帰れ。俺はもう剣など握らん
老人の言葉は、冬の寒風よりも冷たかった。 小屋の扉を叩き続けて三日目。少年レオンは、雪に埋もれた膝を震わせながら、それでも扉の前を動かなかった。
「お願いします……! 村のみんなが、野盗に殺されてしまう。戦える大人はもう、僕しかいないんです!」 「だから俺に代わりに殺せというのか?」 「違います! 僕が……僕が守りたいんです。そのための力を貸してください!」
老人は扉を開けた。酒臭い息と共に、濁った瞳が少年を射抜く。 そこには英雄の面影などない。ただの、疲れ果てた敗北者の姿があった。老人は少年の前に古びた剣を投げ捨てた。
「拾え」
レオンは凍えた手で剣を掴む。ずしりと重い。鉄の冷たさが骨まで染みる。 途端に、レオンの全身が激しく震え出した。歯の根が合わず、カチカチと情けない音を立てる。敵を斬る感触、返り血の熱さ、自分が死ぬかもしれない恐怖。想像だけで、少年の心は折れかけていた。
「見ろ、その無様な姿を」 老人は嘲笑うように言った。 「それが剣を持つということだ。お前はただ怯えている。そんな腰抜けに何が守れる」
「怖いです……っ!」 レオンは泣き叫んだ。剣を取り落としそうになりながら、それでも柄を握る指だけは離さなかった。 「足がすくんで、逃げ出したくて、吐きそうです……。でも、僕が逃げたら、母さんも、妹も、みんな死んでしまう! 怖いけど……死ぬより、みんながいなくなる方がもっと怖いんだ!!」
その叫びを聞いた瞬間、老人の瞳から泥が落ちた。 かつて彼自身が、魔神の前で抱いた感情。英雄とは勇気ある者ではない。誰よりも恐怖を知り、それでも踏み止まった臆病者のことだ。
老人は雪を踏みしめ、少年の背後に立った。残された左手を、震える少年の手に重ねる。 老人の手は、驚くほど温かかった。
「……よく言った」
「え?」
「剣を抜け。そして、その震えを記憶しろ」
老人の声は、先ほどまでの枯れた響きとは違っていた。腹の底に響く、鋼のような英雄の声だった。
「怖いか。結構だ。その恐怖こそが、お前が『人』である証だ。暴力に慣れるな。血の匂いに麻痺するな」
老人は少年の腕ごと剣を持ち上げ、構えを取らせる。
「剣の重さに震えなくなった時、お前はただの人殺しに成り下がる。……いいか小僧。その震える手だからこそ、誰かの命を優しく掴めるんだ」
錆びついた剣が、朝日に照らされて一瞬だけ輝いた気がした。 英雄の最後の授業が、今始まろうとしていた。
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