少年少女の出会い

 黒ではない、新葉の光が駆け抜ける。三角に立てた耳と、膨れあがった尻尾。犬というには大きな獣。モヤと違う牙を、黒い粒の集合体に突き立てる。獣の咀嚼音が支配し、苦し悶えるモヤを凝視する。その得体の知れない化け物達が繰り広げる一方的な蹂躙は、英雄譚と呼ぶにはあまりにも残忍で、悲劇と語るにはあまりにも、彼の目は真っ直ぐだった。そう、“彼”


 影が一つなくなる。残った2つは、人を象っている。もうそこには獣などいなかった。


 キャスケットを被った少年。眼鏡越しの新葉の瞳に射抜かれ、少年はやっと息を吸った。口から覗く牙は獣と同じそれで、この少年はあのモヤを喰らったのだと、やっと理解する。駆け寄ってきた少年に、手元の鏡に力が入る。


「あんた怪我は? 大丈夫……なわけないっすもんね」


 差し伸べられた手を取るか迷った。焦燥を含んだ声は、暗闇に溶けていった。気づけば、点滅する蛍光灯だけが頼りだ。

 少年は、少女が抱える鏡に気づいた


「あっ、それ! それ、自分の落とし物っす。拾ってくれたんすね!」


 返答できず、未だ現状を受け入れられない少女に、少年は安堵の表情から苦笑を浮かべ、除け者にされてるスクールバッグを拾った。今度は、強引にその手を取られて立たされた。土に汚れた服だって気にはできなかった


「女の子がこんなところ危ないっすよ……さっきも、自分にも、何されるか分かったもんじゃないから」


 腕を引かれる。静止の声は空ぶった。現実と夢の狭間で揺れる脳は考えを怠った。鏡の代わりにカバンは持たれ、導かれるまま商店街の奥まったところへ連れていかれる。もう自分が歩いてることすら曖昧だ。それほどショッキングな出来事に立ち合い、放心状態の少女を良いことに、少年はある店に入った。


 ──華縁堂かえんどう


 ​彫られた看板に、古色蒼然とした木造建築。趣はあるが観賞用。窓から覗く道具達の印象は、中に入っても変わらなかった。ベルの音と、迎えたオレンジの光が少女を正気に戻す。気づいた頃には、白いテーブルクロスをひいた机の前に座らされていた。少年は、机と密着した取次部屋に上がり、レジ下からオルゴールを出してきた。キョロキョロと視線を彷徨わせていると、レモンティーが出てきたので、それと交換するように鏡を机に置く


「あ、あの……さっきは」

「ああ、いいんすよ! そんなことより、拾ってくれてありがとう」


 感謝されることなど何もされていない。少年は、よく見れば子犬のように可愛らしい顔をしていて、混乱する頭で唯一分かるのは、危険でないということ。


「自分はハル。ここの店長っす」


 根拠はないし、いきなり知らないところに連れてこられて何を言うかと。しかし、少女はそんな気がしたのだ。オルゴールのネジを回しながら、気の抜けた笑顔を向ける。会釈するふりをして俯いた。少女はスカートをクシャクシャにした


「わ、わたしは……あの」

「大丈夫」


 やっと振り絞った声は遮られる。気まずくて、纏まらない考えを口に出してみるも、少年はもうこっちを見ていなかった。


「ただの夢。あんたは、好奇心から寄った骨董屋で、うたた寝をした。ただ、それだけ」


 言い聞かせるように、オルゴールが共鳴する。次の瞬間眠気が襲ってきた。



 ──あれ、わたし



 目を覚ませば、人当たりの良い顔が眼前にあった。思わず仰け反れば椅子から落ちてしまって、今度こそ差し伸べられた手を取る。


「やっと起きたね、お客さん」

「ぁ、え、わたし」

「気づいたら寝ちゃってて」


 寝てた……? 少女はペタペタと自身を確かめるように顔を触る。何事もないように話す少年は、腰掛けエプロンをしてスクールバッグを持っている。自然と受け取って、目を配らせる。机の上にあったオルゴールはなく、飲みかけのレモンティーだけが所在なさげにある。


「もう遅いし、親御さんも心配するっす」


 そう送り出す少年に、少女も段々と冷静になってきた。そうだ、夢だ。この人の言う通り、自分はこのノスタルジーに当てられ、失礼を働いたのだ。知らないお店で寝るなんて、普通ならあり得ない。けれど、先ほど見た夢の方がもっとあり得ない。まだボーッとする頭で少女は謝罪した。


「今日はすみませんでした……」

「それだけ居心地良かったってことっすよ! またのご来店お待ちしてます」


 元気に手を振る彼に頭を下げた


「はい……お詫びしにまた来ます」

「もう、気にしなくていいのに。お気をつけて!」


「うぅ、本当にごめんなさい──ハルさん」


 弱々しく、それでもスルリと出た名前。時が止まった気さえした。二人は気付く、ハルがいつも付けている名札は、エプロンにしまわれたままだと


 腰に下げられた鏡は、この先を歓迎するように少女を反射させた

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