行った
「待て待て待て!理解った。理解りたくないけど!!」
「だが聞いてもらおう。今の露希は、これまでの世界を下地に、創作したIFを上書き保存した世界である」
俺は頭を抱えた。
理解したからこそ頭を抱えたのだ。
上書きされた人々は過去も新しく塗り替えられて、架空の世界を生きているということになる。
つまり、それは……。ゲーム世界に存在するキャラクターと大差ないということだ。
それでは、死んでいることと変わらないじゃないか。
「……いったい誰が、何のために、そんなことをしたんだよ」
「女神数あれど、儂は1人しか存じ上げないな。【
自分でも驚きだが、『女神』という存在を否定する気持ちは等になかった。
そりゃ、悪魔がいるんだったら神もいて当然だ。
少しばかり、自分の適応力が恐ろしく感じる。
「女神リオム・ファロス……聞いた事ないな」
別段、神話に造詣がある訳ではないが、それは初めて聞く神の名前だった。
「名前なんざ当てにならん。ヒトが知覚できる言語で、限りなく近い名前が『リオム・ファロス』だっただけだ」
「なるほどね。知らない訳だ。……そいつの動機は?」
「そりゃ、もっと簡単。リオム・ファロスが、
「……は?」
俺は思わず耳を疑った。
彼女は今なんと言った。
動機が『そうしたかったら』だと?
「そ、それじゃあ、遊び半分で俺たちの世界は描き変わったのかよ!!」
「なぜ憤るんだ。それが神だろ。理由も動機も『そうしたいから』。これに尽きる。まして相手はリオム・ファロス。
「そんな……」
「第一、主ら人間も他の生き物からすれば変わらんぞ。『そうしたいから』で生み出し、『そうしたいから』で破壊する。ただ、主らより上位の存在が干渉しただけ。なにも世界の構造とは変わらん」
悪魔の言うことは、最もだと思った。
俺たち人間は、心の何処かで支配者だと思っている。
だから、好きに創り、好きに壊すのだろう。
そんな俺たちさえも、神様なんて超常の存在からしたら蟻と変わらないのだ。
文句を言えた義理ではない。
けれど、だとしてもだ。
例えそれが正しかったとしても、俺は憤りを感じる。
それすらも人間のエゴだと理解したうえで、俺は今怒っている。
何故なら、好きな人を、
「だとしても、俺は納得いかない!俺は、大切な人を奪われたんだ!!」
そんな俺の言葉に.悪魔は鋭い歯を見せつけた。
「そう言ってくれて嬉しいよ。……リオム・ファロスのやり口は、儂の義にも反する。儂は、ヒトの歩むカタチそのものが見たい。奴の行為は儂にとって不愉快だ。故に、儂は主の力が欲しい……!!」
その言葉には今までに感じたことの無い、圧倒的なモノを感じた。
「悪魔の儂と、ヒトの主で、世界を女神の手から復元しようじゃないか!!」
言うなればそれは『欲』。
その強大な欲を、悪魔は俺にぶつけてきたのだ。
だから、俺は確信した。
この場所に連れてこられた理由を。
理解してしまったからこそ、目を背けられなかった。
「アンタは悪魔なんだろ?!……俺の全部を渡したっていい!!契約してくれ!!」
「分かった……。悪魔と契約する覚悟は出来た。俺の全部を渡したっていい。……けど、理由は聞かせて欲しい。なんで俺なんだ?」
俺の言葉に、悪魔は少しばかり考える。
品定めされてる気分は嫌だが、俺は、現状における俺の価値を知りたかった。
「ふむ、偶然では無いことは確かだ。今の儂は気分が良い。2つ程掻い摘んで教えてやろう」
「あ、ありがたき幸せ?」
いざ、総評されるとなると妙に気恥しい。
思わず俺は、使ったことの無い口調で謙ってしまった。
「よろしい。では、1つ目。主が露希在住だった。これは塗り替えられた露希に介入するために、現地の人間が必要だったからだ。リオム・ファロスの力が深く根付いた故に、露希に馴染みが無い人間は、通行手形そのもの持ち合わせておらん。だからこそ、露希の記録と記憶を保持した主でなければならなかった。いくら儂に力があってもな。内側のルールに、外側から手は加えられん」
なるほど。
確かに理屈は通っている。
超常存在の力やら、何やらは全く持って理解できないけど。
だからこそ、ひとつ合点がいったことがあった。
「あのさ、もしかしてお前は俺を助けてくれたのか?」
悪魔は俺を欲しているとは言え、間接的に俺を女神ファム・ファロスの手から逃がしたということになる。
それは、ある意味「助けられた」ということだった。
「【世界5分後魔術改変定説】に巻き込まれ無かったとするなら、主は間違いなく助かっているだろう。だが、その命は儂の力として使わせて貰う。改変以前の記憶を持ち、尚且つ、露希でまともに戦える奴だからな」
「もしかして、もう1つの理由ってそれ?」
「その通り。2つ目の理由は、主が露希において、戦えるからだ。
なるほどね。
これまた納得。
いや待て。
「え、俺戦うの!?」
「そりゃそうだろ。リオム・ファロスの改変は何も露希を囲んで終わりじゃない。権能……即ち、『魔術』を与えているのさ」
「なんだって?」
俺が想像していることが正しいのであれば、火や水を自在に操ることであり、あまりにも
「今の露希で魔術による戦いが観測された。具体的には現地に行かねば分からんがな。だが、戦うことでリオム・ファロスに近付ける。これは確かだ」
「なんでそう言い切れるんだ?」
「奴が創った世界だ。
「妙に俗っぽいなぁ」
けれど魔術に武術が通用するのだろうか?
不安は拭えない。
しかし、力になると言った手前、容易に断ることは出来ない。
俺は、自分の安請け合い気質に少し呆れた。
「そこまで知ってるならさ。……一緒にいた女の子、八切イサナを選んだ方が良かったんじゃないのか?」
俺は心の底からそう思った。
幼い頃から彼女と研鑽し、高め合い、好きになった相手だから言える。
俺よりも彼女の方が強いのだ。
技術、判断、どれをとっても俺は彼女に必死に食らいつくのが精一杯だったのだ。
意地で肉薄するも、あの喉から手が出るほど欲した500勝目は得られなかった。
故に、俺が選ばれることが理解らなかった。
「それでも儂は主を選ぶさ。主、あの女より強いだろ」
「いや、だから俺は――」
「主は自分でも知らない内に、女を傷付けない様にしてたのさ。女に惚れた故の弱みでもあるんだが……。それを加味しても、おそらくアルトの方が強い。すぐに分かるさ。今は納得しなくてもな」
「そうか……。ならいいけどさ」
俺は複雑な気分だった。
実力を認められた事は嬉しい。
けれど、悪魔の言うことが正しいならば、俺は手を抜いてイサナと戦っていたことになる。
それは、イサナに対してとても失礼だったんじゃないだろうか。
こと真剣に向き合う武術だからこそ、相手への礼儀は欠かせない。
まして、それがイサナなら尚更だ。
「俺、世界を元に戻したら、やりたいことが出来た。ちっぽけな願いかもしれないけど……」
俺は世界を復元し、イサナと本気で手合わせする。
そして勝つ。
勝って、改めて告白する。
それが、俺の戦う理由だ。
「望みに大小はない。事を成すか、成さないかだ。主にモチベーションがあることは、こちらとしても望ましい」
「それなら良かった。」
「では、契約と洒落こもう。『我が名、【█▛▟▙█▛▟】において――』」
「ち、ちょっと待った!!」
「ん?どうした」
「いやさ、正直お前の名前……聞き取れないんだ」
「ほう?」
今更ながら、俺は困っていた。
相も変わらず聞き取れない悪魔の名前。
それは言語というより、認識そのものが出来なかった。
どうにも雑音として俺の耳を通り抜けてしまう。
「何も
「その通りだよ。名前ってより、言語野が理解できてない。なんかモヤがかってるって言うか……」
「そうか。そこを追求するとは思わなかった。儂は構わんぞ?」
「こっちが構うよ!騙されてる気がして、契約したくなくなるんだが!?」
「面倒くさい奴だな。何かと一方的な繋がりは楽だぞ。……まぁいいか。一工程加わるだけだ。もしかしたら、今の主の行動が何かを変えるかもしれんからな」
「どういうこと?」
「知らんでいい」
なんとも馬鹿にされた様な気がしてならないが、俺は深く追求しない様にした。
事実、『悪魔』と呼ぶのは困っている。
正直、俺は男心がある。
不謹慎だが『世界を救う』とか『悪魔と契約』するとか、そういうモノに少なからず憧れを抱いているのだ。
例えば、召喚する時も『悪魔』と呼ぶより、固有名詞があった方が絶対にカッコイイ。
故に俺は、俺の心に素直に従った。
「そうさなぁ。昔、儂の姿を見て、それを書物に記した変わり者がおったよな?奴は限りなく儂の名前を認識していた。ま、少し発音に難はあったが。なら、そこに記された儂の名前を少し弄って……ヨシ、決めたぞ」
空を謎る彼女は、納得したのかウンウンと二度頷いた。
すると得意げな顔をし、座り込む俺の脚を跨いで仁王立ちする。
そして問答無用で俺の襟元を掴み上げた。
「な、 なんだよ……!?」
目の前には美術品の様な美しい顔がある。
恋愛対象とかそういうものでは無い。
そもそも俺には『
だが、それでもその美しさに見惚れたことは紛れもない事実だった。
そして、彼女は名を口にした。
「バル子だ。日本では女人に『子』と名付けるのだろう?」
バル子。
彼女の名はバル子。
その妙に古い知識と、異質な音の組み合わせは、キラキラネームとしても微妙である。
勿論、カッコよく召喚できる名称では無い。
当然反応に困った俺は、あえて口にした。
「随分と良いセンスをしてるなってさ。……バル子さん」
「『さん』は要らん。儂は『バル子』だ。これから長い付き合いになる。よろしくな……『
長い付き合いという意味深な単語に、俺は薄ら笑いを浮かべることしか出来なかった。
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