02
雪かき用のシャベルを定位置に戻した頃、太陽はすでに東の空を半分ほど昇っていた。
軽く体を伸ばしてから、クリスはシャベルの代わりに傍らの包みを手にして振り返る。
L字の本館と隣接する居住館に囲まれた、小さな中庭だった。通りとは板を交差させた目の荒い柵で区切られ、見晴らしの良さと人目を避けられる機能をどうにか折衷させた作りになっている。
とはいえ、通りを歩くものは少ない。
産業でも観光でも資源がほとんどないこの町は、例に漏れず国内の過疎地のひとつである。それでも一定の人口を維持し、例外的に王国管理都市になったことには理由がある。
かつて、ここには「春を呼んだ国」があった。
国が滅び、厳しい冬が戻った後。己の毛皮を持たない人々はもう一度「春」が来ることを願い、滅んだ国を研究する者が集まって町を作った。
スプリングホーン。
寒さ厳しいこの土地に、まったく似合わない町の名前だった。
それでも、かつての春の名残のように、太陽が照る期間はある。
中庭の中央付近、クリスが一日の始めに雪を下ろしたベンチには、ぽっかりと日向ができている。気温は低いものの、太陽に温められた木製の椅子は体を落ち着かせるのにうってつけの場所だった。
その座面へ、まずは小さな包みを。置き際に中身がぶつかって硬い音を立てる。
次いで、クリス自身が腰掛ける。木材がわずかに軋み、高く鳴った。
一息。白く染まった呼気は宙で溶ける。
日の出から動いていた体を、しばらく休める。
降雪量は少なくても、二棟の周囲をぐるりと周るのは重労働だった。
クリスの顔に、疲労の色は一切ない。疲労はおろか、あらゆる感情が表出されていない。力を抜いて体を休める姿は、それこそ人形のようだった。
時折白く吐き出される呼吸が、かろうじて生きていることを証明している。
とはいえ疲労は本物で、クリスは可動を確認するように何度か手を握った。
──問題なし。
関節は軋みもしない。
数分の休憩を終えて、包みの紐を解く。
紐で閉じられた皮袋の中に入っていたのは、光沢のある黒い鉱石だった。粗く削られた多面体が、袋の中でごろりと転がる。手のひらに余る大きさをひとつ手に取り、クリスは自身の目の高さまで持ちあげる。
鉱石は、クリスの瞳の色とそっくりだった。
かすかに太陽光を跳ね返すものの、闇に沈んだような黒。
しばし見つめて、目を閉じる。
日差しを浴びた熱を、冷たい鉱石に渡すように。
あるいは、炭に風を送って、もう一度火を灯すように。
閉ざした瞼の裏で、小さく赤が揺れる。
それを合図にクリスが目を開くと、鉱石の中に火が灯った。
まずは赤、それから橙、黄と、黒い鉱石の内側で炎は温度をあげていく。もうひとつ手順を踏めば、その熱は石の表面に現れるだろう。
火の宿る魔石は、この国では重要な資源である。
特に暖房の用途において、スプリングホーンは近隣の居住地よりも需要が高い。「春を呼んだ国」に焦がれてその影を追うのは、身ひとつで厳しい冬に耐えられないものばかりだからだ。
再点火した魔石を、クリスは至近で覗き込む。
黒い瞳に、炎の赤が写る。
長く、時間をかけて瞼を下ろし、上げる。
一度、二度、三度。魔石の炎が、瞳に「移る」ように。
けれど、不変。黒瞳には火はおろか感情すら灯らない。
長く吐いた息が風に流れる。鉱石を持つ手を膝の上に下ろすと、クリスの傍らからひょこりと長い耳が覗き込んできた。
「おはよ、クリス。今日も早いねぇ」
ウサギの顔が、流暢に言葉を紡いだ。
首から下がヒトのような骨格となった、獣人である。白い毛皮の上に黒い革製ベストとタイトなデニムパンツを身につけて、ベンチの背もたれに肘をかけている。
ちらりと、クリスは最低限の動きでウサギの顔へ目を向ける。
「リリィはもう出発する時間だ」
外見に違わず、声も感情の乗らない平坦さだった。
「仕事に真面目すぎるよ。イーヴァと一緒に出るつもりなんだけど、あの子どこにいるか知ってる?」
「ついさっき町の門に向かった」
「本当に、仕事に真面目すぎ!」
リリィの剥き出しになった足元が二度、地面を叩く。
デニムのダメージ加工から溢れた白い毛が、軽く逆立っていた。
「どうせイーヴァだって、朝帰りのボスを迎えに行って早起きしてるんでしょ。どうなの? コソ泥は捕まったって?」
「イーヴァが残業を阻止した」
「……なるほどね。元凶が分かっちゃった」
ため息と同時に、リリィの耳が垂れる。
顔の表情の動きは少ないものの、補って余りある身体表現だった。
クリスはその出力をまっすぐに観察するが、それでも模倣には至らない。
代わりに言葉を返そうとしたところで、中庭に灰色の毛玉が飛び込んできた。
「イーヴァは!?」
毛玉は、もとい、青灰色の毛を持つネコは、高い声で問う。
口を開きかけていたクリスがそのまま答える。
「もう出発した」
ぶわりと一瞬尾を膨らませたネコは、乱れた長毛をつくろうこともない。そのまま落ち着きなく、うろうろとその場を動きまわる。
考えを巡らせているか、あるいは自分を落ち着かせているらしい。
「アーロンは」
「夜勤明けでさっき寝たところだ」
「起こして。イレギュラーが出た」
短い指示に、クリスとリリィが目を合わせる。
「ずいぶん急ぐね、マオ。まさか三日後にでも来るの?」
リリィが茶化すように言って、ようやくマオと呼ばれたネコの動きが止まる。
マオは顔をあげてふたりを視界に捉えると、一拍おいて答えた。
「三時間後」
縦長に割れた瞳孔に、嘘の色はない。
「……それ、本当にウチの管轄?」
「すぐそばだよ。今朝、急に見えた。昨日までこんな未来はなかったのに」
「冗談でしょ」
マオの占いの腕は確かだ。クリスもリリィもよく分かっているからこそ、聞いた言葉の意味を飲みこむのに時間を要した。
通常、彼らの仕事は一週間前には決まっている。
仕事相手がいつ現れるのかを、それこそ占いで事前に知るからだ。
「僕の手には負えないようだ」
思案の後、クリスは立ちあがった。
炎の灯った魔石を包みに戻し、袋の口を縛りながら続ける。
「リリィは予定通り仕事に行って、イーヴァに共有してくれると助かる」
「起こせるの?」
「得意な業務のひとつだ」
無表情に答えたクリスに、リリィが苦笑いを返す。
遠慮や容赦は見込めなさそうだ。
「あたしが言うのもおかしいけど、お手柔らかにね」
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