第十七章「理容師の村」

混沌の床屋に近づくにつれ、穢れの濃度は急激に上がった。


セリーヌは馬上でぐったりとしている。穢れに対する感受性が高い彼女には、この環境は過酷すぎた。


「もう少しだ。持ちこたえろ」


「……わかっている……」


丘を越えると、意外なものが見えた。


「村だ」


混沌の床屋の手前に、小さな集落があった。家々は質素だが、不思議なことに穢れの影響を受けていないように見える。


「どういうことだ……」


一刀たちが村に近づくと、人々が出てきた。老若男女、十数人。彼らは一刀たちを見て、驚きの表情を浮かべた。


「旅の方ですか……?」


「ああ。この先に用がある」


「混沌の床屋に……?」


村人たちがざわめいた。


「まさか……理容の技を持つ者か……?」


「俺は理容師だ」


一刀は馬から降りた。


「お前たちは何者だ。なぜ、こんな穢れの濃い場所に住んでいる」


村人たちは顔を見合わせた。やがて、一人の老人が前に出た。


「私たちは、理容神に仕えていた一族の末裔です」


「理容神に……?」


「千年前、理容神がこの地に封印されたとき、私たちの祖先は神と共にここに残りました。神の復活を待ち続けるために」


一刀は老人を見つめた。


「千年も、ここに?」


「はい。代々、この地を守り続けてきました」


「穢れの影響は受けないのか」


「私たちには、理容神から授かった『技』の断片が伝わっています。それを使って、穢れを祓い、身を守ってきました」


一刀の目が光った。


「『技』の断片?」


「髪を切ること、髭を剃ること——その基本だけは、祖先から受け継いでいます。完全な形ではありませんが」


「見せてくれないか」


老人は頷き、村の中心にある小屋に一刀を案内した。


小屋の中には、古びた道具が並んでいた。ハサミ、クシ、シェービングブラシ——形は違うが、機能は一刀の知る道具と同じだ。


「これが、理容神から伝わった道具です」


一刀は道具を手に取った。古い。おそらく、数百年は使われてきたものだろう。だが、手入れは行き届いている。


「技を見せてもらえるか」


「はい」


老人が実演した。若い村人を椅子に座らせ、ハサミで髪を切る。


動きはぎこちない。角度も、手順も、一刀の知る技術とは異なる。だが——根本的な考え方は同じだった。


「なるほど」


一刀は頷いた。


「形は違うが、原理は同じだ。お前たちは、理容神の技を確かに受け継いでいる」


「本当ですか……」


「ああ。ただ、改善の余地はある。俺から、いくつか教えよう」


一刀は老人に、自分の技術を伝えた。


ハサミの持ち方、刃の角度、髪を引き出す方向——基本的なことから丁寧に説明した。老人は熱心に聞き、メモを取った。


「すごい……私たちの技とは、まったく違う……」


「俺の世界では、理容技術は科学的に体系化されている。感覚だけでなく、理論に基づいて行う」


「科学的……」


「例えば、シェービングのとき、皮膚を引っ張る。これを『張り手』という」


一刀は実演した。


「皮膚にテンションをかけることで、刃が食い込むのを防ぎ、根元から剃ることができる」


「なるほど……」


「こういった技術は、教えれば誰でも身につけられる。特別な才能は必要ない」


老人の目が潤んだ。


「ありがとうございます……私たちは、千年もの間、不完全な技で穢れと戦ってきました。でも、あなたのおかげで……」


「礼はいらない。俺は、理容神を解放しに来た。そのためには、お前たちの協力が必要だ」


「喜んで。私たちにできることなら、何でも」


その夜、一刀は村人たちと食事を共にした。


セリーヌは村の長老から特別な薬草茶を与えられ、だいぶ回復していた。穢れを和らげる効果があるという。


「神楽殿、一つお聞きしてもいいですか」


ハジメという名の若い村人が、おずおずと手を挙げた。一刀の弟子と同じ名前だ。偶然とは思えなかった。


「なんだ」


「あなたは、理容神と同じ異世界から来たのですか」


「……おそらく」


「では、理容神を解放したら……どうなるのですか」


「わからない。ただ、穢れが祓われる可能性はある」


「穢れが……消える……」


村人たちがざわめいた。


「本当ですか」


「保証はできない。だが、やってみる価値はある」


「お願いします……私たちは、千年もこの穢れと戦ってきました。終わらせることができるなら……」


一刀は頷いた。


「任せろ」


翌朝、一刀は混沌の床屋に向かう準備を整えた。


「私も行く」


セリーヌが立ち上がった。


「大丈夫か」


「大丈夫。薬草茶のおかげで、だいぶ楽になった」


「……わかった」


村人たちが見送りに来た。


「お気をつけて」


「理容神を、お願いします」


「ああ」


一刀とセリーヌは、混沌の床屋へと歩き出した。


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