第2話 煩悩まみれのシスター

 王都の西端。石造りの建物が重なり合い、陽光が届かぬほど狭まった路地の先に、その礼拝堂はある。かつては聖女の奇跡を求めて巡礼者が列をなしたというが、今は昔。蔦に覆われた外壁と、割れたステンドグラスを板で塞いだ無残な姿は、天に見捨てられた廃屋のようにも見えた。


「……ああ憂鬱だ。あいつはシスターとは思えんほど強欲だから、対価に何を欲しがるかわからん。」


 ヴァンは酷く顔を歪ませながら毒づく。


「お前も店であれを見張って待ってろと言ったのに、よくわからん責任感でついてきやがって。」


「ご、ごめんなさい……。」


 少年のダンは、リノの服の裾を握りしめながら、怯えたように礼拝堂を見上げた。


「大丈夫だよ、ダン君。今から会う人は、聖職者だし。……少なくとも、見た目は。」


 リノが苦笑いしながら、錆びついた扉を押し開ける。ギィと不吉な音を立てて開いた堂内には、厳かな沈黙――ではなく、いびきが響いていた。やけに快適そうな長椅子の上に、一人の女が横たわっている。修道服をだらしなく着崩し、ヴェールを顔に乗せて眠りこけているのは、この礼拝堂の主であるシスター・メルティだ。彼女の指先には、空になった安ワインの瓶が力なく引っかかっている。


「……メルティ、起きろ。」


 ヴァンの冷ややかな声に、ベールの下の鼻がひくつく。


「んぅ……今は営業時間外よ。寄付なら私のお腹の上に置いて……。」


「リノ。」


 ヴァンが短く合図すると、リノが紙袋から焼きたてのバゲットを取り出し、メルティの鼻先に突きつけた。ヴァンは生ぬるいとリノの手からバゲットを奪い、メルティの鼻を叩いた


「……ッ!いたぁい!」


 メルティが飛び起きた。ベールが滑り落ち、手入れをサボった艶やかな黒髪が露わになる。涙目でヴァンを睨んだ彼女は、光の速さでパンを奪い取ると、聖職者にあるまじき勢いで食らいついた。


「ふごっ、むぐ……。ヴァンじゃない。心を入れ替えて祈りを捧げに来たのかしら。」


「馬鹿言うな。自分でも祈りなんてしないくせに。相変わらずアルコール依存は治っていないようだな。さすがの俺にもそれと脳みそは修理できないぞ。」


「失礼ね。これは聖水みたいなものよ。大銅貨一枚のね。」


 メルティはパンを飲み込むと、少し顔を紅潮させたダンに目を向けた。その瞬間、彼女の眠たげな琥珀色の瞳が、一瞬だけ鋭利なそれに変わる。 彼の周りに漂う邪気を感じとってのものだった。


「……で、用件は? あなたのことだから、どうせあれが欲しいのでしょうけど。」


「話が早いな。その通りだ。『聖女の涙』が必要になってな。シスターらしく、俺を救うと思って無償で恵んでくれないか。」


 メルティは指先に残ったパン屑を舐めとると、ゆっくりと首を振った。


「冗談でしょ。あれはオリヴォ聖教会うち秘蔵の奇跡よ。過去の聖女が一生をかけて結晶化させた、純度百パーセントの祈りの塊……市場に出せば、大金貨二十枚は下らないわ。」


「だい、きんか……にじゅうまい……?」  


 後ろで聞いていたダンが、青ざめてふらりとよろめく。大金貨二十枚。それは路地裏の住人が一生働いても拝めない天文学的な金額だ。ヴァンの店のような立地の家ならば、10戸は立つかもしれないほどの大金だ。リノも絶句してヴァンを見る。だが、ヴァンは表情一つ変えずにメルティを見据えていた。


「私が修道精神で聖遺物をタダで譲るとでも思った?価値あるものには、相応の価値を。あなたが一番よくわかっているでしょう? 」


 メルティは不敵に笑い、ヴァンの足元に転がっている新聞を指さした。 ただの新聞ではない。ギャンブラー用の新聞だ。


「見ての通り、昨日のギャンブルで全財産をスったの。今の私は聖女様よりも大金貨の海を夢に見るわ。」


 絶望的な沈黙。ヴァンははぁとため息をつく。


「悪いが金はない。が、魔道具なら出せる。交換でどうだ。」


「あら、いいわね。前から欲しいと思っていたのがあるのよ。」


「メルティさん……私が言うのもなんですが、本当にいいんですか?」


 メルティは不思議そうに首を傾げる。


「あなたたちは問題が解決して嬉しい。私は魔道具で怠惰を極めることができて嬉しい。そして、誰も傷つかない。完璧な『調和』。きっと聖女様もにっこり。満面の笑みでしょう。」


 メルティは素早く十字を切ると、どこかから小さな紙きれを取り出してヴァンに手渡す。内容を読んだヴァンは顔をしかめた。


「おい。多すぎるぞ。せめて二つだ。あと、これとこれは無理、これはもろ禁忌だ。」


「注文が多いわね……。じゃあ、これとこれよ。」


 ヴァンはリノとダンに少し待つよう指示した後、礼拝堂を出た。メルティの求める魔道具を店に取りに行くようだ。残された三人の間に静寂が訪れる。最初に口を開いたのはリノだ。


「メルティさん、どんな魔道具を先生に頼んだんですか?」


「水をワインに変える魔道具と、ギャンブルに勝てるようになる魔道具よ。」


「そ、そんな魔道具、店に置いてあったかな……?」


 ヴァンはすぐに戻ってきた。両手に魔道具を抱えている。メルティはヴァンに近づくと、奪い取るようにして魔道具を手に取った。


「それが液体をワインに変化させる魔道具だ。んで、こっちが賭け事に勝ちやすくなるような気がする魔道具だ。」


「うっひょー!早速使ってみるわ!」


「お前、シスターがうっひょー、なんて言うか?普通……。」


 ヴァンの呆れ声も聞こえないほどはしゃいでいるメルティは、保温機能が切られて不機嫌そうな『ハミングポット』から、ワイングラス型の魔道具『液体誤認グラス』に水を注ぐ。水がそのふちまで注がれると、グラスはむにゃむにゃと何かを呟く。


「あなたはワイン、あなたはワイン、あなたはワイン……。」


 魔道具は見事水を説得し、そういえば自分はワインだったと誤認させることに成功したようで、グラスの中身はワインへと変化した。興奮したメルティは一気にワインを飲み干した。


「ぷはぁ。味はまあまあね。」


「安物のワインに変換する魔道具だからな。あと、使えば使うほど説得は長くなるぞ。」


 うまい話はないんだなぁ、とリノとダンは神妙な顔で頷く。酒精で顔を赤くしたメルティは、ヴァンの話を聞いているのかわからない。楽しそうにまた水を注ぐ。


「こっちがギャンブルに勝てる魔道具ね。腕につけておけばいいのかしら。」


「そうだ。負けたときの記憶を早めに忘れるようになるぞ。」


 もはやリノとダンは恐ろしいものを見るような目でヴァンを見ている。ほとんど詐欺師のような手口でガラクタ魔道具をメルティに売りつけてしまったが、本人達は気にした様子はない。メルティはワインに酔ってテンションが高く、ヴァンはいつも通りの仏頂面だ。


「あら。それは『ぺろぺろくん』じゃない。私その魔道具好きよ。変態的で。」


「……変な使い方してないだろうな。清掃用の魔道具だぞ。」


 枕ほどの大きさがある『ぺろぺろくん』に抱き着くようにして長椅子に寝転がるメルティ。


「テスト用に持ってきただけなんだが……。まあいいか。ついでにくれてやるよ。おい。寝るなよ。」


 リノに優しく揺さぶられたメルティは、未だ高いテンションを保持している。飛び上がってリノに抱き着いた後、困惑するリノを置いてどこかへ行く。


「商談成立ね!ちょっと待ってなさい。」


 彼女が地下の厳重な保管庫から持って来たのは、青白く発光する極小の結晶が入った、小さなガラス瓶だった。


「これが『聖女の涙』。……でも、ヴァン。分かってるわよね?」


 ヴァンは重々しく頷き、瓶を受け取った。


「……ああ。このままじゃ使い物にならん。繋ぎが必要だな。」


「大正解!じゃあ、これで用は済んだわね。私はここで優雅に堕落を満喫するわ。よいしょっと。」


「……チッ。あの頑固ジジイの顔を見に行くのか。これだから呪物の鑑定は割に合わん。」


 ヴァンは不機嫌そうにガラス瓶をいじる。中の結晶がカラカラ音を立てながら転がる。大金貨二十枚の奇跡は手に入った。次の目的地はすでに決まっているようだった。


「でも、メルティさん、あの魔道具で本当に良かったんですかね?」


「いいんだよ。あいつには、『液体誤認グラス』と『損失の免罪符』は大金貨20枚と同じ価値があるんだろ。あと、『ぺろぺろくん』も。」


「そうですねえ……。ところで、メルティさんは『ぺろぺろくん』を何に使うんでしょう?」


 ヴァンは苦々しい顔をする。彼にとっては『ぺろぺろくん』は清掃用魔道具なのだ。


「そんなもの知らなくていい。知りたくもない。」


 20歳になったばかりのリノと、まだ小さいダンには悪影響しか与えないなあの煩悩まみれのシスターは、とヴァンは二人を礼拝堂へ連れて行ったことを後悔した。

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