02
室内は広く、天井も高い。
巨人の家に迷い込んだか、自分の体が縮んでしまったかのような錯覚を感じるほど。
その感覚は、ある意味正しいのだろう。今まで見聞きした内容からして、スバルとはまったく違う体格のものも、この建物に入ることになる。
廊下の広さは当然。扉が仰々しい仕掛けで開閉されるのも、ある種の必然だ。ここでは、「誰でも開けられるドアノブ」などというものは作れそうにない。それこそ、センサー式の自動ドアでもなければ。
そのせいか。大きな扉を開けたままにしている部屋が、どうやらスバルが最初に通される場所のようだった。
中にあったのは、本の壁だ。
山と積まれた本に、ところどころ紙の束が挟まっている。本の山は山脈を作り、部屋に入ったものは「谷」にあたる部分を道に進むしかない。
壁は当然のように本棚と一体化していて、見る限り隙間なく本が埋まっている。
イーヴァが軽く鼻を上げて、首を傾げた。
「ドルチェ、いますよね?」
「んぁ、はーい、いますよぉ。こっちまで来れるかなぁ?」
間延びした声は、本の山の奥から聞こえた。
ひらひらと、小さな手のひらが見えた方向へ、イーヴァは慣れた足取りで進んでいく。
「スバル、上着を回収する」
クリスに促されて、スバルは身につけた防寒着がこの部屋に適さないことを、改めて意識することになった。
クリス自身も上着と荷物を下ろし、廊下に残して部屋に戻る。そのまま、それぞれ適したルートがあるらしい本の隙間を、イーヴァとは違った道で先導した。
目的地へ辿り着いてみると、その上だけは片付いている低い木製机に、背の低い少女がついていた。赤みの強い肌と、顔に対して大きな耳が目立つ。
「よし、みんな本を崩さずたどり着いたねぇ。えらいえらい」
少女の言葉に、イーヴァがため息をついた。机の対面、一人用の大きなソファの向こう側で、窮屈そうに座っているのがかろうじて見える。
「まぁ、とりあえず君も座ってよぉ」
と、少女はスバルに促した。どうやらソファに座るべきなのは、案内されてきたスバルのようだ。
体格に合わない座面へどうにか腰を下ろすと、背もたれは遠すぎて何の役にも立っていない。
その間に、少女はラッパ状の筒へ向けて「XDM045、面談開始」と告げ、筒の蓋を閉める。屋内で声のやりとりをするための設備のようだ。
スバルへ向き直った少女は、また間延びした声で。
「イーヴァちゃんからお名前を聞いたよぉ。スバルくん。私のことはドルチェって呼んでねぇ」
と手早く自己紹介を済ませると、手元の書類をパラパラとめくった。
「うーん、落ち着いてるねぇ。君のいたところはここみたいにいろんなモノがいたかなぁ? 獣人……って呼ばれてるやつとか、機械生命とか?」
「……いや、そういうわけでは」
「ふぅん? それじゃあ一旦、いろいろ聞くよりも、まずはここのことから知ってもらった方がいいかなぁ」
ドルチェは紙を置いて、立てた人差し指をくるくると回した。
「世界がいっぱいあるって話をしたら、伝わるかなぁ」
スバルが応える間もなく、ドルチェは続ける。
どうやら、彼の反応から理解度を察しているらしい。
「君の生きてきた世界を含めて、たくさんの世界が存在してるの。ここは、そういういろんな世界の隙間にあってぇ、ちょっとだけ低いところにあるって考えてみて?」
「低い……?」
「そぉ。上の方の世界から、ぽとっていろんなものが落ちてきちゃう場所。ここはねぇ、そういう世界なの」
ドルチェは立てていた人差し指を下に向け、机の天板に指先をつける。
スバルの脳裏をよぎったのは雪原の景色だ。
ぽつりと、真上から落とされたように、なんの痕跡もなく雪原の真ん中に立っていた、自分の状況。
「生き物も、機械も、いろんなものがここに落ちてきて、ここのものと混ざっちゃう。だからねぇ、元々は持ってなかったような能力を、なぁんにも分からない間に手に入れちゃうんだぁ」
「私が言葉を喋れるように、ね」
と、続けたのはイーヴァだ。
「私はただの獣だったけれど、ここに来てから急にこうして話せるようになってしまったわ」
「この辺りは世界の始まりの話になっちゃうんだけどぉ……概念とか生命とか、そういうのがきっちり区別される前に、いろんな世界からいろんなモノが落ちてきちゃったみたいでぇ。全体的にふわふわした状態なの」
不思議だよねぇ、と言うドルチェが、一番ふわふわとした声音だった。
「俺にも、なにかが混ざってるのか?」
「うん。少なくとも言語の概念はぁ、上手に混ざってないと言葉が通じなくなっちゃうから、大事だねぇ。スバルくんはぁ、大丈夫そぉ」
さらりと、紙の上をドルチェのペンが走る。
「あとはぁ、天と地のどっちかだけどぉ……うぅん、落ち着いてるし、占いからしてもぉ、やっぱり地かつ土の属性かしらぁ……」
「占い、って……」
ドルチェの言葉は、半ば独り言だった。
スバルをよそに、そのままうんうん唸り始めると、両手の人差し指をこめかみに当てる。ずんぐりした子供体型のせいで少し微笑ましく見えてしまうのは、本人にとっては不本意かもしれない。
会話の途中で放り出されたスバルの隣で、クリスが膝を曲げる。腰掛けたスバルに視線を合わせつつも、表情や声にはあいかわらず感情が微塵も浮かばない。
「疑問点は言っておいた方がいい。今ならイーヴァが答えてくれる」
「こら。人任せにしない」
対するイーヴァの声は反対から。
「説明は僕の得意とする業務ではない」
「私は今朝の打ち合わせに参加していないのだから、あなたが伝えるべきよ。クリス」
同僚というより、教師のような口調だった。
イーヴァの指摘を受けると、クリスの押し黙った無表情も答えに詰まった生徒に見えてくる。
困っているのか、面倒なのかは分からないが、少し伏せた目からはかすかな感情を読み取れなくはなさそうだ。
その目が、ちらりとスバルに向く頃には感情の残滓も消えていた。
「突然世界に降ってくる異邦人を、どうやって見つけると思う」
思いの外。
淡白な言葉はスバルの視野を開かせた。
言われてみれば、そこにスバルがいることを知っていたかのように、クリスは現れた。
「君に最初に接触したのが、イーヴァではなく僕だったのもそうだ。混乱状態の異邦人を、更に怯えさせるのは得策ではない」
「なる、ほど……?」
現在に至るまで、クリスが自動人形であるという疑いを晴らせないせいで、スバルの声には疑問が混じった。
仮に自動人形やアンドロイドだとして、人の言葉を解するオオカミよりは錯乱せずに済むのだろうが。
「なにか疑問でも」
「い、いや……結局、その占いでどう出たんだ?」
スバルがはぐらかしているのに、気がついているのかどうか。
クリスはその問いに、直接的には答えなかった。
「通常、占いの業務は十日後に現れる異邦人に対して行う。異邦人が町での生活を望んだ場合に、適した部屋を手配しておかなければならないからだ」
「適した部屋?」
「ネズミとクマに同じ部屋を与えるわけにはいかない」
思わず、スバルは軽く体を揺らすようにして座りなおした。
確かに、門番のクマと同じ部屋を与えられても、生活には困り事しかないだろう。
「今朝、君は突然占いに現れた」
クリスは小さく咳を挟み、
「糸が切れ、天の星は地に落ちる。影の瞳は彼を追えど、天の祝福は枯れず。終にかの手は星を掴む」
「────」
続いた言葉に、スバルは声も出ない。
それは、自分を占った言葉として受け止めるには、あまりにも仰々しかった。
「天と地はねぇ、この世界で唯一きっぱりと分かれているものなの。世界は最初に天と地に分けられたからぁ」
たっぷり時間をかけて悩み抜いたらしいドルチェが、変わらぬ口調で付け足した。
「だからぁ、ひとりを占って天地両方の要素が入るなんて本来起こらないの。そもそも十日前はおろか、昨晩の占いにだって一切気配がなかったしぃ。君はドルチェさんを悩ませるイレギュラーなのよぉ」
「そんな実感は……まったくないんだが……」
「そぉだよねぇ」
あはは、と笑うドルチェは少し疲れているようだった。
「ひとまず、君の要素はやっぱり天地で言うなら地だし、四大五行六高七型、どれを見ても土だよぉ。まぁ、天地以外の分類はいろんな世界の混ぜものになっちゃってるけどぉ」
またドルチェのペンが走って、どうやら記入は終わったらしい。
「クリスくんもありがとねぇ。説明はドルチェさんの仕事なのに」
「構わない。……すこし喉が疲れた」
もう一度、クリスは咳き込んで。
それでも言葉を続ける。
「ひとつ伝えることがある。スバルを発見した際、金髪の女性がそばにいたように見えた」
ドルチェの表情が固まるのを、スバルは見た。
同時に、思い当たる節がないスバルの思考も停止していた。
「額を触れ合わせて、祝福しているようにも見えたが……瞬きの間に消えていたから、定かじゃない」
「クリス! そういうことは先に」
「スバルが記憶しているかを確かめたかった。覚えていないようだったから、最後に」
イーヴァの叱責をよそに、クリスはスバルに視線を向けている。それはただの観察であって、答えを期待している様子はなかった。
スバル自身、どう答えるべきかの思考も間に合わない。
固まっていたドルチェがわなわなと震えるのを、ただ見ているだけで。
「天の使いと、祝福ぅ!?」
目を回したドルチェが叫んだ言葉を最後に、スバルの「面談」は終わりを迎えた。
再生のルミナリス 射月アキラ @itukiakira
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