第一噺その3

次の日の早朝。

まだ空が白みきらない時間帯。

不知しらずは、BARの裏口から外へ出て、

手にしたゴミ袋を裏路地の集積所に放り投げた。


始発前の街は静かで、

音という音が、どこか薄い。

そのときだ。


――ブゥン。


遠くで、低く、腹に響くエンジン音がした。

最初は気のせいかと思った。

だが、その音は消えない。

むしろ、ゆっくりと、

確実に大きくなっていく。

不知は、路地の奥に視線を向ける。


やがて、

角の向こうからヘッドライトが現れた。

街灯の少ない裏路地に、

白い光が一本、線を引く。

大型バイクだった。

黒一色の無骨な車体。

この場所にはどう考えても場違いだ。


不知は、軽く手を挙げる。

「おー。フォー子。おつかれさん。

 おまえのバイク便は、朝が早いな」


バイクは路地に滑り込むように止まり、

エンジン音が切れる。

背中に大きなリュックを背負った女が、

そのままの姿勢でまたがっている。


身体の線が分かるパンツスタイル。

色味は抑えめで、

余計な装飾はない。

黒とも、銀ともつかない髪が、

街灯の光を拾って、

わずかに色を変えた。


フォー子と呼ばれた女性は、ヘルメットを外す。

「おはよ、しらんけど」

短く言って、

不知の顔を見る。

「……何か、気になることあった?」


不知は、一瞬だけ視線を逸らした。

「ああ。

 ちょっとな」

言い切らない。

「でも、まだ予感や」


フォー子は、

その言葉を聞いて、

ほんの少しだけ目を細める。

「ふぅん……あなたの予感は―

 

 ―よく当たるわ」

ため息混じりに言う。


不知は、肩をすくめる。

「せやなぁ」

軽く笑って、

いつもの調子で続ける。

「占い師やからなぁ。

 まぁ……しらんけど」


フォー子は、

それ以上、何も言わなかった。

ただ、

黒いバイクの横で、

朝の冷たい空気を一度だけ吸い込む。


街は、

まだ何も始まっていない。


けれど、

動き出す準備だけは、

もう整っているように見えた。


…――


渋谷の駅前には、高層ビルが建っている。

高層階はオフィスフロアで、

その上に、社員専用のレストランとカフェテラスが併設された階がある。


マサトは、そこにいた。


昼休みの時間帯。

ガラス越しに見下ろす街は、いつもより遠く感じる。


エスプレッソを口に運びながら、

彼は何度目かのため息を、心の中だけでついた。


――お昼休みなのに、連絡が来ない。


別に、付き合っているわけじゃない。

それは、ちゃんと分かっている。

今は、まだ。

次の食事に行けたらいいな、と思っている段階で、

焦っているつもりも、

無理をしているつもりもなかった。


スマートフォンに視線を落とす。

画面は、静かなままだ。

――忙しいのかな。

そう思う一方で、

昼休みくらいは、少し時間があるはずだ、

という考えも、自然と浮かんでくる。


エスプレッソを一口、飲み干す。

――やっぱり、もう少し送ってみてもいいかな?

そう思った瞬間、

すでにメッセージを送信していたことに気づいた。

画面には、少し前に送った文章が並んでいる。


〈お昼休みはどちらへ?〉

〈私は今日は社食でランチです〉

〈美味しいところ、今度紹介してください〉


どれも、当たり障りのない内容だ。

相手を気遣っているつもりだし、

重い言葉は、ひとつも選んでいない。


彼女も、同じ渋谷で働いている。

そう聞いたとき、

少しだけ距離が縮まった気がした。


――いつか、一緒にランチを。


それは、ごく自然な想像だろう。

特別なことじゃない。

マサトは、そう思っていた。

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