バイト募集
少女の名は、
あの後、もう一度オルゴールを聴かされるも特に変化はなく、頭を抱えたハルに、あれは現実だったのだと訴えてくる。
帰ってこれたのは20時頃。連絡もなしに遅い帰宅になったことで、心配性の母はとても動揺していたが、ヒナは母の小言も余所に上の空。好きなオムライスだって味がしなかったし、お風呂だって手足が皺くちゃになるまで浸かった。ドアを開ければ、そこにはいつもの部屋。いつもの日常。多少両親が心配する様子を見せれど、そこはヒナの普通が広がっている。ベッドに体を投げ出し、天井のシミを数える。
──今日、あった出来事は誰にも喋らないでほしい
秘密にしてくれと縋られ、お互い泣く泣く連絡先を交換したのだ。どうやって帰ってこれたか分からないが、脳裏に焼き付くのはあの公園。一体あの“モヤ”は何だったのか。ハルの正体は。自身は一体なにに関与したのだろう。
唸っても答えは出ない。ヒナは現実を受け止めることを拒むように、頭から布団を被った。
翌朝、アラームと違ったバイブ音で起こされた。液晶画面には[ハル]からのメッセージ。夢ではなかったのだと、母に急かされるまで二度寝した。
学校でも散々だった。道中見返した[いつでも頼ってほしい]という旨のメッセージに頭を悩ませ、学校に着いてからも学友達の話は右から左に。海外から美人な転校生がやってきても、体育の時間にボールが顔面に直撃しても、心ここにあらず。ヒナは気づいたら、転校生を交えた友人達の遊びの誘いだって断っていた。
無意識に歩を進めた先は、あの商店街だった。
そもそも、あれだけ哀願してきたのに、メールにはあれっぽち。袖を濡らして要監視するどころか、日常を装う言葉はこちらに合わせてるようだ。
たこ焼き屋の前を通って、あの看板を見つける。一歩一歩近づけば、昨日は気付かなかったものが見える。日に照らされた華縁堂は素朴ながら町に馴染んでいるし、窓辺に置かれた筒の花瓶は、他の商品を押しのけるように、その花が飾られていた。枯れた銀花は尚も美しさを輝かせ、ヒナに挨拶してきた。
深呼吸して、汗ばむ手でドアノブを握る。そうやって、何時間も感じられる時間を経て、ベルを鳴らした。
──コトンと、漆のお椀を落とした彼は、エプロンにしまっていた名札を、胸元に引っかけていた
扉を開けた姿勢のまま、見つめ合う間抜けで、奇妙な空間。お椀を拾った彼にならって、ヒナも店に入る。絶妙な距離を保ったまま、昨日と同じ席につく。高棚からティーバッグと砂糖を出して、紅茶を用意してくれた。目も合わせられず、なんて声をかけていいのか。というか、自分がここに来たのはほぼ無意識で、自分の行動が言語化できない。それは、情報量の多さからくる混乱だった。
「……ぷ、ははっ、やめましょう。こういう空気苦手なんす」
その沈黙を打ち破ったのは彼のほうだ。口ではそう言いながら、申し訳なさそうに笑う。ハルは紅茶を一口。ヒナも喉の渇きを覚えて、そろっと手を伸ばす。
「あんな怖い思いして、何も聞かず全部なかったことにしてほしいって、都合良すぎっすよね」
そういうと、電話置きのメモを一枚取って、ハルは語り出した。
「昨日、えぇっと……ヒナちゃん? を、襲ったのは“モネオ”というこっち側の動物っす」
「こっち?」
連絡先の欄を見る仕草をして、そこで名を名乗ってなかったことに気付く。
ハルは一本の線を引いて、向かって右側を“現世”と書いた。
「ここで言う異世界。今自分達がいる世界が表だとして、裏から迷い込んだ生物をモネオ。現世ではライオンやシャチの、人を食らう肉食動物……よりちょっと過激なヤツ」
そんなのが野放しになって、自身を襲ったのか。自覚すれば、改めて恐怖が湧いてくる。あんなのが生きる世界……異世界なんて言葉で、早くも状況理解を放棄しそうだ。
「ま、まだ……マジックって言われた方がよかったかも……ていうか、異世界? 異世界ってなに? わたし、まだ夢を見てるのかなぁ」
「そ、そうなるのも仕方ないっすよね。別に、理解を求めるわけじゃないんす。忘れてほしいぐらいだし」
困ったように眉を下げる彼。話を中断しようとする彼に、ここで諦めたらダメだと、なにかが好奇心を動かした。紅茶を一気に飲み干して、続きを促した。おずおずと紡がれた知らない言葉に、ついには目眩さえした
「この現世の裏側。あんたらが知らない神の世界。愛された自然をよすがにしながら、その力を駆使して自然に返礼する。神がお創りになさった第一の地、それは“アスカラ”」
「神様……?」
「世界といっても、数え切れないほどの世界がある。けれど、自然を生み、万物の概念を与え、五神創が初めて加護をくださった地がアスカラ……と、現世っすよ」
その昔、自然の力を受けた実力者達によって、強き者は弱き者を護る一つの世界ができた。しかし、影響を受けたのは人間だけではない。力の過剰摂取によって暴走した生き物達に襲われる日々が続き、自然の災害に恐れた人間達は、世界を二つに隔てた。神の恩恵を認知し、常軌を逸する生物をアスカラへ。その存在を、いつしか寓話として守護され続けた世界が今、現世だと言う。
「この自然の力は神様の贈り物。アスカラでは“アルケー”と呼んでるっすけど、他の世界では魔法や妖術と呼ばれたりします。自分達はその力を借りてるにすぎないすよ」
「あっ、じゃあ昨日、あの化け物を食べたのは」
「はい。自分がアルケーを使う“媒体”だからっす!」
万物の根源。アルケーは能力の源として、愛された自然を意味する。神の遣いとして、人々を護るアルケー。五柱は世界に5つの教えを説いた。
──知恵の神は、一に道具を借り、人が初めて自然の力を操ることを
──病の神は、二に自然の力を介して能力が使える使役者達を
──時の神は、三に門番として人を導き、外界と疎通を図れる者を
──生命の神は、四にアルケーをうちに秘めた者を
──運命の神は、五に定める運命を
「自分は二に該当するっす!」
「な、なるほど……?」
「三は仲介人と言って、世界に守護を与える者。摂理を破る者に限り、教えを説く。仕えた国その限りではない」
「は、はぁ……」
「あっ、四は最近生まれたばっかなんすけどね。今は……」
「ま、まって! いったん、いったんストップ、いったん休憩……っ!」
あまりの情報量に、理解しようとするほど頭がそれを拒絶する。昨日、摩訶不思議な体験をしたとはいえ、それが事実と受け入れたわけじゃない。
メモには、現世を一本線隔ててアスカラと書かれた。歪んだ動物が描かれてるのはモネオだろうか。ヒナは整理しようと必死に頭をフル回転させた。
「自分も、ヒナちゃんみたいな子初めてで……どう説明したらいいか……」
そうだと、何かを思いついたハルは立ち上がって帽子を取った。そこには、昨日の獣と同じ三角の耳。続いて、シャツを崩して現れたのは尻尾だ。ゆらゆら揺れるそれは本物で、思わず触れるとくすぐったそうにしてる。
ダメだ。どう難癖つけようが、昨日の出来事と彼の正体がそれを邪魔する。
「自分の場合、この姿が本当の姿なんすけどね」
守護獣として、彼は昨日のように現世の護り人として、今は鑑定士として華縁堂を営んでるそう。この仕事は、ハルの家系が代々継いできたものだとか
「聴かせたオルゴールも、一の道具でアイテムなんすよ。鏡のこれもね」
アルケーの力を感じとって記憶を消す装置らしかった。しかし、なぜ自身には効かなかったのか、ハルは口を曲げて故障を疑う。ヒナは、こんな夢物語は周りに話せばお笑い種だと、自身が触れることはなかったであろう世界観に胃が痛む。いいや、もう受け入れた。正確には、そんなこともあると諦めた。これは夢でも、架空の話でもない。リアルなのだと。
「ヒナちゃんは、なんでここに来たんすか?」
帽子をかぶり直した彼は、少し躊躇いながらヒナの顔を覗く。ヒナは、言葉に正せてないそれらを、どう並べようか戸惑った。
「今話したことは聖書にならってのことっす。胡散臭い宗教だと切り捨てて構わないのに……」
連絡先を交換したとき、夜道で振り返って彼の顔が見えたとき、今も……ハルの寂しそうな顔がずっと頭から離れない。メールから感じられた一本引いた言葉に。突き放さんとする姿勢に、その背景を聞けば自身もそうするだろうと同感する。それでも、ヒナはどこか直感していた
「……バイト、募集しませんか?」
突如現れた非日常は、ヒナの日常を崩していった。この骨董屋は、滅多に人が来ず近所の手伝いに走り回っていることも、近隣のボランティアに参加していることも。ハルは、一人を紛らわす術をずっと探していた。主人を探す子犬のように。ヒナが訪れたとき、彼の中に喜びが一粒あったことは、ハル自身も気づいていない
これが、二人の物語。始まりのベルが鳴る
OtherWorldGuideline 風船ちゃん @hu_sen87
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