第2章
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「スプリングホーンへようこそ、異邦人さん!」
スバルを出迎えたのは、腹の底に響くような大音声だった。
見あげるような身の丈の、二足で立ちあがったクマである。たくましい体格そのまま、骨格だけが直立二足歩行に適応している。
人懐っこく笑んだ頭の向こうに、町の入り口らしい木製の門が見える。左右に続く石の壁は、ソリから見えた景色の中の唯一の人工物だ。貼りついたまま凍った雪のせいで、まだら模様になっている。
その向こう側が、クマの言う「スプリングホーン」なのだろう。
かなり友好的な言動ではあるものの、クマは一定以上の距離を近付いてこなかった。己が与える威圧感を、ある程度は理解しているらしい。
「そんなに大きな声を出して、無闇に怖がらせないで」
と、雪原でも聞いた女の声がする。スバルの背後からだ。
振り向いても、クリスと五頭のオオカミしかいない。そのはずだった。
実際には、声の正体は増えているどころか、オオカミが一頭に減っていた。ソリに繋がったままのハーネスが四頭分、踏み固められた雪面に落ちている。
「すまん、イーヴァ。異邦人さん、そっちに近付いてもいいかな? ソリを拾うだけだ」
クマの声は、幾分声量が控えめになっていた。
スバルは恐る恐る頷いて、クマへ道を譲る。吹き溜まった雪が両脇で壁を作っていて、通り道の幅には制限があった。
残ったオオカミからハーネスを外したクリスが、体をこわばらせたスバルの傍らに立つ。
「心配はいらない。言葉が通じるなら、すべての種族を受け入れる」
「この町は、か?」
「国が、そういう形をしている」
雪の壁に背を向けたスバルとクリスの前を、クマが通る。針金のような茶色の毛皮の上で、身につけた簡素な鎧が金属の擦れる音をたてていた。
宣言通り、クマはまっすぐにソリへ近付いた。その座席の上に五頭分のハーネスを乗せると、そのまま軽々と肩に担ぐ。
残ったオオカミは、クマの足元でため息のように鼻を鳴らしていた。
「それじゃ、門を開けるよ。着いといで」
と、クマが声をかけたのは、スバルに向けてだろう。クマはソリを担いだまま、なんら変わらない歩調で来た道を戻っていく。
オオカミが後に続き、スバルはクリスに促されてその背を追った。
近付いてみると、木製の門は見上げるような高さだった。それでも、目の前を歩くクマと比べてしまうと、規格外とも言えない。
もうひとり、門のそばに残っていた衛兵らしい片割れも、クマほどではないにしろかなりの高身長だった。本来の姿は鎧でほとんど分からないものの、あらわになった口元は暗い灰色の肌で、尖った耳が目立つ。
すべての種族を受け入れる、とクリスは言った。
門の高さだけではない。
スバルが着ている防寒着の、取り外された裾の長さも。ソリの座面の、持て余すような広さも。
それこそ、幅広い身長と体格へ対応するために必要な機能性だったのか。
先に門へついたクマは、ソリを下ろすこともなく金属製の持ち手へ右手をかけた。ぐっと肩が盛りあがったと思えば、門は低い音を立てて手前に開かれる。
ちょうど一人分開いた隙間を、オオカミを先頭にスバルとクリスが通り抜ける。ほどなく、重い音と共に背後で門が閉められた。
「ご挨拶が遅れてごめんなさい」
と、女の声と共に白いオオカミが振り返った。
間近で見ても、耳の先から尾の先まで、模様のひとつもない。薄青色の瞳に、小さな瞳孔が引き立つ。
獣の瞳だ。
「私はイーヴァ。クリスと同じチームで、あなたを担当させてもらうわ」
声と共に動く口元には、肉食獣らしい牙が並んでいた。
対照的にその声音は穏やかだ。クマの大声を嗜めていたのを思い返せば、自分たちが本能的に恐れられる側であることを自覚しているのだろう。
「あなたのことは、どう呼べばいいかしら?」
イーヴァに問われるまで、スバルは自分の名を伝えていないことをすっかり忘れていた。
「……スバルだ」
「えぇ。ありがとう。怖がられるのには慣れているから、後ろめたさは感じないでちょうだいね。いずれ慣れてくれると助かるけれど」
こともなげにイーヴァは言って、また前に向き直る。獣の形と動きをしているのが不思議なくらいには、理性的な言葉だった。
歩き始めたイーヴァの背を追って、スバルは視線をあげる。
堅牢な壁の内側には、低い木造建築が並ぶ街並みがあった。主要な大通りには見えるものの、行き交う人はまばらだ。
人、と言うのは適さないかもしれない。
宿屋の前で休憩する、ネズミの頭部を持つ少年。雑貨屋の番をする、髭を蓄えた小人。貯蔵庫で荷物を数える、鋼鉄製の作業ロボット。
仮に言葉が通じるとしても、ひとつの町で暮らすには多様すぎる。
「破綻しないのか?」
「それが私もいまだに信じられないの。詳しいことは忘れてしまったけれど、この国には少なくとも千年くらいの歴史があるらしいわ。この形で安定してしまってるんでしょうね」
「信じられない、って?」
「私もあなたと同じ。“異邦人”としてこの町に受け入れられて、やっと一年経ったところよ」
イーヴァは軽く振り向き、片目だけでスバルを見る。
「だから、あなたの混乱も、多少は分かるつもり」
「一年目にしては、落ち着きすぎじゃないか……?」
「あなたほどじゃないわ。それに、
言葉に反して、イーヴァの声音は軽い。
彼女が種族としての寿命差の話をしていることは、スバルにもなんとなく分かる。人間であれば何十年もかけて適応できることでも、十数年の寿命しかない獣ではそうもいかないだろう。
「大丈夫。この国は、多種族にも、異邦人にも慣れているわ。こちらが戸惑ってしまうくらい」
前に向き直ったイーヴァは、尾を一振りして言葉を区切った。
スバルは隣を歩くクリスに目を向ける。ついさっき、当たり前のように働いている作業ロボットを見たばかりでは、なおさら作り物めいた横顔だった。
「そういうものなのか?」
「すべて同じ生命だ。区別の必要がない」
「……クリスの考え方は、かなり極端だから」
イーヴァの補足は、ため息混じりだった。
もしかすると、彼女もクリスの言葉に振り回されていた側なのかもしれない。
門からしばらく歩き、まばらだった人影もいよいよ完全になくなった頃。
イーヴァが歩を緩めたのは、周囲より頭ひとつ高い石造建築の前だった。
外から見る限り、三階建てだ。しかし、窓の位置、というよりも高さに違和感がある。すべての階で天井の高さが違うような、奇妙な外観だった。
イーヴァが入り口前の階段を登ると、正面扉は内側から開いた。
潜ってみると、玄関口のすぐ脇にはカウンターがある。中では長毛の猫が、丸い瞳孔でスバルを見つめていた。猫が手元のレバーを引くと、天井そばでからくり仕掛けのような機構が動き、扉が閉められる。
駆動音の隙間から「XDM045、保護完了」と聞こえたのは、猫が発した声だったか。
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