第十六章「穢れの大地を行く」

王都を発って十五日目。


風景が、明らかに変わり始めていた。


緑豊かだった森は、次第に枯れ木ばかりになった。空は曇り、太陽——二つの太陽——はぼんやりとした光しか放たなくなった。空気には、かび臭いような、腐ったような匂いが混じっている。


「穢れが濃くなっている」


セリーヌが眉をひそめた。


「ああ。混沌の床屋に近づいているんだろう」


一刀は馬を進めた。周囲には、穢れに侵された植物が広がっている。木々の幹には黒い斑点があり、草は灰色に変色している。


「生き物がいない」


「穢れが濃すぎるんだ。動物も、ここには近づかない」


セリーヌは周囲を見回した。確かに、鳥の声も虫の音もしない。死んだような静けさだけがある。


「神楽殿……」


「どうした」


「私、怖い」


セリーヌの声が震えていた。彼女の顔は青白く、額には汗が浮かんでいる。


「穢れを感じる……身体の中に、入ってこようとしている……」


一刀は馬を止めた。


「少し休もう」


木陰——枯れ木の影——で休息を取った。一刀は水筒をセリーヌに渡し、彼女の様子を観察した。


穢れの濃い地域では、敏感な者ほど影響を受けやすい。セリーヌは、長年穢れに苦しんできた経験がある。その分、穢れに対する感受性が高いのだろう。


「手を貸してくれ」


一刀はセリーヌの髪を確認した。根元に、わずかに黒い霧が見える。


「少し、穢れが戻ってきているな」


「……そうか」


「今ここで、軽く施術する。いいか」


「……頼む」


一刀は道具を取り出した。水筒の水で髪を濡らし、石鹸で泡立てる。蒸しタオルはないが、できることをやる。


「……気持ちいい」


セリーヌの表情が和らいだ。


「少し、楽になった」


「シャンプーだけで、ある程度は祓える。カットするほどじゃない」


「ありがとう」


休息を終え、再び旅を続けた。


十七日目の夕方、道端に人影を見つけた。


「……助けて……」


倒れている男だった。髪は腰まで伸び、黒い霧を濃く纏っている。重症の穢れだ。


「待っていろ」


一刀は馬を降り、男に近づいた。


「大丈夫か」


「……誰だ……」


「通りがかりの者だ。今から、髪を切る。動くな」


道具を取り出し、応急的な施術を行う。水で髪を濡らし、ハサミで切り落とす。黒い霧が消散し、男の目に光が戻った。


「……俺は……」


「穢れに侵されていた。今は、少し楽になったはずだ」


男は自分の身体を見下ろした。


「ありがとう……命の恩人だ……」


「礼はいい。それより、この先に何があるか知っているか」


「この先……」


男の顔が曇った。


「混沌の床屋だ」


「知っているのか」


「俺は……あそこから逃げてきた。穢れに取り込まれかけて……なんとか逃げ出して……」


「中はどうなっている」


「……地獄だ」


男は震えた。


「穢れに完全に呑まれた者たちが、うようよいる。人の形をしていない。もう、人間じゃない」


「理容神は?」


「理容神……?」


「あそこに封印されていると聞いた」


「わからない……でも、奥に何かがあった。巨大な……穢れの塊のようなもの」


一刀は頷いた。


「ありがとう。情報は役に立った」


「あんた、まさか……あそこに行くのか……」


「ああ」


「やめろ……死ぬぞ……」


「死ぬかもしれない。でも、行かなければならない」


一刀は男に水と少しの食料を渡した。


「王都の方角に向かえ。『床屋・神楽』という店がある。そこで、もっとちゃんとした施術を受けられる」


「床屋……神楽……」


「俺の店だ。仲間が待っている」


男は呆然と頷いた。一刀とセリーヌは、再び旅を続けた。


十九日目、ついに——


「見えた」


セリーヌが指さした。


丘の向こうに、巨大な建物がそびえている。黒い霧に覆われ、不気味な光を放っている。建物の形は、どこか——


「理容室だ」


一刀は呟いた。


建物は、理容室の形をしていた。巨大化し、歪み、穢れに呑まれているが——その輪郭は、明らかに理容室のものだった。


「あれが、混沌の床屋……」


「ああ。理容神が封印された場所」


一刀は馬を進めた。


「行こう」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る